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『黒歴史ノートが異世界で最強の魔導書になっていました』  作者: 伊佐波瑞樹


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16/63

第16話 同じ道を行くなら、少しくらい一緒でもいい

 ミレア宿場町の朝は、シュウが目を覚ますより先に動き始めていた。


 窓の外から聞こえてくるのは、一台や二台ではない馬車の車輪が石畳を踏む音だった。ときおり御者の掛け声や馬のいななきが重なり、そのさらに向こうでは、朝市の店主らしい威勢のいい声まで響いている。ベルクの朝も早かったが、複数の街道が集まるミレアでは、夜と朝の境目そのものが曖昧なのかもしれない。


 寝台の上で目を開けたシュウは、薄明るい天井を見つめながら何度か瞬きをした。二泊目ともなると、知らない宿で目覚めたときの戸惑いは昨日より小さく、ここがアルヴェイン邸ではないこともすぐに思い出せた。


「……おはよう」


《おはようございます、マスター》


 頭の中へ返ってきたアルカディアの声も、旅先だからといって何か変わるわけではない。シュウは布団から片腕を出して伸びをし、身体に残る眠気を追い出しながら、昨日机の上へ置いた封筒へ目を向けた。


 父と母と兄へ書いた手紙だ。


 旅の出来事を書き始めたら予想以上に長くなり、結局、用意していた便箋を何枚も使ってしまった。荷馬車の修理、負傷したミリアたちとの出会い、初めて領境を越えたこと、ローデン街道関所、ラウゼン川、ミレアの賑わい、それに学院へ向かう三人の新入生と話したことまで書いてある。


「これ、朝のうちに出せるよな」


《宿の受付で郵便を取り扱っていると、昨夜確認されています》


「じゃあ朝飯のときに持っていこう」


 シュウは寝台から降り、窓辺まで歩いた。カーテンを開けば、朝日を受けたミレアの屋根が何列も重なり、その間を縫う大通りには既に人の流れができている。


 昨日の夕方は旅人の多さに圧倒されたが、朝はまた違った活気があった。宿を出る商隊と、これから店を開く商人が同じ道を使い、学院生らしい年頃の若者たちも大きな荷物を抱えて歩いている。


