第26話 昔の魔法を知れば、今の魔法が少しだけ見えてくる
昼休み終了を告げる鐘が学院内へ響き始めたころ、シュウたち五人は食堂を出た。
午前中より高くなった春の日差しが回廊へ差し込み、石床の一部を白く照らしている。食事を終えた学生たちも一斉に午後の教室へ向かい始めたため、中央講義棟へ続く道は朝とは違った賑わいを見せていた。
「じゃあ、また放課後な!」
分かれ道まで来ると、ダンが二組の教室がある方向へ手を上げた。
「放課後?」
シュウが聞き返すと、ダンは当然のような顔をする。
「練習するんだろ?」
「エリオットとユリウスとは行くって話してたけど」
「なら俺も行く。小さい火、もう一回やりたい」
午前中には大きな火を出したくて仕方がなかったはずなのに、今は自分から小さな火を練習したいと言っている。シュウが少し意外に思って見ていると、その視線の意味に気づいたらしいダンが眉を寄せた。
「何だよ」
「いや、ちゃんと練習するんだなと思って」
「実技のときも同じこと言っただろ! 俺だって苦手なの分かったら練習するって!」
「分かった分かった。じゃあ一緒に行こう」
「私もよろしいですか?」
セシリアも隣から声をかけてきた。
「もちろん。セシリアは何を練習するの?」
「発動までの時間を少し短くしてみたいです。ミレイ先生から慎重すぎると言われましたから、精度を落とさずにどこまで早くできるのか確かめたいと思っています」
目的がはっきりしている。
ダンも自分の課題を自覚しているし、エリオットは制御、ユリウスは属性ごとの感覚を比較したいと言っていた。こうして並べてみると、同じ練習区画へ行くにしても、やろうとしていることは全員違う。
「じゃあ五人で行く?」
「決まりだな!」
「ただし、授業が終わってからです」
セシリアが念を押すと、ダンは一瞬だけ不満そうな顔をした。
「分かってるよ。さすがに授業抜けてまでは行かないって」
「それなら結構です」
「俺、そんなに信用ない?」
「普段の行動を振り返ってください」
「入学してまだ何日も経ってないだろ!?」
「十分判断材料はありました」
言い返せなくなったダンの顔を見て、シュウたちは笑った。
二組と三組はそこで別れる。
「中央広場でいい?」
エリオットが確認すると、セシリアが頷いた。
「授業終了後に中央広場で合流しましょう」
「了解!」
ダンが大きく手を振り、セシリアと並んで別の廊下へ向かっていく。
シュウたち三人も三組の教室へ向かった。
「五人になったね」
歩きながらエリオットが言う。
「嫌?」
「全然。むしろダンがいる方が失敗しても目立たなそう」
「それ本人に言ったら怒るよ」
「事実」
ユリウスが静かに加えた。
「ユリウスまで言うんだ」
「午前中、一番大きい火を出したのはダンだった」
「《微灯》なのにね」
思い出すと笑えてしまう。
ただし、あれも単なる失敗ではなかった。ダンは自分が気合いを入れすぎると出力が上がることを知り、そのあとには小さく抑える練習を始めている。
エリオットもそうだ。
できなかったことが一つ見つかるたび、次に何をすればいいのかが少しずつ分かっていく。
(俺は何を練習しようかな)
シュウは歩きながら自分の右手を見る。
五属性。
火、水、風、土、光。
どれも適性はあるが、学院で何を主軸にするかはまだ決めていない。午前中の実技では基礎制御そのものが面白かったため、放課後も条件を変えながら同じ魔法を試してみるのも悪くなさそうだった。
《全属性の同時習得を目指す選択肢も存在します》
『昔の俺ならそうするんでしょ?』
《正確には「全てを極めたのち、既存属性分類そのものを不要とする」と記述されています》
『何で極めたあとに分類まで壊すんだよ……』
《当時のマスターにとって、既存の枠組みを超越することは重要な価値観だったものと推測されます》
『中学生だからね……』
今なら少し分かる。
人と違うことが格好いいと思っていた時期だったのだ。
だが現実に五属性への適性を持ってみると、「全部使えるから全部極める」で済むほど単純ではない。午前中に基礎魔法を試しただけでも、魔力変換、出力、維持、速度、精度と考えることはいくらでもあった。
「シュウ」
「ん?」
「教室、ここ」
エリオットに言われて足を止める。
危うく通り過ぎるところだった。
「……ありがとう」
「考え事しながら歩くのやめた方がいいぞ」
「気をつけます」
「朝も同じこと言ってなかった?」
「今日は色々考えることがあるんだよ」
エリオットは疑わしそうだったが、それ以上は追及しなかった。
◇
午後最初の授業は、魔法史入門だった。
午前中の一般教養と同じ教室だが、教壇に立っている人物は違う。
四十代ほどの細身の男性で、柔らかな茶色の髪にはところどころ白いものが混じっている。焦げ茶色の長衣は研究者を思わせる落ち着いた意匠で、片腕には厚い本を三冊も抱えていた。
