第25話 学院生活は、魔法の授業だけではありません
三組の教室へ戻ると、既に半分ほどの席が埋まっていた。
先ほどまで第二実技場で一緒だった学生たちも、それぞれ友人と実技の結果を話している。誰かが《微灯》を大きくしすぎた、誰かは水を全部こぼしたといった話があちこちから聞こえ、教室には授業前とは思えないほど賑やかな空気が満ちていた。
「お、アルヴェイン」
自分の席へ向かおうとしたシュウへ、フィンが手を上げる。
「さっきの《送風》、ありがとな。手を離したら本当にやりやすかった」
「俺も思いつきで言っただけだけどね」
「上手くいったなら正解だろ。次も分からなかったら聞くわ」
「俺が分かることなら」
そう答えると、フィンは満足そうに自分の席へ戻っていった。
シュウも鞄を机の横へ置き、椅子へ座る。実技で身体を激しく動かしたわけではないのに、長く集中していたせいか、座った瞬間に肩から少し力が抜けた。
「疲れた?」
隣の席からエリオットが尋ねてくる。
「ちょっとだけ。でも嫌な疲れ方じゃないかな」
「分かる。俺も頭の方が疲れた」
「制御ずっと気にしてたもんね」
「今も気にしてる」
そう言いながら、エリオットは机の上で右手の指をゆっくり開閉していた。実際に魔力を出しているわけではないようだが、《微灯》を小さく保ったときの感覚を忘れないようにしているらしい。
少し離れた席では、ユリウスが既に実技記録用紙へ何かを書き足している。
覗き込むのは悪いと思ったが、本人が隠す様子もないため、シュウは通りがかりに少しだけ視線を向けた。火、水、風、土という四つの項目の横に、発動までの感覚や魔力の調整しやすさが細かな文字で並んでいる。
「そこまで書くの?」
「忘れるから」
ユリウスは顔を上げずに答えた。
「今日の感覚を?」
「うん。次に同じことをしたとき、今日と違うかもしれない」
「違ったら?」
「何で違ったか考える」
「……本当に研究者みたいだね」
「まだ学生」
「そういう意味じゃないよ」
ユリウスがようやく顔を上げたところで、教室の前方の扉が開いた。
入ってきたのは、シュウたちの担任であるリディア・フェルンだった。
濃い茶色の髪を後ろでまとめ、今日も黒い長衣を身につけている。片手には何冊かの薄い冊子を抱えており、もう一方の手には細身の杖ではなく、数枚の紙が握られていた。
「席についてください。基礎実技の直後ですから話したいこともあるでしょうが、続きは休み時間に」
騒がしかった教室が少しずつ静かになる。
リディアは教卓へ冊子を置くと、黒板へ大きく文字を書いた。
――王国基礎教養。
「時間割には一般教養とありますが、一年次のこの時間では、王国の制度、地理、法、身分制度、学院生として最低限知っておくべき社会常識などを扱います」
シュウは少しだけ姿勢を正した。
魔法の授業ではない。
だが、旅に出たいと思っている自分にとって、むしろ知らなければ困る内容かもしれなかった。
「魔法学院へ入ったのだから魔法だけ学べばいい、と思っている人もいるかもしれません」
リディアの視線が教室を巡る。
何人かが僅かに目を逸らした。
「ですが、皆さんが将来どの道へ進むとしても、王国の中で生きていく以上、知らなかったでは済まされないことがあります。冒険者になるなら、領境や街道、依頼に関わる法を知る必要があります。騎士や官吏を目指すなら、当然それ以上の知識が必要です」
そこで一度言葉を切り、リディアは机の上に置いた冊子を持ち上げた。
「研究者であっても同じです。新しい魔導具を作ったからといって、許可なく街中で試していいわけではありません」
教室の後方から小さな笑いが起きる。
「実際に過去、やった学生がいます」
笑いが少し大きくなった。
「笑っていますが、商店街の窓を十七枚割っています」
今度は別の意味でざわめいた。
「本人は『風圧を計算したつもりだった』と主張しましたが、割れた窓は計算では戻りません。皆さんは同じ失敗をしないようにしてください」
シュウは妙に納得した。
《マスター》
『言わなくていいからね』
《まだ何も申し上げておりません》
『絶対、昔の俺の何かを出そうとしたでしょ』