「今日も多いな、新入生」


《入学式まで二日です。王都方面へ向かう人数は今後さらに増える可能性があります》


「俺たち、今日はどこまでだっけ?」


《予定ではリーデンです。ミレアから王都までの中間よりやや王都寄りに位置する街道都市で、一泊後、明日の午後に王都へ到着する行程です》


「明日の午後か」


 口にしてみると、昨日までとは響きが違った。


 王都。


 王立魔法学院。


 寮。


 新しい生活。


 まだ何日も先にあると思っていたものが、もう「明日」になっている。


 楽しみだと思う気持ちは変わらない。それでも胸の奥へ手を入れてみれば、昨日より少しだけ緊張が増しているのも分かった。


《心拍数が――》


「言わなくていいからな」


《まだ何も申し上げていません》


「絶対言おうとしただろ」


《はい》


「正直だなあ……」


 苦笑しながら着替える。


 旅装にも慣れてきた。


 学院へ到着したら、いずれ制服を受け取ることになる。それを着れば、今までの「アルヴェイン男爵家の次男」だけではなく、「王立魔法学院の学生」という立場が一つ増える。


 鏡の前で襟を整えたシュウは、そんな自分を少しだけ想像した。


「似合うかな」


《制服の意匠を正確に確認していないため判定不能です》


「そうじゃなくて、学院生って感じが」


《マスターは十七歳であり、入学資格を満たし、正式な入学許可を得ています》


「資格の話じゃない」


《では、何をもって「学院生らしい」と定義するのでしょうか》


「……そう言われると分かんないな」


 シュウは鏡の中の自分を見る。


 十七歳。


 この世界では貴族家の次男。


 前世の記憶を持つ転生者。


 そして、十四歳の自分が作った黒歴史ノートを魂の中に抱えている。


 普通の学院生と言っていいのかは、かなり怪しい。


「まあ、入ったら学院生だよな」


《合理的な結論です》


「それでいいや」


 答えが出たところで、扉が叩かれた。


「シュウ様、お目覚めですか?」


 聞き慣れてきたハンスの声に、シュウは先回りして鞄へ手を伸ばした。


「起きてる! 薬も持ってる!」


 扉の向こうが一瞬静かになった。


「……まだ薬については聞いておりませんが」


「どうせ聞くでしょ!」


「旦那様からの指示ですので」


「ほら!」


 廊下の向こうで別の笑い声が聞こえる。おそらくカイルだろう。


 シュウは手紙を持ち、扉を開けた。


「おはよう、ハンス」


「おはようございます。随分と準備が早くなりましたね」


「毎朝同じこと言われればね」


「良い傾向です」


「父さんに報告しなくていいからね?」


「さて」


 ハンスはわずかに口元を緩め、そのまま階段の方へ歩き出した。


「する気だな……」


《ローデリック様にとっては安心材料でしょう》


「それは分かるけどさ」


 シュウは封筒を持ち直し、護衛騎士の後を追った。


     ◇


 朝の食堂は、昨夜以上に学院関係者らしい客で埋まっていた。


 杖を立てかけて食事をしている少年。制服らしき衣装を大切そうに抱えた少女。子供へ何度も注意事項を伝えている母親。その横で「もう分かったよ」と困った顔をしている息子を見て、シュウはどこの家も似たようなものなのだと妙な親近感を覚えた。


 窓際の席では、小さな女の子が姉らしい少女の腕へしがみついている。姉は何度も妹の頭を撫でていたが、本人も目元が少し赤く、家族と離れて学院へ行くことが平気なわけではなさそうだった。