教卓へ本を置いた瞬間、重い音が教室へ響く。
「一年三組ですね。私はオルド・カーヴェル。魔法史と古代術式史を担当しています」
声は穏やかだった。
オルドは学生たちを見回すと、黒板へ大きく一本の横線を引いた。
「魔法史と聞いて、昔の魔法使いの名前や年代を覚える授業だと思っている人はいますか?」
数人の学生が微妙な顔をする。
シュウも正直、少しだけそう思っていた。
「安心してください。名前と年代も覚えてもらいます」
教室から小さな落胆の声が漏れた。
「ただし、それだけではありません」
オルドは笑いながら横線の左端を指した。
「魔法は、ある日突然現在の形で完成したわけではありません。人が魔力を感じ、それを使い、失敗し、体系化し、後世へ残してきた結果として、皆さんが今朝使った《微灯》一つにも長い歴史があります」
シュウは机の上へ置いた筆記具を握り直した。
《微灯》。
午前中に何度も使った、ごく簡単な魔法だ。
「現在では基礎魔力変換を学んだ者なら、火属性適性がなくても《微灯》を使用できます。しかし、古い時代にはそうではありませんでした。火を生み出せる者は、火に適した魔力性質を生まれつき持つ者だけだと考えられていた時代があります」
黒板へ「属性=固定された性質」と書かれる。
「その後、研究が進みました。同じ人間が訓練によって異なる性質の現象を起こす例、魔導具を介して不得意な属性を扱う例などが蓄積され、魔力そのものと属性現象を分けて考える理論が生まれます」
今朝、グレイから聞いた内容へ繋がった。
魔力は、意思や術式によって性質を変え、現象へ干渉できる力。
属性適性は、基本的にはその変換のしやすさだという考え方。
(あれも最初から分かっていたわけじゃないんだ)
現在では学院の最初の授業で教えられる内容でも、そこへ辿り着くまでには長い時間がかかっている。
オルドは古い魔法理論と現在の理論を並べながら説明していく。
「ここで大切なのは、昔の人間を『間違っていた』の一言で片づけないことです。当時観測できた範囲では、その説明が最も合理的だった場合もあります」
教室の空気が少し静かになる。
「新しい発見によって、それまで正しいと思われていた説明が変わる。魔法史とは、成功した魔法の歴史であると同時に、人間が何をどう理解してきたのかという歴史でもあります」
シュウはノートへその言葉を書き留めた。
不思議と、今朝より強く引っかかった。
自分の漆黒魔力は、現在の学院の理論では分類できない。
グレイも、分からないものを無理に既存分類へ押し込めなかった。
(今の理論で説明できないからって、魔法じゃないと決まったわけじゃない)
もちろん、逆も同じだ。
自分が魔法だと思っているからといって、本当に一般的な魔法と同じ仕組みだとは限らない。
《生命回帰》もそうだった。
傷だけでなく、毒や病、呪い、欠損、魔力枯渇、汚染まで「本来の状態」へ戻す。使えるから使ってきたが、通常の治癒魔法として考えれば、あまりにも対象範囲が広すぎる。
「先生」
前方の学生が手を上げた。
「はい」
「昔の魔法で、今は使えなくなったものもあるんですか?」
「あります」
オルドは即答した。
「ただし、『使えなくなった』にも複数の意味があります。術式そのものが失われた場合、必要な素材が手に入らなくなった場合、特定の血統や契約者が途絶えた場合、危険性が高いため使用を禁じられた場合。そして――」
一度言葉を切り、黒板へ新しい文字を書く。
――理論上は記録されているが、再現できない。
「これもあります」
教室のあちこちで筆が動く音がした。
「古文書に術式らしきものが残っていても、同じ結果を再現できなければ、現代では実用魔法とは呼びにくい。記録の誤りかもしれませんし、前提条件が失われているのかもしれません。あるいは、現代の我々がまだ理解できていないだけかもしれない」
シュウの手が止まった。
北の森。
白樹の小屋。
古い石扉。
代々の管理。
今まで「管理」が何を意味するのか分からなかったのは、必要な手順そのものが家の中で失われているからかもしれない。
ただし、それは可能性の一つにすぎない。
(白樹へ魔力を補充していた、って決めつけるのはまだ早い)
昨日見つけた資料では、白樹が外部魔力を保持し、定期補充を必要とすることまでしか分かっていない。北の森の小屋が同じ用途だったという証拠はない。
それでも、調べる方向は少し増えた。
素材だけではなく。
古い術式。
失われた維持方法。
管理記録。
図書館で探す言葉が増えていく。
《検索候補の整理を推奨します》
アルカディアが静かに告げた。
『後でお願い。今は授業聞く』
《承知しました》
以前なら、そのまま候補を並べ始めていたかもしれない。
最近のアルカディアは、シュウが「あとで」と言えば素直に引くことが増えた。
それを成長と呼んでいいのかは分からないが、少なくとも授業中には助かる。