《「帝都における魔導兵器の試射場は市街地中央に置く。民に王の力を――」》
『やっぱりあった!』
最後まで聞く前に止めた。
なぜ中学生の自分は、架空の国の都市計画にまで口を出していたのだろう。しかも内容からして、安全性という概念がかなり怪しい。
「アルヴェイン君」
「はい!」
突然名前を呼ばれ、シュウは反射的に返事をした。
リディアがこちらを見ている。
「今の話について、何か質問がありますか?」
「い、いえ。大丈夫です」
「そうですか」
特に追及されることなく、授業は続いた。
隣を見ると、エリオットが怪しそうな目を向けている。
「何?」
「今、また何か考えてただろ」
「授業のことだよ」
「本当に?」
「本当に」
嘘ではない。
授業から派生して、十四歳くらいの自分が作った危険な帝都について考えていただけだ。
◇
配られた冊子の最初に載っていたのは、王国全体を簡略化した地図だった。
王都を中心として主要街道が伸び、その先にいくつもの地方都市や領地が記されている。細かな村までは載っていないが、シュウの故郷がある北部地方も大きく区分されていた。
「一年次で全領地の詳細を暗記する必要はありません。ただし、主要な地方区分と街道、国境、王都から見た方角くらいは覚えてください」
リディアが壁へ大きな地図を広げる。
「では、北部地方について。誰か、特徴を一つ挙げられますか?」
数人の手が上がった。
シュウも知っていることは多いが、わざわざ答える必要もないだろうと思っていると、前方の学生が指名された。
「冬が長く、南部より気温が低いです」
「そうですね。ほかには?」
「林業が盛んです」
「それも正解です。地域によって差はありますが、北部では森林資源が重要な産業になっています」
白樹。
その言葉が、シュウの頭へ自然に浮かんだ。
昨日、図書館で読んだ『特殊建築材料と魔力保持』には、白樹は寒冷地域で育つ白い樹皮を持つ木だと書かれていた。外部から与えられた魔力を保持しやすく、古い結界や魔力安定化の補助材として利用された例がある。
そして、魔力は永遠には残らない。
定期的な補充が必要になる。
北の森にある古い小屋。
アルヴェイン家へ代々伝わっていた「北の封所」の管理。
エドワルドからグレゴル、アーネスト、アルベルトへ続いた記録と、その先で途切れてしまった可能性のある引き継ぎ。
まだ何も確定していない。
白樹の小屋へ定期的に魔力を与えることが、本当に「管理」の一部だったのかも分からない。
それでも、父には伝えておきたい。
「……あ」
シュウは小さく声を漏らした。
隣のエリオットがこちらを見る。
「どうした?」
「手紙」
「手紙?」
「昨日書いたのに、出すの忘れてた」
昨夜、家族への手紙を書いた。
入学式が無事に終わったこと。
同室になったエリオットのこと。
学院で知り合った友人たちのこと。
測定で五属性に適性が出たこと。
そして図書館で見つけた白樹についての情報。
今朝、学院内の郵便受付から出すつもりだったのに、初授業へ意識が向きすぎて完全に忘れていた。
「急ぎ?」
エリオットが小声で尋ねる。
「今日中に出せば大丈夫だと思う。でも昼休みに出してくる」
「郵便受付なら中央棟の一階じゃなかった?」
「知ってるの?」
「案内図にあった」
「本当に案内図読み込んでるね」
「迷いたくないから」
昨日から何度聞いたか分からない理由だった。
それでも今のシュウには非常にありがたい。
「ありがとう。昼に寄ってみる」
短いやり取りを終え、授業へ意識を戻す。
リディアは北部から西部へ話を移していた。
西部は大河を利用した交易が盛んで、南部は穀倉地帯が広い。東部には鉱山地帯があり、魔導具に使われる鉱石の一部もそこで採掘されるという。
シュウも家庭教師や父から基礎的な地理は教わっていたが、学院の授業では領地単位ではなく、王国全体の物流や街道まで含めて説明される。
どこで何が作られ。
どの道を通って。
どこへ運ばれるのか。
地図上の土地が少しずつ繋がっていく。
「面白いな……」
思わず呟くと、エリオットがこちらを見た。
「こういうの好き?」
「旅するとき役立ちそうだから」
「ああ。シュウ、冒険者になりたいんだっけ」
