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『黒歴史ノートが異世界で最強の魔導書になっていました』  作者: 伊佐波瑞樹


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第20話 今日から、王立魔法学院の学生です

 王立魔法学院の入学式当日。


 シュウが目を覚ましたとき、三一七号室の窓から差し込む朝日はまだ薄く、昨日まで旅の宿で聞いていた馬車の音も、アルヴェイン邸で聞き慣れていた使用人たちの足音もなかった。その代わり、廊下の向こうから何人もの少年が行き来する気配と、少し遠くから食堂の準備をしているらしい食器の音が届いている。


 寝台の中で何度か瞬きをしたあと、シュウは自分がどこにいるのかを思い出した。


 王立魔法学院。


 男子第一寮。


 三一七号室。


 そして今日は、入学式だ。


「……朝か」


《おはようございます、マスター》


 意識の奥へ届いたアルカディアの声は、昨日決めた通り控えめだった。学院内では危険や能力管理上の必要事項を優先し、それ以外の会話は少し減らすことになっている。


「おはよう」


 小さな声で返してから身体を起こす。


 向かい側の寝台を見ると、エリオットはまだ布団に包まれていた。昨夜は「あと三頁」と言いながら読書を続けようとしていたため、シュウが本を閉じさせたのだが、それでも寝つくまで少し時間がかかったらしい。


 壁の時計へ目を向ける。


 午前六時十五分。


 待ち合わせは八時。


 朝食を食べ、制服へ着替え、持ち物を確認しても十分間に合う。


「よし」


 寝台から降りようとしたところで、足元に何かが当たった。


 本だった。


「……何で?」


 拾い上げる。


 昨夜エリオットが読んでいた本ではない。


 『王国魔術理論史・基礎編』。


 エリオットの寝台を見る。


 枕元にも一冊。


 机にも積まれている。


「エリオット」


「……ん」


「本、落ちてるよ」


「……本は……落ちるもの……」


「寝ぼけてる?」


「……術式は……落ちない……」


「何言ってるの?」


 返事がなくなった。


 シュウは数秒待ったあと、思わず笑う。


《エリオット・ファーレンの発言について、論理的意味は確認できません》


『寝言を分析しなくていいよ』


《承知しました》


 拾った本を机へ置き、洗面の準備をする。


 昨日までなら、朝の身支度を始めればハンスが薬を確認しに来た。


 今日は来ない。


 父も。


 母も。


 兄も。


 誰もいない。


 シュウは鞄を開け、自分で薬を確認した。


「……よし」


《確認しました》


「今日は言われる前にやった」


《昨日も同様でした》


「じゃあ二日連続」


《継続を推奨します》


 少し笑いながら、シュウは窓を開けた。


 春の冷たい空気が部屋へ流れ込む。


 眼下には第一寮の庭があり、既に制服姿で歩いている新入生が何人か見えた。向こうには学院の時計塔が朝日に照らされ、そのさらに奥には王都の建物が連なっている。


 今日から。


 ここが日常になる。


 そう思ったところで、背後から布団が大きく動く音がした。


「……何時?」


「六時二十分」


「まだ寝られる?」


「待ち合わせ八時だよ」


 エリオットの目が開いた。


「八時!?」


「まだ一時間四十分ある!」


「制服!」


「昨日調整出したでしょ」


「取りに行かないと!」


 エリオットが勢いよく起き上がり、そのまま寝台から落ちかけた。


「危ない!」


「大丈夫!」


「全然大丈夫に見えないよ!」


 昨日まで知らなかった相手と迎える、学院生活最初の朝。


 少なくとも静かな朝にはなりそうになかった。


     ◇


 エリオットの制服は、昨日預けた通り一階の臨時受付で調整を終えていた。


 袖丈も問題なくなり、二人で制服へ着替えて食堂へ向かう。廊下には同じ濃紺の制服を着た新入生が次々と部屋から出てきており、昨日まで旅装だった寮内の雰囲気が一晩で変わっていた。


「何か変な感じだな」


 階段を下りながら、エリオットが自分の袖を見る。


「昨日までみんな服違ったのに」


「制服だと急に学院生っぽくなるね」


「俺、似合ってる?」


「昨日も見たでしょ」


「調整前だった」


「似合ってるよ」


「シュウも」


「ありがとう」


 談話室へ下りると、鏡の前で何度も襟を直している少年や、友人らしい相手に学院章の位置を確認してもらっている者がいた。昨日の規則説明で見た顔も多く、まだ名前を知らない相手でも「同じ寮の新入生」というだけで、少しだけ見覚えのある存在になっている。