◇
授業が進むにつれ、話題は魔法を残す方法へ移っていった。
古い時代には、術式を家や集団の中だけで口伝する例も多かったという。だが、戦争や災害、後継者の断絶によって技術が失われることが相次ぎ、次第に文書化や公的な研究機関での保存が重視されるようになった。
「現在の王立魔法学院が保管している資料にも、個人や家系から寄贈されたものが多数あります」
オルドは教卓の本を一冊持ち上げた。
「ただし、何でも公開されているわけではありません。危険な術式、個人の秘密に関わるもの、現在も特定の家が権利を持つものなどは閲覧制限があります」
図書館の三階。
特別資料。
さらに地下の大規模保管区画。
見学したときの説明を、シュウは思い出した。
「先生」
今度はユリウスが手を上げた。
「古い記録にしか残っていない術式を調べたい場合、学生でも申請できますか?」
「内容によります。一般資料から調査を始め、必要性が認められれば担当教員を通して申請する形になります。一年生がいきなり特別資料庫へ入ることは、まずありません」
「分かりました」
ユリウスはすぐにノートへ書き込んだ。
シュウも同じ情報を記録する。
北の森について調べるにしても、いきなり制限資料へ行けるわけではない。
まず一般資料。
それで十分だ。
昨日だけでも白樹という具体的な手掛かりが見つかったのだから、焦って奥へ進む必要はない。
「ベルン君の質問に関連して、もう一つ覚えておいてください」
オルドが続ける。
「古いものほど価値が高い、という考え方も危険です。古代魔法だから強いとは限りませんし、失われた術式だから現代術式より優れているとも限りません」
数人の学生が意外そうな顔をする。
「現代まで残らなかった理由が、単純に非効率だったからという例もあります。昔は十人で一時間かけて行っていたことを、現在なら一人が短い術式で済ませられる場合もある」
教室から小さな笑いが起こった。
「一方で、現代では再現できない優れた技術も存在します。ですから、古いから優れている、古いから劣っている、どちらも最初から決めないことです」
ユリウスが小さく頷いている。
シュウも、その考え方は好きだった。
分からないものを、最初から決めつけない。
グレイも似た姿勢だった。
学院で教える教師たちは、意外なほど「分からない」と言うことを恐れない。
(先生って、何でも知ってる人じゃないんだな)
前世の学生時代には、教師というものをもっと「答えを知っている側」だと思っていた気がする。
けれど魔法という未知の多い世界では、教師も研究者も、分からないものを調べ続けている。
それが少し面白かった。
「アルヴェイン君」
「はい」
また突然名前を呼ばれた。
今日はよく当てられる。
「今の話を聞いて、古い魔法を調べる際に必要だと思うことを一つ挙げてください」
シュウは少し考えた。
答えを探す。
だが、教科書に書いてある言葉をそのまま返すより、今の自分が感じたことを言えばいい気がした。
「……今の魔法と同じだと思い込まないこと、でしょうか」
オルドが僅かに眉を上げる。
「理由は?」
「昔と今で、魔法の考え方そのものが違っていたなら、今の理論だけで古い記録を読んだら、本来の意味を間違えるかもしれないからです」
教室が少し静かになった。
シュウは自分で言いながら、北の封所を考えていた。
管理。
白樹。
扉。
鐘。
現在の常識だけで意味を決めれば、見落とすものがあるかもしれない。
「良いですね」
オルドが頷く。
「まさにその通りです。現代の言葉と同じ単語が書かれていても、昔は意味が違った可能性があります。特に『封印』『契約』『属性』『魔導具』などは、時代によって定義が変化しています」
シュウはすぐに書き留めた。
――同じ言葉でも意味が違う可能性。
これは覚えておいた方がいい。
北の封所の「封」という字も、自分たちが考える封印と同じ意味とは限らない。
何かを閉じ込める場所なのか。
何かを守る場所なのか。
あるいは、まったく別の役割なのか。
(……また調べたいこと増えたな)
ノートの余白が、少しずつ埋まっていく。
◇
授業の終盤、オルドは一枚の古い術式図を黒板へ貼り出した。
複数の円と線が重なり、その周囲には現在の術式文字とは少し違う記号が並んでいる。
「これは約三百年前に使われていた簡易保温術式です」
教室がざわめいた。
「これで簡易?」
どこかから声が上がる。
「良い反応です」
オルドが笑った。
「現在なら、同程度の保温であればこの程度です」
横へ現代式の術式を書く。
円が一つ。
内部に数本の線と短い記号。
比べると、明らかに簡単だった。
「研究の積み重ねによって、不要な部分が削られ、共通化できる部分が整理されました。皆さんが基礎術式として覚えるものの多くは、こうした長い改良の結果です」
シュウは二つの術式を見比べた。