「うん。学院を卒業したらね」
今すぐではない。
まずはここで学ぶ。
そのあと仲間と一緒に冒険者になり、いろいろな土地を見て回りたい。
前世では仕事と家を往復する日々が多かったからこそ、この世界では自分の足で知らない場所へ行ってみたいという気持ちは今も変わっていない。
「北から出たこと、あまりない?」
「王都に来るまでなら何ヶ所か寄ったけど、それまでは領地の周辺くらいかな」
「じゃあ王都も初めてだったんだ」
「うん」
「俺も行ったことない地方多いな」
エリオットも地図を見る。
「南部とか行ってみたい。冬でも結構暖かいらしいし」
「寒いの苦手?」
「朝が寒いと布団から出たくない」
「今朝も出てこなかったじゃん」
「あれは寒さ関係ない」
「もっと駄目じゃない?」
小声で笑っていると、前から視線を感じた。
二人揃って顔を上げる。
リディアがこちらを見ている。
「楽しそうですね」
「すみません」
「すみません……」
二人同時に謝った。
「地理へ興味を持つのは結構ですが、話すなら授業のあとにしてください」
「はい」
今度こそ黙る。
少し離れた席で、ユリウスがこちらを見ていた。
目が合う。
ほんの少しだけ口元が上がった。
笑われた。
◇
授業の後半は、王国内を移動するときに最低限必要となる制度の説明へ移った。
領地を跨ぐだけなら、基本的に特別な許可は必要ない。ただし一部の国境地域や軍事施設周辺、危険な魔物が生息する封鎖区域などでは、通行証や身分確認を求められる場合があるという。
冒険者についても触れられた。
「冒険者ギルドへ登録すれば、何でも自由にできると思わないでください」
リディアが黒板へ「冒険者資格」と書く。
「ギルドは依頼の仲介、身分証明、報酬管理などを行いますが、王国法より上に存在する組織ではありません。依頼だからといって他人の土地へ勝手に入ることも、許可なく危険物を運ぶこともできません」
シュウは少し前のめりになった。
冒険者については憧れの方が先にあり、実際の制度について詳しく調べたことはまだ少ない。
「学院卒業者だから特別扱いされるんですか?」
別の学生が手を上げる。
「登録時の一部確認が簡略化される場合はあります。また、学院で特定の実技課程を修了していれば、その記録が能力証明として参照されることもあります」
教室が少しざわめく。
「ただし、学院を卒業しただけで高位冒険者になれるわけではありません。実際の等級や昇格については、ギルド側の規定と実績によって判断されます」
当然といえば当然だ。
魔法学院を卒業したからといって、魔物との実戦経験まで自動的についてくるわけではない。
「卒業したら、すぐ登録するの?」
エリオットが小声で聞いてくる。
「そのつもり」
「決めてるんだ」
「そこは結構前から」
「誰かと組む予定は?」
シュウは少しだけ考えた。
「まだ決めてないよ」
これは本当だった。
ダンやセシリア、ユリウス、エリオットと一緒にいる時間は楽しい。けれど、まだ出会って数日しか経っていないし、全員が卒業後に冒険者を目指すとも限らない。
今の関係を、未来まで勝手に決めるつもりはなかった。
「学院で仲間ができたらいいな、とは思ってるけど」
「そっか」
エリオットはそれだけ答えた。
何か続けるのかと思ったが、そのまま前を向く。
シュウも深く考えず、再び授業へ集中した。
その後は王都内での魔法使用規則について説明された。
日常生活で使う小規模な生活魔法まで禁止されているわけではないが、人通りの多い場所で攻撃魔法を放つことは当然禁止されている。訓練についても学院内や公的な訓練場、許可された私有地などを利用する必要があるという。
「だからさっきガルド先生が寮で練習するなって言ってたのか」
エリオットが納得したように呟く。
「水くらいなら大丈夫そうだけどね」
「部屋ではやらないぞ」
「分かってるよ」
「シュウが言い出したんだからな」
「最初に水って言ったのエリオットだからね?」
二人でまた言い合いそうになり、今度はリディアに見られる前に自分たちで止めた。
◇
授業終了の鐘が鳴った。
「今日はここまでです。次回は王都と主要都市の行政区分について扱います。配布した地図は持ってきてください」