「シュウ!」


 大声。


 誰なのか確認する必要すらなかった。


「おはよう、ダン」


 振り返ると、制服姿のダンがこちらへ歩いてくる。


 似合ってはいる。


 ただし。


「襟、曲がってる」


「え?」


 シュウが指す。


 ダンが慌てて自分の襟を触る。


「どっち?」


「右」


「こっち?」


「それ左」


「シュウから見て?」


「ダンから見て!」


 エリオットが笑いながら手を伸ばし、曲がっていた襟を直した。


「これでいい」


「おお。ありがとう!」


「昨日セシリアに制服確認しろって言われたよね?」


「したぞ!」


「襟は?」


「今曲がったんだよ!」


「本当かな」


「本当だって!」


 三人で食堂へ入る。


 入学式の日だからといって特別豪華な朝食というわけではないが、焼きたてのパン、卵、ソーセージ、野菜のスープが並んでいた。普段より早い時間にもかかわらず食堂はかなり混み合っており、空気そのものに落ち着かない高揚感が漂っている。


「いっぱい食っといた方がいいぞ」


 ダンがパンを三つ取る。


「午後、魔力量測定あるかもしれないからな!」


「食事で今日の魔力量が急に増えるの?」


 シュウが聞く。


「増えないのか?」


「俺に聞かれても」


「極端な空腹なら集中力には影響すると思う」


 エリオットが料理を取りながら会話へ入る。


「でも朝食を一回多く食べたから魔力容量そのものが増える、みたいな話は聞いたことない」


「じゃあ四つ食っても意味ない?」


「お腹いっぱいになる」


「それは意味あるな」


「結局食べるんだ」


 シュウは笑いながら、自分の皿にもパンを二つ載せた。


 母なら「ちゃんと野菜も」と言うだろう。


 そう考えてスープも取る。


《エレノア様の指導が定着しているものと判断します》


『言われなくても分かってる』


 ただ、少し嬉しい。


 家族はここにいない。


 それでも、家で身につけたものまで消えるわけではない。


 三人で席を探していると、昨日洗濯場で話しかけてきた少年が手を上げた。


「こっち空いてるぞ!」


 実家が服屋で、裁縫ができると言っていた少年だ。


「あ、昨日の」


「昨日のって何だよ。俺、ロイ。ロイ・メルダ!」


「シュウ」


「エリオット」


「ダン!」


「お前は声で覚えた」


「何で!?」


 ロイの隣には別の少年も座っており、自然な流れで五人の朝食になった。


 知らない名前が一つ増える。


 それだけのことが、昨日より普通に感じられた。


     ◇


 朝食を終え、三人が第一寮を出たのは午前七時四十分だった。


 中央広場まで十分ほど。


 待ち合わせには十分間に合う。


 昨日とは違い、学院内を歩くほとんどの新入生が制服姿だった。男子は濃紺を基調とした上着と灰色のズボン、女子も同じ濃紺を基調にしながら形の異なる制服を着ており、胸には同じ学院章がある。