古い方が格好いい。
見た目だけなら圧倒的に。
《マスター》
『分かってる。言わなくていい』
《中学一年時の記述に――》
『絶対言わなくていい』
《「術式は複雑であるほど強い。円は最低七重、文字は読めない方がよい」とあります》
『何で読めない方がいいんだよ!』
《「理解されぬことこそ神秘」と続きます》
『魔法を何だと思ってたんだ、俺は……』
思わず額を押さえそうになったが、授業中なので耐える。
目の前には、三百年前の複雑な保温術式。
昔の自分なら絶対にこちらを選んだだろう。
だが今なら、簡単な術式で同じ結果を出せるなら、その方が優れている場面も多いと分かる。
必要な魔力量。
発動速度。
再現性。
覚えやすさ。
修正のしやすさ。
魔法の価値は、見た目の格好良さだけでは決まらない。
「次の授業では、古い術式がどのように現在の基礎術式へ整理されていったのか、実例を使って見ていきます」
オルドが本を閉じる。
ちょうど鐘が鳴った。
「今日はここまでです。復習として、現在使われている基礎魔法を一つ選び、『昔はどのような形だった可能性があるか』を考えてきてください。正解を当てる課題ではありません。理由を考えることが目的です」
学生たちから少し困ったような声が上がる。
「想像でいいんですか?」
「根拠のない妄想では困ります。今日学んだ内容を使って考えてください」
シュウは一瞬だけ固まった。
《マスター》
『何も言わないで』
《まだ何も》
『「根拠のない妄想」に反応したでしょ』
《否定はしません》
やはりだった。
◇
短い休み時間になると、教室のあちこちで課題についての相談が始まった。
「何選ぶ?」
エリオットが振り向く。
「俺、《微灯》にしようかな。今日使ったばかりだし」
「僕は《送風》」
ユリウスは既に決めていた。
「早いね」
「風が得意だから、今の術式なら分かる。昔との違いを考えやすい」
「なるほど」
シュウは《微灯》にするつもりだったが、ユリウスの考えを聞いて少し迷う。
自分がよく使う魔法。
現在の仕組みをある程度理解しているもの。
そこから昔を考える方が、確かに課題としてはやりやすい。
「光にしようかな」
「照明?」
エリオットが尋ねる。
「うん。家でもよく使うから」
「シュウ、生活魔法結構使うよな」
「便利だからね」
魔法が存在する世界に十七年も暮らしていれば、わざわざ特別なものとして意識しなくなる。埃を風で飛ばし、火を灯し、光を作ることは、前世で照明や家電を使っていたのと似た感覚になっていた。
だからこそ、その「普通」がどう作られてきたのかを考えるのは面白そうだった。
「次は基礎術式演習だよね」
シュウが時間割を見る。
「今の授業のあとだと、ちょうどいいな」
エリオットも教材を入れ替え始める。
「術式を実際に書くのかな」
「たぶん」
ユリウスの声が少しだけ弾んだ。
「楽しそうだね」
「楽しみ」
分かりやすくなってきた。
表情は大きく変わらないが、ユリウスが本や魔法の話をするとき、ほんの僅かに声が明るくなる。
シュウも次の授業用の冊子を机へ出した。
午前中に魔力そのものを学び、実際に使い、午後にはその歴史を知った。
次は術式を自分で扱う。
授業同士が少しずつ繋がっている。
(学院って、ちゃんと順番考えて授業組んでるんだな)
当たり前なのかもしれない。
それでも、ただ科目が並んでいるだけではなく、一つを知れば次の見え方が変わることが妙に新鮮だった。
◇
休み時間が終わる少し前、教室へ入ってきたのはリディアだった。
「午後最後の基礎術式演習を始めます。机の上には筆記具だけ残してください」
学生たちが慌てて本を片づける。
シュウも魔法史のノートを鞄へ入れた。
リディアは教卓へ小さな木箱を置き、その中から薄い板を取り出す。
一見すると白い石板だが、午前中に使った《微灯》用の訓練板とは違う。表面には何も刻まれておらず、完全に平らだった。
「今日は術式を発動させる前に、『正しく作る』ところから始めます」
補助の学生が列ごとに石板を配っていく。
一人一枚。
さらに細い銀色の棒も渡された。
「これは術式筆です。先端へ少量の魔力を流すことで、練習板へ一時的な術式線を描けます。授業終了後には消去できますので、失敗を恐れず使ってください」
シュウは術式筆を手に取った。
羽根ペンより少し重く、先端には小さな魔石が埋め込まれている。
魔力をほんの少し流す。
先端が淡く光った。
「まだ描かないでください」
リディアの声が飛んできた。
シュウは慌てて魔力を止める。
教室の何ヶ所かでも同じように光が消えた。
「新しい道具を渡すと、説明前に触りたくなる学生が毎年います」
リディアは怒ってはいない。
ただ、完全に予想していた顔だった。
「すみません……」
「壊していませんから構いません。ただし、魔法道具は説明を聞いてから使用してください」
「はい」
《マスター》