リディアが教材をまとめる。
「それから、学院内の規則も王国法も、知らなかったから無効になるものではありません。分からないことがあれば勝手に判断せず、教員か担当職員へ確認するように」
最後の注意を残し、リディアは教室を出ていった。
途端に、教室の空気が緩む。
「腹減った……」
どこかから声が聞こえた。
ダンではない。
シュウは思わず笑ってしまった。
「何?」
エリオットが尋ねる。
「いや、ダンみたいな人、ほかにもいるんだなって」
「そりゃいるだろ」
鞄を持って立ち上がる。
次は昼休みだ。
「中央広場だったね」
「うん」
ユリウスも席から立ち、三人で教室を出る。
廊下は同じように昼食へ向かう学生たちで一気に混み始めていた。食堂へ直行する者もいれば、中庭へ向かう者、購買へ走ろうとして教員に注意される者もいる。
「郵便受付、先に行っていい?」
シュウが尋ねる。
「もちろん」
「中央広場へ行く途中だし」
エリオットとユリウスが頷く。
三人で階段を下り、一階へ向かった。
学院の郵便受付は中央講義棟の正面玄関から少し外れた場所にあり、小さな窓口と木製の投函箱が設置されていた。学院生はここから王都内だけでなく、各地方へ手紙を送れるらしい。
窓口の横には、地方別のおおよその配達日数が掲示されている。
「北部は……」
シュウが指で追う。
王都から主要都市まで数日。
そこから各領地へ分配されるため、場所によってさらに日数がかかる。
実家までなら、すぐに届くわけではない。
「持ってきてる?」
エリオットに聞かれ、シュウは鞄を開いた。
「ちゃんと入れた。薬と一緒に確認したから」
「今日は薬も忘れてないんだ」
「二日連続です」
「自慢するところ?」
「俺にとっては大事なの」
鞄の内側から封筒を取り出す。
昨夜書いた手紙だ。
宛名をもう一度確認する。
父、母、兄。
三人の顔が自然に浮かんだ。
王都へ来てから、まだそれほど日数は経っていない。それでも学院で起きたことが多すぎて、故郷で過ごしていた時間が少し前のことのようにも感じる。
《内容の再確認を推奨しますか?》
アルカディアが尋ねる。
『いや、大丈夫。昨日確認したから』
測定結果については書いた。
五属性に明確な適性があり、闇属性は保留になったことも、変な反応があったことも必要以上に隠していない。
白樹についても、あくまで図書館で見つけた一般資料の情報であり、北の森の小屋と関係があるとはまだ断定できないと書いた。
それでいい。
今の自分が分かっている範囲を伝える。
その先を調べるのは、父たちだ。
「お願いします」
窓口で必要な料金を払い、手紙を渡す。
職員が宛先を確認し、地方別の箱へ入れた。
それだけだった。
特別な音も、光もない。
けれど、シュウは箱の中へ消えた封筒を少しだけ見つめた。
「これで届くね」
エリオットが言う。
「うん」
「家族に?」
「父さんと母さんと兄さん」
「仲いいんだな」
「いいと思う」
昨日、図書館でも似た話をした。
そのときエリオットは、ほんの少しだけ羨ましそうに「いいな」と言っていた。
シュウはそのことを覚えていたが、理由までは聞いていない。
今も聞かなかった。
話したくなったら本人から話すだろうし、出会ったばかりの相手へ無理に踏み込む必要はない。
「返事、楽しみ?」
「もちろん。父さんなら白樹のことも調べてくれると思う」
「昨日見つけた本の?」
「うん。ただ、本当に関係あるかはまだ分からないけどね」
「分からないから調べる」
ユリウスが言った。
シュウは笑う。
「昨日も聞いた気がする、それ」
「大事だから」
「そうだね」
手紙は出した。
これで今できることの一つは終わった。
北の森のことが気にならなくなったわけではない。白樹の小屋が本当に何をしているのか、森の底に何があるのか、自分へ「帰ってきた」と伝えてきたものが何なのか、知りたいことはいくらでも残っている。
けれど、王都にいるシュウが焦っても仕方がない。
故郷では父や兄たちが森を見ている。
自分は学院で学ぶ。
そして何か分かったら伝える。
今はそれでいい。
◇
中央広場へ着くと、ダンが噴水の近くで大きく手を振っていた。