「本当に始まるんだな」


 シュウが呟く。


「緊張してる?」


 エリオットが横を見る。


「ちょっと」


「俺も」


「俺は楽しみ!」


 ダンが胸を張る。


「緊張ゼロ?」


「……一くらい」


「あるんだ」


「そりゃあるだろ。知らない先生ばっかりだし」


 意外だった。


 ダンなら「全然!」と答えると思っていた。


「何だよ、その顔」


「いや。ダンも緊張するんだなって」


「するわ!」


「昨日から上位組上位組って言ってたから」


「それは自信!」


「違うんだ」


「違う!」


 朝の学院に三人の笑い声が混じる。


 中央広場が近づくと、新入生の数がさらに増えた。


 噴水。


 浮遊する水球。


 その前に。


「おはようございます」


 セシリアがいた。


 制服姿。


 昨日までの旅装とは印象が違う。


 肩までの淡い栗色の髪はきれいに整えられ、学院の制服をきちんと着こなしている。手には小さな鞄があり、その横には既にユリウスも立っていた。


「おはよう」


 シュウが近づく。


「早いね」


「シュウたちも」


 ユリウスはいつも通り本を持っている。


「入学式の日まで本持ってるの?」


「待ち時間があるから」


「昨日のエリオットと同じこと言ってる」


「俺も持ってくればよかった」


 エリオットが悔しそうに言う。


「入学式だぞ!?」


 ダンが二人を見る。


「お前ら本当に本好きだな」


「ダンさんは昨日、魔獣図鑑を読んでいたでしょう」


「あれは別」


「何が違うんですか?」


「魔獣は動く」


「本の中では動きません」


 セシリアが即座に返し、シュウは朝からまた笑った。


 五人。


 昨日と同じ顔が揃った。


 それだけで、入学式へ向かう緊張が少し薄くなる。


「じゃあ行こうか」


 シュウが言う。


「中央講義棟前、八時半までだよね」


「まだ二十五分以上あります」


 セシリアが時計塔を見る。


「余裕を持って行きましょう」


「よし!」


 ダンが先へ出る。


「走らないでください」


「まだ走ってない!」


「昨日も同じことを言いました」


 昨日と同じ会話。


 けれど、今日は全員が制服を着ている。


 それだけで昨日とは違う。


     ◇


 中央講義棟前には、既に数百人の新入生が集まり始めていた。


 昨日まで広く感じた石畳の前庭が、制服姿の学生で埋まっている。学院職員が複数の立札を設置し、入学許可証を確認しながら学生を番号ごとの列へ誘導していた。


「新入生は受験番号をご確認ください! 一番から百番までは左手、百一番から二百番までは中央です!」


「保護者の方は式典会場二階席へお進みください!」


「学生本人は一階です! 荷物は膝上へ収まるもののみ持ち込んでください!」


「家族、来てる人もいるんだ」


 シュウが周囲を見る。


 父親と握手をしている少年。


 母親から襟元を直されている少女。


 家族全員らしい大人数で来ている者もいる。


 胸の奥が少しだけ動いた。


 父。


 母。


 兄。


 来てほしかったか。


 そう聞かれたら、たぶん来てほしかった。


 でも領地がある。


 北の森のこともある。


 父と兄が簡単に離れられないことは分かっている。


 母も領地に残った。


「シュウ?」


 セシリアの声で視線を戻す。


「大丈夫ですか?」


「うん」


 シュウは笑った。


「ちょっと家族のこと思い出してただけ」


 隠すほどのことでもない。


「来てほしかったなって少し思った」


 セシリアは一瞬だけ周囲の家族へ目を向け、それからシュウを見る。


「私もです」


「セシリアも?」


「父は仕事がありますし、母も家を離れられませんでした。昨日の朝、見送りはしてもらいましたけれど」


「そっか」


「でも」


 セシリアが小さく微笑む。


「手紙は書けます」


「俺、昨日もう書いた」


「早いですね」


「母さんが心配するから」


「良いことだと思います」


 短い会話。