 昨日までなら、ただの旅人の光景として眺めていたかもしれない。


 今朝は違う。


 自分も同じなのだ。


「シュウ様?」


 カイルに呼ばれ、シュウは視線を戻した。


「ごめん。何?」


「朝食、こちらだそうです」


「ああ、うん」


 四人分の朝食が運ばれてくる。


 柔らかいパンと豆のスープ、焼いた魚、それに果物。街道の宿らしいしっかりした量で、今日も長時間馬車へ揺られる身体にはありがたい。


「今日も結構走る?」


 シュウがスープへ匙を入れながら尋ねると、御者が頷いた。


「昨日と同じくらいですね。ただし、午後から街道が混むかもしれません」


「学院の新入生?」


「それもありますが、王都へ向かう商隊も増えます。この辺りから南東の街道が合流してきますので」


 王都へ近づくほど、人の流れも一つへ集まっていく。


 昨日、関所で感じたことがさらに強くなるのだろう。


「今日泊まるリーデンって、ミレアより大きい?」


「町そのものは少し大きいですよ。ただ、宿場としての賑わいはミレアの方が上でしょうね」


 御者の説明を聞きながらパンをちぎったところで、食堂の入口が少し騒がしくなった。


「だから早く起きろって言っただろ!」


「起こしたでしょう! あなたが二度寝したのよ!」


「俺は起きてた!」


「寝台の上で目を閉じていた人間を、世間では寝ていたと言う」


 聞き覚えのある声が三つ重なる。


 シュウは振り返った。


 ダン。


 セシリア。


 ユリウス。


 三人とも昨日と同じ旅装だが、ダンだけ髪が少し跳ねている。本人は気づいていないらしい。


「……本当にいた」


 シュウが呟くと、ちょうどこちらを見たセシリアと目が合った。


 彼女が少し驚き、それから笑う。


「おはようございます、シュウさん」


「おはよう」


 ダンも気づいた。


「お、シュウ!」


 声が大きい。


 周囲の何人かがこちらを見る。


 シュウは少しだけ肩をすくめた。


「朝から元気だね」


「普通だろ」


「髪」


「え?」


 シュウが自分の頭を指差すと、ダンはようやく髪へ手をやった。


「……跳ねてる?」


「かなり」


「セシリア!」


「だから鏡を見なさいと言ったでしょう」


「言ってないだろ!」


「言いました」


「俺も聞いた」


 ユリウスが無表情で追撃する。


 ダンは二人を交互に見たあと、近くの窓ガラスへ自分を映し、慌てて髪を押さえ始めた。


 その様子を見ていた隣席の家族が小さく笑う。


「朝から楽しそうだな」


 シュウも笑いを堪えられなかった。


「笑うなよ!」


「ごめん。でも昨日、絶対上級組に入るって言ってた人が寝癖つけてると」


「魔力と寝癖は関係ない!」


「それはそうだね」


 妙に正論だった。


 セシリアたちの席は少し離れた場所に用意されていたため、挨拶だけして別れる。


 まだ一緒に食事をするほどの関係ではない。


 それでも昨日までは名前も知らなかった三人と、朝に顔を合わせて笑える。


 その小さな変化がシュウには少し嬉しかった。


「友人候補、再会しましたね」


 カイルが声を潜める。


「だからまだ早いって」


「では、知人候補?」


「候補いらなくない?」


「知人ですね」


「それならいい」


 ハンスが何も言わずスープを飲んでいるが、口元が僅かに緩んでいる。


「ハンスも笑ってるでしょ」


「いいえ」


「絶対笑ってる」


「朝食が美味しいだけです」


「それ昨日アルカディアみたいな言い訳だな……」


《私はそのような言い訳を行った記録はありません》


『今入ってこなくていい』


 朝から賑やかだ。


 けれど嫌ではない。


     ◇


 食事を終えたあと、シュウは昨夜書いた手紙を受付へ預けた。


 アルヴェイン領都までなら、途中の集配所を経由して数日で届くらしい。料金を支払い、封筒へ発送印が押されるのを見ていると、家から離れた距離が少しだけ実感として胸に落ちてきた。