『昔の俺の話は要らないよ』
《今回はありません》
『ないんだ』
《代わりに「説明書を読む者は凡人。真の天才は触れた瞬間に全てを理解する」という記述があります》
『あるじゃん!』
種類が違っただけだった。
「では、最初の課題です」
リディアが黒板へ円を一つ描いた。
その中央へ短い縦線。
さらに円の下側へ、小さな開口部のような切れ目を作る。
「これは皆さんも知っている、基礎放出式の最小構成です。魔力を一点へ集め、指定方向へ流すための骨組みになります」
シュウも知っている。
子どものころ、父から何度も書かされた。
「ただし今日は、これを暗記通りに写せるかを見る授業ではありません」
リディアが黒板の円の一部をわざと歪ませた。
「術式は形だけを真似ても動きます。しかし、なぜこの形なのかを知らなければ、条件が変わったときに修正できません」
今朝から何度も聞いているようで、少しずつ違う言葉だった。
魔法を出せるだけではなく、扱う。
術式を覚えるだけではなく、理解する。
使えるだけではなく、なぜ使えるのかを知る。
シュウは術式筆を握り直した。
「まず円を書いてください。ただし、完全な円である必要はありません。重要なのは、魔力が途中で滞留しないよう、線の流れを途切れさせないことです」
教室中で術式筆の先端が光り始めた。
シュウも練習板へ筆を下ろす。
魔力を一定に流しながら、円を描く。
淡い青白い線が残っていく。
半周。
そのまま進む。
終点が始点へ重なる。
小さな円が完成した。
「できた」
隣からエリオットの声がする。
見ると、彼の円は少し歪んでいる。
「形、変じゃない?」
「分かってる。でも先生、完全な円じゃなくていいって言っただろ」
「魔力の線は?」
「たぶん一定……だと思う」
エリオットが触れずに確認する。
確かに、線の明るさは午前中の可視化球ほど揺れていない。
「朝より安定してない?」
「俺も思った」
エリオットの顔が少し明るくなる。
しかし次の瞬間、円の一部が急に強く光った。
「あ」
「今、喜んだでしょ」
「……喜んだ」
「気が抜けた?」
「たぶん」
午前中のシュウと似ている。
上手くいったと思った瞬間に、確認が抜ける。
リディアがちょうど近くを通り、エリオットの板を見た。
「ファーレン君、線の途中で供給量が変わっていますね」
「はい」
「ですが、最初の三分の二は安定しています。今は最後まで同じ量を維持することだけ考えてください。円の形は後です」
「分かりました」
エリオットは一度術式を消し、すぐに二回目へ取りかかった。
シュウも自分の板を見る。
円は綺麗だ。
線の明るさもほぼ一定。
「アルヴェイン君」
「はい」
「あなたは円を描くことに慣れていますね」
「家で練習していました」
「では、少し変えましょう」
また来た。
午前中のミレイと同じだ。
「円を縦長にしてください」
「縦長?」
「はい。ただし機能は同じです」
シュウは一瞬、黒板を見る。
教わった基礎放出式は円形だ。
子どものころから何度も書いている。
「形を変えてもいいんですか?」
「円そのものに意味があると思いますか?」
問い返された。
シュウは練習板を見る。
魔力を一点へ集め、指定方向へ流す。
重要なのは線の流れを途切れさせないこと。
(円だから動くんじゃない。魔力が流れる道を閉じて、一ヶ所から出すための形なんだ)
言葉にすると、今まで知っていたはずのことが少し違って見えた。
「……できます」
「やってみてください」
術式を消し、新しく描く。
今度は縦長。
卵のような形になった。
中央へ縦線。
下側へ開口部。
魔力を流す。
術式全体が淡く光った。
「動いた」
「当然です。形を変えても、必要な役割が維持されていれば術式は成立します」
リディアはシュウの板を指す。
「ただし、今の形は上側で魔力が少し滞留しています。円形より経路が長くなった分、流れに差が出たのでしょう」
よく見ると、上部だけ僅かに光が強い。
「本当だ」
「では、それをどう直すか考えてください」
答えは教えてくれない。
リディアはそのまま次の学生へ向かった。
シュウは縦長の術式を見つめた。
(面白い)
口元が自然に緩む。
教わった形をそのまま使えば、シュウはかなり正確に書ける。
だが形を変えた途端、問題が出た。
今まで自分は、術式を理解していたのではなく、上手に再現できていただけの部分もあるのかもしれない。
《上部経路の魔力抵抗を約――》
『待って』
アルカディアの分析を止める。
《回答を希望しませんか?》
『自分で考えたい』
一瞬の沈黙。
《承知しました》
シュウはもう一度術式を見る。
上部の経路が長い。
そこへ同じ量を流そうとして、僅かに滞留する。
なら。
上へ向かう線を少し広げるのではなく、むしろ流れが止まらないよう緩やかにする。
縦長という条件は変えない。
曲線を少し修正する。
再び魔力を流した。