 それだけで少し気持ちが軽くなる。


 家族が来ていないのは自分だけではない。


 そして、来ていないから大切にされていないわけでもない。


「シュウ!」


 少し離れたところからダンが手を振る。


「番号どこ!?」


「今見る!」


 感傷に浸っている時間はなさそうだった。


     ◇


 五人の受験番号は当然ばらばらだった。


 入学試験を受けた地域や時期も異なるため、式典では同じ場所へ座れないらしい。


「ええー」


 ダンが露骨に不満そうな声を出す。


「一緒に座れないのか」


「式典ですよ」


 セシリアが呆れる。


「話すわけでもないでしょう」


「隣に知ってる奴いる方がいいだろ」


「それは少し分かる」


 エリオットが同意する。


「俺も知らない人の隣だと緊張する」


「終わればまた会えるよ」


 シュウが言う。


「学級発表もあるし」


「同じクラスならいいな!」


 ダンの言葉に、五人が少しだけ静かになった。


 同じクラス。


 昨日までは、そこまで強く考えていなかった。


 でも。


「そうだね」


 シュウは素直に答えた。


「一人くらい一緒だと嬉しい」


「一人?」


 ダンが不満そうに眉を寄せる。


「全員!」


「何クラスあるかも知らないでしょ」


「願うのは自由だ!」


「それはそうですが」


 セシリアまで少し笑う。


 ユリウスが掲示を確認する。


「式後に中央広場の掲示板」


「クラス発表?」


「うん」


「じゃあ終わったら噴水前?」


 シュウが聞く。


 全員が頷いた。


「決まり!」


 ダンが言う。


 それぞれの列へ向かう。


 ここからしばらく別行動だ。


「またあとで」


 シュウが手を上げる。


「またあとで」


 セシリア。


「噴水前!」


 ダン。


「分かってる」


 ユリウス。


「シュウ、寝るなよ」


 エリオット。


「入学式で寝ないよ!」


 最後まで余計なことを言われながら、シュウは自分の列へ向かった。


     ◇


 式典会場は、中央講義棟の奥にある大講堂だった。


 千人近く収容できそうな広さがあり、一階には新入生、二階には家族や関係者が座る。正面には学院章を掲げた壇上があり、その後ろには大きな青い幕が垂れていた。


 シュウは指定された席へ座る。


 右。


 知らない少年。


 左。


 知らない少女。


 前も後ろも知らない。


 急に、一人になった気がした。


「……緊張するな」


 思わず小さく呟く。


 右隣の少年がこちらを見る。


「俺も」


「あ」


 聞かれていた。


 少年は少し笑う。


「こういうの初めてだから」


「俺も」


「地方?」


「北のアルヴェイン領」


「俺は東のラッセル」


「遠い?」


「馬車で六日」


「長いな」


 それだけ話す。


 名前を聞く前に、前方から静粛を求める鐘が鳴った。


 会場のざわめきが徐々に収まる。


 シュウも正面を向いた。


 壇上へ数人の教職員が並ぶ。


 中央へ進み出たのは、六十代ほどの男性だった。


 長い銀灰色の髪を後ろでまとめ、深い青色の学院礼装を着ている。杖は持っていない。


 それでも。


《高い魔力反応を確認》


 アルカディアが必要最低限の情報を伝えてくる。


『強い?』


《通常魔力としては、これまでマスターが近距離で確認した人物の中でも上位です》


 シュウは少し目を見開いた。


 学院。


 当然、強い魔法使いもいる。


 男性が演台へ立つ。


「新入生諸君。王立魔法学院への入学を歓迎する」


 魔導具を使っているのか、落ち着いた声が大講堂の隅まで明瞭に届いた。


「私は学院長、アーヴェル・レクシオンである」


 学院長。


 シュウは自然と背筋を伸ばした。


「今日ここにいる諸君は、それぞれ異なる場所から来た。王都で生まれた者もいれば、何日も馬車へ揺られてきた者もいるだろう。貴族家の者、騎士家の者、商家、職人家、農家、そのほか多様な家庭で育った者がいる」