「お願いします」


「確かにお預かりしました」


 受付の女性が手紙を箱へ収める。


 もう手元には戻らない。


 あとは家へ届く。


 母はどんな顔で読むだろう。


 父は「旅を楽しんでいるなら何よりだ」と言いながら、街道で二回も止まったことに苦笑するかもしれない。兄は、魔法で船を動かしていたという部分に興味を持つだろうか。


「……ちゃんと届くといいな」


「この街道の郵便はかなり安定していますよ」


 横にいたハンスが答えた。


「戦争や大規模な災害でもなければ、まず問題ありません」


「そっか」


 それなら大丈夫だ。


 シュウは受付を離れた。


 宿の外へ出ると、朝日がすっかり町を照らしていた。昨夜見た魔導灯は消え、代わりに店先の布看板が風に揺れている。


 中庭では御者が馬車の最終確認をしていた。


「シュウ様、そろそろ出られます!」


「分かった!」


 荷物を確認。


 方位盤。


 薬。


 学院書類。


 着替え。


 財布。


 問題なし。


 馬車へ乗り込もうとしたところで、少し離れた場所からダンの声が飛んできた。


「シュウ!」


 振り返る。


 三人も出発準備をしていた。


 彼らの馬車はシュウたちより少し大きい。


「今日どこまで行くんだ?」


「リーデン」


「俺らも!」


 ダンが笑う。


「じゃあ途中まで一緒だな!」


 シュウは返事をする前に、ハンスを見た。


 護衛としては勝手に同行を決められると困るかもしれない。


 ハンスは相手側の護衛へ目を向けた。


 向こうもこちらを見ている。


 互いに軽く会釈。


「街道を同じ方向へ進むだけであれば問題ありません」


「だって」


「よし!」


 なぜかダンが一番喜んだ。


「別に同じ馬車へ乗るわけじゃないでしょう」


 セシリアが呆れたように言う。


「休憩で話せるだろ」


「昨日会ったばかりなのに、あなた距離を詰めるのが早すぎるのよ」


「学院入ったら同級生だろ?」


「同級生になる可能性が高い、です」


「同じだろ」


「違います」


 また始まった。


 シュウは笑いながら自分の馬車へ乗った。


「面白いな、あの二人」


《相性は良いように見受けられます》


『本人たちは否定しそうだけど』


《その可能性は高いでしょう》


 馬車が動き出す。


 少し後ろから、三人の乗った馬車も続いた。


 旅の三日目。


 昨日までと同じ街道の旅なのに、今日は少しだけ違う。


 同じ目的地へ向かう知った顔が、後ろにいる。


     ◇


 ミレアを離れて半刻ほどすると、街道の両側から建物が減り、再び広い平原が戻ってきた。


 昨日より空が高い。


 薄い雲が風に流れ、その影が草原をゆっくり移動している。王家直轄の街道は整備が行き届き、車輪が大きく跳ねることも少ない。


 シュウは窓を開けたまま、朝の風を受けていた。


 後ろを見れば、一定の距離を保ってセシリアたちの馬車が走っている。


 さらに後ろにも商人の荷馬車。


 前には乗合馬車。


 王都へ近づいている。


 人の数がそれを教えてくれる。


「昨日より馬車多いね」


「ここから先は南西街道との合流がありますから」


 御者が前を向いたまま答えた。


「昼ごろには、さらに増えると思いますよ」


「王都って一日何台くらい馬車入るんだろ」


「数えたことはありませんねえ」


「そりゃそうか」


《王都の人口および物流量が判明すれば概算は可能です》


『学院でそんなこと調べないからな』


《レイモンド様であれば興味を持たれる可能性があります》


『兄さんは好きそう』


 領地経営。


 物流。


 街道。


 税。


 昨日見た商隊を兄ならどう見るだろう。


 自分は「商品がいっぱいだ」としか思わなかったが、レイモンドなら運送費や流通量まで考えるかもしれない。


「俺も少しは勉強した方がいいのかな」


《何についてでしょうか》


「領地経営とか」


《マスターはアルヴェイン家の次男です。将来的に家督を継ぐ可能性は低いものの、知識が不要ということにはなりません》


「真面目な答えだ」


《では別の回答を》


「いらない」


《十四歳当時のマスターは国家運営について詳細な――》


「いらないって言ったよね!?」


 前を走るカイルが振り返る。


「どうされました?」


「国家運営の黒歴史が出そうになった!」


「……なるほど?」


 意味は分かっていないだろう。


 それでいい。


 シュウは座席へ深く沈んだ。


『ちなみにどれくらい書いてる?』


《国家名称、統治制度、税制、軍制、爵位制度、刑罰、通貨制度まで》


『漆黒帝国のやつ?』


《はい》


『税制だけじゃなかったのか……』


 第11話で聞かされた時点では、詳細な税制度があるというだけでも十分きつかった。


 まさか国家全体を作っていたとは。


《首都名も存在します》


『聞かない』


《帝都ノクス・アルカ――》


『聞かない!』


 自分の頭の中から逃げる方法がないのがつらい。


 シュウは外の景色へ意識を向けた。


     ◇


 昼前。


 街道は予告どおり混み始めた。


 南西から伸びてきた別の街道が合流し、馬車の数が一気に増える。荷物を積んだ商隊だけではなく、王都へ向かう旅人や騎士、学院の新入生らしい若者を乗せた馬車も目立つようになった。