今度は。
上部の光が先ほどより弱い。
完全ではない。
それでも改善した。
「……できた」
小さく呟く。
自分で考えて直せたことが、妙に嬉しかった。
◇
教室の中では、ほかの学生たちもそれぞれ苦戦していた。
線を綺麗に描こうとするあまり魔力供給が途切れる者もいれば、魔力を流しすぎて術式線が太くなり、隣の線と接触して消去からやり直す者もいる。
フィンは形こそ少し歪んでいたが、魔力供給は安定していた。
「これ、見た目悪くても動くんだな」
自分の術式を見て笑っている。
「最初に先生が言ってたでしょ」
「分かってても、何か綺麗に書きたくなるだろ」
「それは分かる」
シュウも子どものころは、術式が綺麗に書けた方が強いと思っていた時期がある。
実際には、必要な構造が正しく繋がっていることの方が重要だ。
「アルヴェイン君、ラデル君。余裕があるなら二人で交換してください」
リディアの声が飛んでくる。
「交換?」
「相手が描いた術式を見て、問題があると思う場所を一つ探してください。自分の癖は自分では見つけにくいものです」
二人は練習板を入れ替えた。
フィンがシュウの縦長術式を見る。
「何これ」
「先生に形変えろって言われた」
「俺のと違うじゃん」
「機能は同じだよ」
「……本当に?」
「一応動いた」
フィンは疑いながら線を追う。
シュウもフィンの術式を見る。
少し横へ潰れた円。
中央線はまっすぐだが、下側の開口部が僅かに右へ寄っている。
「フィン、ここ」
「どこ?」
「出口が右寄り。発動したら少し右へ流れない?」
「あ」
フィンが自分の板を受け取り、魔力を流す。
練習用の微弱な光が開口部から放たれた。
僅かに右。
「本当だ」
「形は関係ないって言っても、出口の向きは関係あるんだね」
「直す」
フィンはすぐに描き直し始めた。
「シュウのは……」
今度はフィンが縦長術式を見る。
「上の左側、ちょっと明るくない?」
「え?」
シュウは顔を近づける。
先ほど直した上部全体の滞留ばかり見ていたが、確かに左側だけほんの僅かに光が強い。
「……本当だ」
「線の太さ、そこだけ違う気がする」
よく見る。
術式筆を曲げるとき、僅かに速度が落ちたせいで線が太くなっている。
「気づかなかった」
「俺も自分の出口気づかなかったし、お互い様だろ」
フィンが笑う。
学院長の言葉が、また頭をよぎった。
自分以外の人間を知れ。
午前中には相手の得意と苦手を見るという意味で感じたが、今度はもっと直接的だった。
自分では見えないものを、他人なら見つけられる。
「ありがとう」
「こっちも」
二人で板を戻し、修正する。
少し離れたところでは、エリオットとユリウスも互いの術式を見比べていた。
「ユリウス、綺麗すぎない?」
休憩のときに覗くと、シュウは思わずそう言った。
ユリウスの術式は線の太さも間隔も揃っており、教本をそのまま写したように整っている。
「本で何度も見たから」
「見るだけでここまで書ける?」
「家で紙に練習してた」
「魔力なしで?」
「うん」
やはり準備している。
一方のエリオットは形が少し歪んでいるものの、最初より魔力線の明るさがかなり安定していた。
「今度は最後までいけた」
「本当だ」
「形はユリウスに直すところ七個言われた」
「七個?」
「聞かれたから答えた」
ユリウスは悪びれない。
「でも助かった。二回目は四個になった」
「減ってるじゃん」
「次は二個にする」
エリオットの目は真剣だった。
午前中に一度成功を感じたことで、失敗への向き合い方が変わっている。
以前なら「また駄目だった」と落ち込んでいたかもしれない。
今は「次は減らす」と考えている。
シュウはその変化を嬉しく感じたが、言葉にはしなかった。今ここで褒めすぎれば、本人がまた意識して魔力を跳ねさせるかもしれない。
「放課後もやる?」
「やる。術式筆って練習区画で借りられるかな」
「確認しよう」
「僕も借りたい」
ユリウスがすぐに加わる。
「ユリウスも?」
「形を変えたい」
「先生に言われてないのに?」
「シュウの見て面白そうだった」
どうやら興味が移ったらしい。
◇
授業の最後には、全員へ少しだけ難しい課題が出された。
基礎放出式の出口を二つに増やし、流れる魔力を均等に分ける。
ただし、完成形は教えられない。
「これまで説明した役割を使って、自分で考えてください」
リディアがそう告げた瞬間、教室のあちこちから困惑した声が上がった。
「いきなりですか?」
「いきなりです。失敗して構いません」
リディアは黒板の前へ立ったまま、学生たちを見回す。
「正解を写す練習ではなく、術式を考える練習です。発動する必要もありません。どうすれば魔力が二方向へ同じ量だけ流れると思うか、それを形にしてください」
シュウは練習板を見る。
中央へ集めた魔力。
出口は一つ。
それを二つにする。
(単純に出口を二つ付けるだけだと、近い方へ多く流れるかもしれない)