 昨日、寮監のグレンも似た話をしていた。


 しかし学院長の声は、さらに広い範囲へ向けられている。


「入学試験の成績にも差がある。既に高度な魔法を扱える者もいれば、基礎魔法一つを安定させるため努力してきた者もいるだろう」


 シュウの頭にエリオットが浮かぶ。


 魔力制御が苦手だと言っていた。


 そしてダン。


 地元で一番だったと胸を張っていた。


「だが、この学院へ入った時点で完成している者は一人もいない」


 講堂が静かになる。


「諸君は学ぶために来た。知らないことを知るため、できないことをできるようにするため、そして自分が何を知らないのかを知るために来た」


 シュウは、その言葉を聞いていた。


 自分が何を知らないのか。


 北の森で、それを嫌というほど思い知らされた。


 力はある。


 アルカディアもいる。


 それでも知らないものは知らない。


 強いから分かるわけではない。


「魔法は便利だ」


 学院長が続ける。


「火を起こし、水を生み、風を動かし、土を変える。人を守ることも、傷つけることもできる。だからこそ、力の大きさだけを誇る者になってはならない」


 シュウの胸に、父の言葉が重なった。


 強い力があることと。


 それを正しく使えることは違う。


「学院で学ぶのは魔法だけではない。判断すること。失敗すること。他者へ頼ること。異なる考えを持つ者と共に学ぶこと。それらもまた、諸君がここで得るべきものだ」


 父が出発の日に言った。


 失敗してこい。


 恥をかけ。


 人と喧嘩して。


 仲直りして。


 困ったら頼れ。


 似ている。


 シュウは少しだけ笑った。


 この学院へ来てよかった。


 まだ授業一つ受けていないのに、そう思った。


「四年間は長い」


 学院長が新入生たちを見渡す。


「だが、過ぎてしまえば短い。焦る必要はない。昨日できなかったことが今日できる者もいる。今日できたことに、明日失敗する者もいる。それでいい」


 静かな声。


 しかし不思議と残る。


「学べ。考えろ。試せ。そして、自分以外の人間を知れ」


 学院長が一度言葉を切る。


「諸君が四年後、この学院へ来た日の自分を振り返ったとき、随分遠くまで来たと思えることを願っている」


 拍手が起こった。


 最初は前方から。


 やがて講堂全体へ広がる。


 シュウも手を叩いた。


 学院生活。


 四年。


 昨日までは、ただ楽しそうだと思っていた。


 今は。


 少しだけ違う。


 ここで何を知るのか。


 どんな人に会うのか。


 自分がどう変わるのか。


 それも楽しみになった。


     ◇


 入学式は学院長の式辞だけでは終わらなかった。


 教員代表の挨拶。


 在校生代表の歓迎。


 学院規則の簡単な説明。


 学年主任の紹介。


 その一つ一つが進むたび、シュウは自分が正式にこの場所へ入っていく感覚を覚えた。


 在校生代表は三年生の女子学生だった。


「入学したばかりのころ、私は魔法実技で失敗し、訓練用標的ではなく自分の鞄を凍らせました」


 会場から笑いが起こる。


 本人も笑っている。


「その日の夕方まで教科書が開きませんでした」


 さらに笑いが広がった。


「ですが、今では氷結魔法を専門に学んでいます。最初の失敗が、得意不得意を決めるわけではありません」


 エリオットに聞かせたい。


 そう思った。


 入学試験で水球を先生の机まで飛ばしたことを気にしていた。


 あとで話そう。


「なお、鞄は壊れました」


 最後の一言で、また笑いが起きた。


 堅苦しいだけではない。


 シュウの緊張も少しずつ解けていった。


     ◇


 式典が終わったのは午前十時半を少し過ぎたころだった。


 大講堂から出る新入生で廊下が一気に混雑する。


「押さないでください!」


「学級発表は中央広場です!」


「掲示は複数箇所に分けています! 受験番号を確認してください!」


 シュウも人の流れに乗って外へ出た。


 眩しい。


 講堂の中に長くいたため、春の日差しが強く感じる。


「シュウ!」


 外へ出た瞬間。


 また声。


「ダン、見つけるの早いな!」


「制服覚えた!」


「全員同じだよ!」


「顔も覚えてる!」


「最初からそっちで探して!」


 ダンが走り寄ってくる。


 少し遅れてエリオット。


 ユリウス。


 セシリアも人混みの向こうから姿を見せた。


 五人。