 流れそのものは止まっていない。


 ただし追い越しは難しくなり、どの馬車も似た速度で進んでいる。


「これ、ずっと続くの?」


「次の休憩所までは」


 ハンスが答えた。


「そこから一部は別の道へ分かれるでしょう」


 シュウは窓から外を見る。


 隣を走る荷馬車の御者と目が合い、なんとなく会釈した。


 向こうも返す。


 そのさらに向こうには、徒歩の冒険者がいる。


 誰もが同じ道を進んでいる。


 不思議な感覚だった。


 アルヴェイン領では、街道を走る馬車を見ても「誰かがどこかへ行く」としか思わなかった。


 今は自分もその一人だ。


「王都って、本当に人が集まる場所なんだな」


《王国の政治・経済・教育の中心であれば自然です》


「学院だけじゃないもんな」


 王城。


 商会。


 職人。


 冒険者ギルド。


 神殿。


 研究機関。


 様々なものが集まっている。


 学院生活だけで何年も過ごすのはもったいない。


「休みの日、王都歩きたいな」


《予定候補として記録します》


「今度は勝手に予定入れていいよ」


《承知しました》


「美味しい店とかも探したい」


《エレノア様への手紙の食事記述がさらに増えると予想されます》


「いいじゃん。安心するんでしょ?」


《はい》


 自分でも少し笑う。


 旅へ出る前は、母にあれこれ確認されるのが少し面倒だった。


 離れてみれば、食べたものまで書いて安心させたいと思う。


 そんなものなのかもしれない。


     ◇


 昼の休憩所へ到着したころには、太陽がほぼ真上まで上がっていた。


 昨日利用した場所より広く、馬車を止める区画がいくつも用意されている。簡単な食堂や露店まであり、旅人たちの話し声が絶えなかった。


 シュウたちが馬車を止めると、少し遅れてセシリアたちも入ってきた。


「シュウ!」


 馬車から降りるなり、ダンが手を上げる。


「本当に毎回元気だな」


「腹減った!」


「そっち?」


「朝飯から結構経ってるだろ」


 確かに腹は減っている。


 シュウたちは持参した昼食を食べる予定だったが、露店から漂ってくる焼き肉の匂いがかなり強い。


「……あれ美味そう」


 シュウが見た先で、串に刺した肉が炭火の上で焼かれている。


 脂が落ちるたびに火が小さく上がり、香辛料の匂いが風に乗ってくる。


「シュウ様」


 ハンスが呼ぶ。


「何?」


「昼食は持参しています」


「一本くらいならいいでしょ?」


「私は止めておりません」


「じゃあ買ってくる」


 財布を持つ。


 するとダンがすぐ横へ並んだ。


「俺も!」


「あなた、さっき馬車の中で干し肉を食べていたでしょう」


 セシリアが後ろから言う。


「あれは間食」


「今から昼食でしょう」


「昼食は別腹」


「使い方が違うと思う」


 シュウが言うと、ユリウスが小さく頷いた。


「俺もそう思う」


「二対一だぞ、ダン」


「セシリア入れたら三対一だろ!」


「そこ数えるんだ」


 四人で露店へ向かう。


 護衛たちは少し離れてついてきた。


 店主は忙しそうに串を返している。


「四本!」


 ダンが言った。


「勝手に全員分頼まないで」


「食べないのか?」


「……食べますけど」


「ほら」


 セシリアが悔しそうに眉を寄せる。


 シュウは笑いながら自分の分を払おうとした。


「今日は俺が出す!」


 ダンが先に銅貨を置いた。


「え?」


「昨日会った記念!」


「昨日じゃなくて今日払うの?」


「細かいこと気にすんな」


「いや、自分の分は払うよ」


「いいって」


 ダンは譲らない。


 シュウが困っていると、ユリウスが静かに財布を出した。


「俺は払う」


「お前もいいって!」


「借りを作りたくない」


「串一本で借りとか言うなよ!」


「なら勝手に奢るな」


 店主が串を持ったまま笑っている。


「若いなあ。誰が払っても肉の味は変わらんぞ」


 周囲にいた客からも笑い声が上がった。


 結局、ダンが四本分を払った。


「次は俺が出すから」


 シュウが言う。


「おう!」


「次がある前提なのね」


 セシリアは呆れながらも、受け取った串を返そうとはしなかった。


 近くの木陰へ移動する。


 ハンスたちも少し離れた場所で昼食を始めた。


 シュウは串へかじりつく。


「うま」


 肉は少し硬い。


 でも香辛料が効いている。


 旅先で食べるせいか、それも含めて美味しい。


「だろ?」


 なぜかダンが誇らしそうだ。


「君が作ったわけじゃないでしょう」