直接的な思考を頭の中で組み立てながら、中央線の位置を見る。
左右対称。
同じ距離。
同じ太さ。
まず思いつくのはそれだった。
円の下部から左右へ同じ角度で出口を作る。
描いてみる。
魔力を流す直前で手を止めた。
発動は禁止ではないが、必要はないと言われている。
構造だけを見る。
「シュウ」
エリオットが小声で呼ぶ。
「何?」
「俺、左右にしたんだけど」
「俺も」
「やっぱり?」
板を見る。
エリオットも似た形だった。
ただし中央線が僅かに左へ寄っている。
「これ、左の方が多くならない?」
「あ」
エリオットが眉を寄せる。
「本当だ。中央から同じ距離じゃない」
「俺も見て」
シュウは自分の板を渡す。
エリオットがしばらく見る。
「……左右の出口、右だけちょっと太い」
「え?」
確認する。
本当だった。
「また線の太さか……」
「お互い様だな」
二人で顔を見合わせて笑う。
少し離れたユリウスは、出口を上下へ作っていた。
「何で上下?」
シュウが尋ねる。
「二方向なら左右じゃなくてもいいと思った」
「確かに」
「距離は同じ」
「それ、先生に見せてみようよ」
リディアが回ってきたところで、三人はそれぞれの板を見せた。
「方向が違っても構いません」
ユリウスの上下型を見て、リディアは頷く。
「重要なのは、二つの経路が同じ条件になっているかです。ただし、実際の魔法へ組み込む場合は、発動者の身体位置や対象方向も考える必要があります」
続いてエリオットの板。
「中央線を修正したのは良いですね。最初から正解を書くより、自分で問題に気づいて直した経験の方が残ります」
最後にシュウ。
「アルヴェイン君は、また線の太さですね」
「はい……」
「制御そのものは高いですが、形へ意識を向けると筆の速度が変わっています。魔力だけでなく、手の動きも含めて一定にする必要があります」
「分かりました」
午前中とは違う弱点が見つかった。
魔力制御は高い。
それでも術式を書くときには、手の速度という別の要素が加わる。
得意だから終わりではない。
また練習することが増えた。
「面白い?」
リディアが突然尋ねた。
「え?」
「先ほどから失敗するたびに楽しそうなので」
午前中も似たことを言われた。
どうやら本当に顔へ出ているらしい。
「……はい。面白いです」
「それなら結構です。ただし、面白いからといって寮の壁へ術式を書かないように」
「書きませんよ!?」
教室から笑いが起こった。
「毎年一人くらいいます」
「いるんだ……」
「今年はあなたでないことを願います」
「絶対やりません!」
また笑いが広がった。
《マスター》
『絶対に言うなよ』
《中学二年時、マスターの自室の壁には――》
『言うなって言ったよね!?』
《事実確認のみです》
『確認しなくていい!』
前世の実家の壁へ、黒いペンで魔法陣らしきものを書いた記憶が蘇りかける。
母親に怒られた。
かなり怒られた。
あの記憶は封印しておきたい。
◇
授業終了の鐘が鳴ると、教室の空気が一気に緩んだ。
リディアの指示で術式筆へ流す魔力を止め、練習板の端にある消去用の小さな印へ触れる。描いた術式が淡い光となって消えていくのを確認してから、学生たちは道具を順番に返却していった。
「次回は今日の基礎放出式を使い、実際に微弱な魔力を二方向へ分けます。今日描いた形を覚えておく必要はありません。むしろ、自分がどこで失敗したかを覚えておいてください」
リディアは最後にそう告げた。
「成功した形じゃなくて?」
誰かが尋ねる。
「成功した理由が分からなければ、次に失敗したとき直せません。失敗した場所が分かっているなら、少なくとも一つは直す場所を知っていることになります」
シュウは自分の右手を見る。
線を曲げるときに、術式筆の速度が僅かに落ちる。
それが今日見つけた自分の癖だった。
(覚えておこう)
実技では、慣れによる油断。
術式では、形へ意識を向けたときの手の速度。
測定結果だけを見れば「制御が高い」で終わってしまう。
だが実際に授業を受ければ、その中にも細かな課題はいくらでもある。
面白い。
本当にそう思った。
「シュウ、行く?」
エリオットが鞄を持って立っている。
「うん。練習区画だよね」
「中央広場で二人と合流」
「図書館はそのあと」
ユリウスも準備を終えていた。
「覚えてるよ」
「シュウだから確認した」
「俺、そんなに忘れっぽい?」
エリオットとユリウスが同時にこちらを見る。
「……何で黙るの?」
「手紙」
エリオットが言う。
「昨日書いて今朝出すの忘れた」
ユリウスが補足する。
「今日出したからいいでしょ!」
「薬も忘れるって言ってた」
「今日は持ってきてる!」
「なら大丈夫」
ユリウスが頷く。
「何か納得いかない……」
三人で教室を出る。