 全員揃う。


「どうだった?」


 シュウが聞く。


「長かった!」


 ダン。


「感想それ?」


「学院長の話は良かった!」


「じゃあ最初からそっち言えばいいのに」


 セシリアが苦笑する。


「私は在校生代表の方の話が印象に残りました」


「鞄凍らせた人?」


「そこだけ抜き出さないでください」


「エリオットに教えようと思ってた」


「俺?」


 エリオットが自分を指す。


「最初失敗しても決まらないって話。入学試験の水球のこと気にしてたでしょ」


「ああ」


 エリオットが少し笑う。


「俺も聞いてた。ちょっと安心した」


「よかった」


「でも俺は先生の机だからな」


「鞄より危ないね」


「そうなんだよ……」


 ユリウスが静かに言う。


「先生が避けられたなら問題ない」


「慰めてる?」


「事実」


「ユリウスらしいな」


 五人で笑う。


 そのまま中央広場へ向かう。


 いよいよ。


 学級発表。


     ◇


 中央広場には、大きな掲示板が四枚設置されていた。


 周囲は新入生で埋め尽くされている。


「見えない!」


 ダンが背伸びする。


「押さないでください!」


 職員の声。


「受験番号順です! 名前ではありません!」


「俺何番だっけ!?」


「それを私に聞かないでください!」


 セシリアが呆れる。


 シュウも自分の受験番号を書類で確認する。


 番号によって見る掲示板が違う。


「俺、二枚目」


「俺も!」


 エリオットが言う。


「俺は一枚目」


 ダン。


「私は三枚目です」


 セシリア。


「四枚目」


 ユリウス。


 見事に分かれた。


「じゃあ見たらここ戻ろう」


 シュウが噴水横のベンチを指す。


「了解!」


 五人が散る。


 シュウは二枚目の掲示板へ向かった。


 人の肩越しに番号を追う。


 百二十一。


 百二十二。


 百二十三。


 下へ。


 さらに下。


「あった」


 自分の番号。


 その横。


 一年三組。


「三組……」


 シュウ・アルヴェイン。


 一年三組。


 それが今日から自分の所属になる。


 すぐ下の番号を見る。


 知らない名前。


 上も知らない。


「エリオットは?」


 同じ掲示板のどこかにいるはずだ。


 だが受験番号を覚えていない。


 無理に探すより戻った方が早い。


 シュウは人混みを抜け、噴水横へ戻った。


 まだ誰もいない。


「三組か」


《確認しました》


 アルカディアの声。


『誰か一緒だといいな』


《確率については情報不足です》


『計算しなくていいよ』


 少し待つ。


「シュウ!」


 エリオットが走ってきた。


「何組!?」


「三組!」


「俺も!」


「本当!?」


「三組!」


 二人で顔を見合わせる。


「やった!」


 シュウは思わず笑った。


 同室。


 さらに同じクラス。


「これで洗濯だけじゃなく授業も一緒だな!」


「魔法教えて!」


「まだ俺が教えられるか分からないって!」


「でも知ってるだろ!」


 朝から感じていた不安が一つ消える。


 知らない人ばかりの教室ではない。


 少なくともエリオットがいる。


「二組!」


 次に来たのはダンだった。


 笑顔。


 だが。


 シュウとエリオットの顔を見る。


「二人は?」


「三組」


「えっ」


 ダンが止まった。


「違うの!?」


「違うね」


「何で!?」


「俺たちに言われても」


「全員一緒じゃないのかよ!」


「何クラスあると思ってるの」


「願うのは自由って言っただろ!」


「願いと結果は別でしょ!」


 ダンが本気で残念そうな顔をする。


 それを見て、シュウも少しだけ寂しくなる。


 昨日。


 五人で一緒に歩いた。


 できれば同じクラスがよかった。


「でも授業全部がクラス単位じゃないってユリウス言ってたよ」


 シュウが言う。


「実技とか一緒になるかもしれない」


「……そうだな」


 ダンが少し復活する。


「それに寮同じだし」


「そうだった!」


 完全に復活した。


「夜行く!」


「消灯一刻前までね」


「覚えてる!」


 そこへセシリアが来た。


「私は一年二組でした」


「おお!」


 ダンが一気に振り返る。


「同じ!」


「そうですか」


「もっと喜べよ!」