「遅い!」
「手紙出してたんだよ」
「手紙?」
「家族に」
「ああ、昨日書くって言ってたやつか」
ダンの隣にはセシリアもいる。
彼女はシュウたち三人が揃ったことを確認すると、食堂の方向へ視線を向けた。
「先ほど見てきましたが、かなり混んでいました」
「やっぱり?」
「購買も列ができています」
「じゃあどうする?」
五人で顔を見合わせる。
腹が減ったと言っていたダンは、既に待ちきれない顔をしていた。
「並ぶ!」
「結局そこなんだ」
「食べない選択肢はないだろ!」
「それはそうですけれど」
セシリアが苦笑する。
「食堂の列、昨日よりは流れてたよ」
エリオットが言った。
「じゃあ食堂行こう」
シュウが決めると、ダンが真っ先に歩き始めた。
「よし!」
「走らないでくださいね」
「分かってるって!」
そう答えながら早足になっている。
「速歩きならいいのかな」
シュウが呟く。
「たぶん」
エリオットも笑った。
五人で食堂へ向かう。
入学したばかりで、まだ知らないことばかりだ。
クラスも違う。
得意な属性も違う。
卒業したあとに進みたい道だって、おそらく同じではない。
それでも今は、授業が終われば自然に集まり、一緒に昼食を食べようとしている。
シュウはそのことを、少しだけ嬉しく思った。
◇
予想通り食堂は混んでいた。
ただ、席の回転は早く、五人が料理を受け取るころには窓際の六人掛けの卓が一つ空いた。
「取った!」
ダンが真っ先に席を確保する。
「席は逃げませんよ」
セシリアが呆れながら向かいへ座った。
今日の昼食は、柔らかく煮込まれた肉と根菜のシチュー、焼きたての丸パン、それに葉野菜のサラダだった。学生向けだからか量はそれなりに多く、実技のあとにはありがたい。
「いただきます!」
ダンが勢いよく食べ始める。
「早いなあ」
シュウはパンをちぎりながら笑った。
「腹減ってたからな。一般教養の途中からずっと昼飯のこと考えてた」
「授業を聞いてください」
「聞いてたよ。東部は鉱山!」
「それだけですか?」
「南部は畑!」
「大雑把すぎます」
セシリアがため息をつく。
「でも間違ってはいない」
ユリウスがシチューを口へ運びながら言った。
「ユリウス、そこ助けなくていいですよ」
「事実だから」
「ほら!」
「ダンも威張らないでください」
昨日までは、こうして五人で食事をすること自体がまだ少し新鮮だった。
今日はもう、誰がどこへ座るか相談することすらなかった。
ダンがセシリアに注意され、ユリウスが淡々と事実を挟み、エリオットが横で笑っている。シュウも自然にその会話へ加わっている。
「二組の王国史はどうだった?」
シュウが尋ねる。
「建国初期の話でした」
セシリアが答える。
「まだ導入ですけれど、王家と各地方の有力貴族がどういう経緯で現在の統治制度になったのかを学ぶそうです」
「俺、途中で人の名前多すぎて分からなくなった」
ダンが正直に言う。
「まだ四人しか出ていません」
「四人も出た」
「たった四人です」
「戦った人なら覚えられるんだけどな」
「全員政治家です」
「じゃあ難しい」
「何でですか」
また二人のやり取りが始まる。
シュウは笑いながらシチューを食べ、ふと朝からの授業を振り返った。
魔力とは何かを学んだ。
自分の漆黒魔力が既存の理論では簡単に分類できないと知った。
基礎実技では、小さな火や風、水を扱うだけでも制御の仕方に大きな違いが出ることを知った。
一般教養では、これから旅をするなら魔法以外の知識も必要だと知った。
そして昼休みには、昨日書いた手紙をようやく家族へ送った。
まだ一日の半分ほどしか経っていない。
それなのに、学院へ来る前には知らなかったことが、もういくつも増えている。
「シュウ、午後って何だっけ?」
ダンに聞かれ、シュウは時間割を取り出そうとした。
「ちょっと待って。今度こそ自分で見る」
「そこ意地になるところ?」
エリオットが笑う。
「昨日からエリオットに教えてもらってばっかりだから」
鞄から折り畳んだ時間割を取り出す。
指で今日の欄を追った。
「午後は……三組は魔法史入門。そのあと基礎術式演習」
「二組は?」
ダンが身を乗り出す。
「自分の時間割見なよ」