午後の授業を終えた学生たちが廊下へ流れ出し、中央講義棟は昼休みとは違う賑わいに包まれていた。部活動らしき勧誘の紙を持つ上級生も見え、窓の外では実技場へ向かう学生や寮へ戻る学生がそれぞれの方向へ歩いている。
春の日はまだ高い。
授業が終わっても、一日は終わらない。
「図書館で調べたいもの増えた」
階段を下りながらシュウが言う。
「白樹?」
ユリウスが尋ねる。
「それも。古い術式の維持方法とか、昔の『封』って言葉が今と同じ意味だったのかとか」
「封?」
エリオットが聞き返す。
シュウは一瞬だけ迷った。
北の森のすべてを話すつもりはない。
地下の扉や「帰ってきた」という声、アルヴェイン家の古い記録まで説明すれば、家の事情へ深く踏み込むことになる。
「家の領地に古い建物があってさ。昨日調べた白樹が使われてるかもしれないんだ」
「それで?」
「昔の記録に、ちょっと意味が分からない言葉が残ってる。今日の授業で、昔と今で同じ言葉でも意味が違うことがあるって聞いたから、調べてみようかなって」
嘘ではない。
話していないことが多いだけだ。
ユリウスはそれ以上踏み込まず、少し考えるように視線を下げた。
「古語辞典か、魔法史の用語集があるかもしれない」
「そういうのもあるの?」
「たぶん。図書館で探す」
「ありがとう」
「僕も読みたいから」
やはりユリウスらしい。
エリオットも深く聞かなかった。
「じゃあ練習して、そのあと図書館?」
「うん」
「何時まで開いてる?」
「通常書架なら夕方の鐘のあともしばらく開いてたはず」
ユリウスが即答する。
「何で知ってるの?」
「昨日確認した」
「本当に図書館好きだね」
「好き」
迷いがない。
中央講義棟の正面玄関を出ると、午後の風が制服の裾を揺らした。
広場の向こうでは、既にダンがこちらへ手を振っている。その隣にはセシリアもおり、二人とも鞄を持ったまま待っていた。
「遅いぞー!」
「普通に授業終わってから来たんだけど!」
シュウが返す。
「俺たちの方が早かった!」
「教室が近いだけでしょう」
セシリアが横から訂正した。
五人が揃う。
「よし、行こうぜ!」
ダンが実技場の方向へ歩き出そうとする。
「待って」
エリオットが止めた。
「何だよ」
「練習区画がどこか知ってる?」
ダンの足が止まる。
「……実技場の近く?」
「知らないんじゃん」
「だいたい合ってるだろ!」
「案内板を確認しましょう」
セシリアが中央広場の掲示板へ向かう。
シュウは笑いながら、そのあとを追った。
午前中には授業で小さな火を三回揃えようとしていた。
午後には、昔の魔法が今とは違う考え方で作られていたことを知り、覚えていたはずの術式にも理解していない部分があると気づいた。
そして今から、自分たちで練習する。
(学院に来る前は、もっと派手な魔法ばかり習うと思ってたな)
強力な攻撃魔法。
空を覆うほどの大術式。
魔物との模擬戦。
もちろん、いつかそういう授業もあるのだろう。
けれど今は、同じ小さな火を出すことや、線一本の太さを揃えることが面白い。
知らないことを知るたび、自分が持っている力の見え方まで少しずつ変わっていく。
《マスター》
『何?』
《午前中より、学院生活への満足度が上昇しているものと推測します》
『そんなのまで分かるの?』
《表情、発言頻度、歩行速度等からの推定です》
『……俺、そんなに分かりやすい?』
《はい》
即答だった。
シュウは少しだけ肩を落とした。
『もうちょっと迷ってよ』
《不正確な回答は推奨されません》
『そうですか……』
それでも、嫌な気はしなかった。
広場ではダンが案内板を見ながら「ここじゃないか」と指を差し、セシリアが「そこは上級生用です」と訂正している。エリオットは二人の横から別の区画を探し、ユリウスは既に学院案内図を開いていた。
シュウもその輪の中へ入る。
まだ自分の魔法について知らないことは多い。
漆黒魔力の正体も、アルカディアが何なのかも、北の森で眠っているものも分からない。
けれど、分からないことを一度に全部解決する必要はない。
今日知ったことを一つずつ確かめていけばいい。
昔の魔法を知ることで、今の魔法が少し見えた。
今の魔法を知っていけば、いつか自分だけの奇妙な力についても、何か見える日が来るかもしれない。
「シュウ、こっち!」
エリオットに呼ばれ、シュウは顔を上げた。
「練習区画、分かった?」
「たぶん。第一学生練習区画ってところ」
「今度こそ合ってる?」
「案内図に書いてあるから大丈夫」
「よし!」
なぜかダンが一番大きな声で喜ぶ。
「ダンは何もしてないでしょう」
「一緒に探してただろ!」
「上級生区画を指していましたけれど」
「細かいことはいいんだよ!」
五人の声が重なり、春の午後の中央広場へ溶けていく。
シュウは鞄の肩紐を直しながら、皆と並んで歩き出した。
授業は終わった。
けれど今日の勉強は、まだ終わりそうになかった。