「喜んでいます」


「顔!」


「ダンさんと同じクラスだと、授業中に静かにさせる仕事が増えそうだと思っただけです」


「仕事にするなよ!」


 シュウとエリオットが笑う。


 これで。


 三組。


 シュウ。


 エリオット。


 二組。


 ダン。


 セシリア。


「ユリウスは?」


 四人で待つ。


 しばらくして、黒髪の少年が人混みから出てきた。


「何組!?」


 ダンが先に聞く。


「三組」


「おお!」


 今度はシュウが声を上げた。


「一緒!」


 ユリウスが少し目を見開く。


「シュウも?」


「俺も!」


 エリオットも手を上げる。


「三人一緒だ!」


「……そう」


 ユリウスの表情は大きく変わらない。


 でも。


 ほんの少しだけ口元が緩んだ。


「よかった」


 小さな声。


 聞こえた。


 シュウは何も言わずに笑った。


 五人全員ではない。


 でも。


 一年二組にダンとセシリア。


 一年三組にシュウ、エリオット、ユリウス。


 隣のクラスなら、会う機会はいくらでもある。


「昼どうする?」


 ダンが聞く。


「一緒に食べよう!」


「その前に各教室へ集合と書いてあります」


 セシリアが掲示板下の案内を読む。


「午前十一時までに各教室へ移動。担任から午後の基礎能力確認について説明。その後、昼休憩です」


「じゃあ説明終わったら食堂!」


「混むんじゃない?」


 エリオットが言う。


「中央広場で合流してから考えよう」


 シュウが提案する。


 皆が頷く。


「またあとで」


 今日二回目。


 でも朝とは違う。


 次に会うときには、それぞれのクラスで最初の説明を受けたあとだ。


     ◇


 一年三組の教室は中央講義棟二階にあった。


 シュウ、エリオット、ユリウスの三人で廊下を歩く。


「同じ部屋で同じクラスって、すごくない?」


 エリオットが言う。


「偶然だよね」


「たぶん」


「席も隣だったりして」


「そこまでいったら怖い」


 教室前。


 札。


 一年三組。


 シュウは一度だけ息を吸った。


 扉を開ける。


 中には既に二十人ほどの学生がいた。


 全部で三十人前後だろうか。


 前方に黒板。


 教壇。


 二人掛けではなく、一人用の机が並んでいる。


 席は自由らしい。


「どこ座る?」


 エリオットが聞く。


「前?」


「後ろ?」


「真ん中でいいんじゃない?」


 シュウが答える。


 三人で中央付近へ向かう。


 すると。


「あ」


 声。


 シュウが振り向く。


 見覚えのある少年がいた。


 学院へ初めて入った昨日。


 大きな荷物を抱え、図書館を見ながら歩いていて、シュウとぶつかりかけた少年。


「図書館見てた人」


 相手も覚えていた。


「昨日の」


「同じクラスなんだな」


「みたいだね」


 少年が笑う。


「俺、フィン・ラーデル」


「シュウ・アルヴェイン」


「エリオット・ファーレン」


「ユリウス・ベルン」


 名前が増える。


 また一人。


「よろしく」


「よろしく」


 シュウは席へ座った。


 右にエリオット。


 左斜め前にユリウス。


 フィンはその前。


 教室のあちこちでは、同じように自己紹介が始まっている。


 緊張した声。


 明るい声。


 小さな笑い。


 椅子を引く音。


 紙を出す音。


 窓の外から入る春の風。


 昨日までは空だった教室が、人の声で満たされていく。


「……本当に学生だ」


 シュウが呟く。


「今さら?」


 エリオットが笑う。


「制服着ても、式出ても、まだ何か実感なかったんだよ」


「今は?」


 シュウは教室を見る。


「ある」


 ここが。


 自分のクラスだ。


     ◇


 午前十一時。


 教室の前扉が開いた。


 入ってきたのは、三十代半ばほどの女性だった。


 濃い茶色の髪を後ろでまとめ、学院教員用の黒いローブを着ている。細身の杖と分厚い書類束を持ち、教壇へ立つと教室全体をゆっくり見渡した。


「全員いるようですね」


 落ち着いた声。


「まずは入学おめでとうございます。一年三組の担任を務める、リディア・フェルンです。専門は魔法基礎理論と術式制御。四年間ずっと担任というわけではありませんが、少なくとも今年一年は皆さんの面倒を見ることになります」