「あ」
「持ってないの?」
「持ってる!」
慌てて鞄を探り始めるダンを見て、全員が笑った。
「ありました!」
「よかったですね」
「セシリア、絶対馬鹿にしてるだろ」
「していませんよ」
「ちょっと笑ってる!」
「気のせいです」
昼休みの食堂は騒がしい。
周りにも同じように友人同士で笑っている新入生がいて、上級生たちは慣れた様子で午後の予定を話している。
昨日までなら、その全部が自分とは少し離れた景色に見えていた。
今日は違う。
自分も、その中にいる。
《マスター》
アルカディアが呼ぶ。
『どうしたの?』
《現在の状況を、過去の記述と比較してもよろしいでしょうか》
『嫌な予感しかしないけど……一応聞く』
《中学二年時の学園設定では、マスターは入学初日に全校生徒から畏怖され、昼食は「孤高なる王に群れは不要」として屋上で一人――》
『もういい』
《まだ途中ですが》
『十分です』
危なかった。
危うく昼食まで黒歴史に侵食されるところだった。
『というか、今の方が絶対いいからね』
《五名での食事を指していますか?》
『うん』
ダンが自分の時間割を見つけて喜んでいる。
セシリアが「なくしたわけではないでしょう」と笑い、ユリウスは午後の授業名を確認しながら食事を続けている。エリオットはパンを食べ終えたあとも、右手の指を小さく動かして実技の感覚を確かめていた。
『一人で格好つけて屋上にいるより、こっちの方がいい』
アルカディアから、すぐには返事が来なかった。
ほんの僅かな間。
《承知しました》
それだけだった。
以前なら、「当時のマスターはそう記述しています」と事実だけを返していたかもしれない。
シュウは少しだけ不思議に思ったものの、問い直さなかった。
「シュウ」
「ん?」
「パン食べないならもらっていい?」
ダンがこちらを見ている。
「食べるよ!」
「ずっと持ったまま止まってたから」
「考え事してただけ!」
「じゃあ食べるんだな」
「食べます」
「残念」
「自分の分食べたでしょ」
「もうない」
見ると、本当に皿が空だった。
「早すぎるって」
呆れながら、シュウは残っていたパンをシチューへ浸した。
午後には、また知らない授業が待っている。
放課後になれば、エリオットやユリウスと練習区画を見に行く約束もした。図書館にも行きたいし、借りた本の続きを読みたい。
やりたいことが増えていく。
学院へ来る前は、自分の秘密をどう隠すかという不安も大きかった。
今も、その不安が消えたわけではない。
漆黒魔力については、グレイと改めて調べることになるかもしれない。昨日の測定で現れた、六属性のどれとも一致しない小さな反応についても何も分かっていない。
北の森の謎も残っている。
アルカディア自身についても、知らないことは多い。
それでも、そればかり考えて学院生活を過ごす必要はないのだろう。
普通の授業を受ける。
友人と失敗を笑う。
分からないことを調べる。
昼になれば一緒に飯を食べる。
そういう毎日の中で、自分の力についても少しずつ知っていけばいい。
焦る必要はない。
今朝、グレイが言った通りだった。
普通を知らなければ、自分がどこで普通と違うのかも分からない。
シュウはシチューの最後の一口を食べ、空になった皿へスプーンを置いた。
「よし」
「何が?」
エリオットが尋ねる。
「午後も頑張ろうかなって」
「急に真面目だな」
「俺、ずっと真面目だよ?」
「それはどうだろう」
「何で!?」
ダンが笑い、セシリアも小さく口元を緩める。
ユリウスだけは少し考えてから答えた。
「真面目な方だと思う」
「ほら!」
「たまに変だけど」
「ユリウスまで!?」
五人の笑い声が、昼休みの食堂の喧騒へ混ざっていく。
王立魔法学院での生活は、まだ始まったばかりだった。
強い魔法を覚えることだけが学院生活ではない。
知らない土地を知り、知らない制度を知り、自分とは違う誰かの得意と苦手を知る。そして、自分自身についても、今まで知っているつもりだったことを一つずつ学び直していく。
その先に何が待っているのかは、まだ分からない。
けれどシュウは、分からないことが昨日より少しだけ楽しみになっていた。