 教室の空気が少し引き締まる。


「先ほど学院長も話しましたが、入学試験に通ったからといって、皆さんの能力が同じというわけではありません」


 リディアは書類を教卓へ置いた。


「本日午後、基礎能力確認を行います」


 来た。


 シュウの意識が少しだけ集中する。


「確認項目は、基礎魔力量、魔力制御精度、属性適性、基本術式への反応。この四項目です」


 エリオットの顔が僅かに強張った。


 魔力制御。


 やはりある。


「この結果は合否を決めるものではありません。既に皆さんは合格しています。今後の授業編成と、各自の指導方針を決めるための資料です」


 教室のあちこちで、少し安堵する気配がある。


「ですので」


 リディアの視線が学生たちを順番に追う。


「無理に良い数値を出そうとしないこと。自分の実力以上の魔力を流し、測定器を壊そうなどとは考えないように」


 シュウの身体が固まった。


「……」


 隣から。


 エリオットがゆっくりこちらを見る。


「シュウ」


「何?」


「昨日」


「何?」


「測定器壊したらどうするって言ってたよな」


「冗談だから!」


 声を潜めて答える。


 前方。


 リディアの視線がこちらへ来た。


 シュウとエリオットは同時に正面を向いた。


「毎年います」


 リディアが続ける。


「自分の魔力量を大きく見せようとして制御を失う学生が。測定器は高価です」


 教室から小さな笑い。


「壊した場合、始末書だけで済むとは思わないように」


 笑いが少し大きくなる。


 シュウは笑えない。


《マスター》


『分かってる』


《まだ何も申し上げておりません》


『絶対、気をつけろって言うつもりだったでしょ』


《はい》


『分かってるから』


 壊さない。


 絶対に。


「なお、測定器へ流す魔力は教員の指示に従ってください」


 リディアの説明は続く。


「最初から全力を流す必要はありません。装置側が段階的に負荷を上げます。異常を感じた場合は即座に手を離すこと」


 段階式。


 シュウは少し安心した。


 いきなり全魔力を測るわけではない。


 普通の魔力だけを意識する。


 漆黒魔力は使わない。


 アルカディアの選択能力も使わない。


 それでどこまで普通に測れるか。


「午後一時より、第一測定棟で開始します」


 リディアが紙を配り始める。


「番号順に行いますので、昼食後、十二時五十分までに集合してください」


 配られた紙には測定の順番と注意事項。


 シュウは自分の番号を確認した。


 十四番目。


「エリオットは?」


「十一番」


「ユリウス?」


「十九」


 少し離れている。


 それでも全員同じ時間帯だ。


「これで本日の説明は以上です」


 リディアが一度教室を見渡す。


「午後の結果を恐れる必要はありません。高ければ偉いわけでも、低ければ劣っているわけでもありません。今の自分を知るための測定です」


 その言葉に。


 シュウは少しだけ肩の力を抜いた。


 今の自分を知る。


 ただ。


 自分の場合。


 どこまでが「今の自分」なのか。


 そこが少し難しい。


     ◇


 説明が終わると、教室は一気に騒がしくなった。


「魔力量どれくらいだろ!」


「属性三つ出たらどうしよう」


「俺、火しか使えないぞ」


「制御試験嫌だ……」


 あちこちから不安と期待の声が上がる。


 エリオットは配られた紙をじっと見ていた。


「怖い?」


 シュウが聞く。


「ちょっと」


「水球のこと?」


「うん」


 エリオットが苦笑する。


「また先生の机まで飛ばしたらどうしよう」


「今回は水球じゃないでしょ」


「それはそうだけど」


 シュウは少し考えた。


「昨日言ったじゃん」


「何を?」


「分かるところなら一緒にやろうって」


「でも測定は一人だろ?」


「測定はね。でも結果出たあと、苦手なところ練習できるじゃん」


 エリオットがシュウを見る。


「低かったら、そこからやればいいよ」


 自分へ言っているような気もした。


 測定結果。


 何が出ても。


 それで全部が決まるわけではない。


「……うん」


 エリオットが頷く。


「洗濯教える」


「そこに戻るんだ」


「契約だから」


「契約だったね」


 二人で笑った。


「行く?」


 ユリウスが鞄を持って立っている。


「中央広場」


「あ、ダンたち待ってる」


 三人で教室を出る。


 廊下には二組の学生たちも出てきていた。


 その中から。


「シュウ!」


 やはり見つけるのが早い。


「ダン!」


「午後一時!」


「こっちも!」


「測定!」


「知ってる!」


「勝負!」


「それは知らない!」


 廊下に笑いが起こった。


 セシリアがダンの後ろから歩いてくる。


「朝からずっとそれですね」


「だって楽しみだろ!」


「シュウは困っていますよ」


「いや」


 シュウは少し考える。


 怖さはある。


 測定器が何を拾うのか分からない。


 漆黒魔力。


 アルカディア。


 自分自身の普通の魔力。


 結果がどうなるか予想できない。


 でも。


「俺も、ちょっと楽しみ」


 本音だった。


 ダンが笑う。


「だろ!」


「ただし壊さない程度に」


「やっぱり壊す心配してるじゃん!」


 エリオットが突っ込む。


 五人の笑い声が、入学初日の廊下へ広がった。


 今日から正式な学院生。


 入学式は終わった。


 クラスも決まった。


 新しい担任。


 新しい教室。


 新しい名前。


 そして午後。


 シュウ・アルヴェインは初めて、王立魔法学院の設備で自分の魔力を測る。


 胸の奥には期待と不安が同じくらいある。


 選択能力枠は、まだ空欄。


 アルカディアも静かにしている。


 今のところ。


 何も問題は起きていない。


 だからこそシュウは、昼食へ向かいながら一つだけ決めた。


 無理に強く見せない。


 隠すために不自然なこともしない。


 教員の指示通り、普通にやる。


 それで何が出るのか。


 まずは自分自身が見てみたい。


 王立魔法学院で過ごす最初の日は、まだ半分も終わっていなかった。

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