 セシリアが言う。


「俺が選んだ」


「匂いにつられただけじゃない?」


 シュウが聞く。


「……まあ」


「正直だな」


 笑いが起こる。


 そのまま自然に会話が続いた。


「三人って、本当に昨日会ったばっかりなんだよね?」


 シュウが確認すると、セシリアが頷く。


「正確には昨日の朝です。関所の少し手前で、ダンさんの馬車が道を塞いでいたんです」


「塞いでたんじゃない! 車輪見てたんだ!」


「道の真ん中で?」


「端に寄せようとしてた!」


「寄せる前に止まったのでしょう」


「ユリウス、お前どっちの味方だよ」


「事実の味方」


 静かな顔で言う。


 シュウは思わず吹き出した。


「ユリウス、結構言うね」


「ダンがうるさいから」


「昨日会ったばっかりだろ!?」


「昨日だけで十分だった」


 セシリアまで口元を隠して笑っている。


 初めて見たときは静かな少年だと思ったが、ユリウスは無口というより、必要のないことを言わないタイプらしい。


「シュウは一人で学院行くのか?」


 ダンが串を食べ終えながら尋ねる。


「護衛はいるけど、新入生は俺だけ」


「知り合いは?」


「学院にはいないと思う」


「じゃあ俺らと同じじゃん」


「三人いるでしょ」


「昨日までいなかった」


 それはそうだ。


 シュウは少し黙った。


 昨日まで知らなかった三人。


 今日こうして同じ木陰で肉を食べている。


 友達と呼ぶにはまだ早い。


 でも完全な他人でもなくなっている。


「ダンって、誰とでもこんな感じ?」


 シュウが尋ねる。


「こんな感じって?」


「すぐ話しかける」


「話した方が早いだろ」


 ダンは何でもないことのように答えた。


「学院なんて知らない奴ばっかりなんだから、黙ってても知り合い増えないし」


 単純。


 でも間違っていない。


「俺、友達作れるかちょっと心配だったんだよね」


 シュウは自分でも意外なくらい素直に言えた。


 セシリアがこちらを見る。


「シュウさんが?」


「うん。領地からほとんど出たことなかったし、同年代と話す機会もそこまで多くなかったから」


 貴族家の次男という立場もある。


 領都に知り合いはいる。


 でも学院のように、毎日大勢の同年代と過ごす環境は初めてだ。


「全然そう見えないけどな」


 ダンが言う。


「昨日会って普通に話してるし」


「君が勝手に話しかけてくるからじゃない?」


「それでも返してるだろ」


 言われてみればそうだ。


 ミリアとも話した。


 この三人とも話している。


 旅へ出る前に想像していたほど、自分は人付き合いが苦手ではないのかもしれない。


「学院でも、こういう感じでいいのかな」


「いいんじゃないですか」


 セシリアが答えた。


「私も知らない方ばかりです。無理に全員と仲良くする必要はないでしょうけれど、話してみないと分からないこともありますから」


 彼女はそう言ったあと、少しだけ視線を落とした。


「私も、少し緊張していますし」


「セシリアも?」


「しますよ」


「全然見えない」


 ダンが言う。


「あなたに見せていないだけです」


「俺には?」


「特に」


「なんで!?」


 また始まった。


 けれど今度は、シュウもそのやり取りの中に自然と笑っていた。


     ◇


 昼食後。


 出発前に馬へ水を飲ませるため、少し長めの休憩を取ることになった。


 シュウは休憩所の端にある低い柵へ寄りかかり、街道を眺めていた。


 セシリアたちは少し離れたところにいる。


 ダンは護衛の騎士と何か話し、ユリウスはまた本を開いている。セシリアは露店で飲み物を買っていた。


《マスター》


『ん?』


《先ほどの会話について》


『何?』


《対人関係への懸念は、当初想定より小さい問題である可能性があります》


『前にも言ってたな、それ』


《はい》


 シュウは柵へ肘を置いたまま、少し笑った。


『でもさ。家にいるときと違うんだよ』


《何がでしょうか》


『向こうは俺が男爵家の次男だって最初から知ってる人ばっかりだったから』


 領都で出会う相手の多くは、アルヴェイン家を知っている。


 シュウが誰の息子か。


 兄が誰か。


 父が領主であること。


 それらが先にある。


 もちろん、それが悪いわけではない。


 領民も使用人も、シュウを大切にしてくれた。


 ただ、学院では違う。


『あいつら、俺のこと何も知らないんだよな』


《男爵家の次男であることは伝わっています》


『それくらい』


 黒歴史も。


 前世も。


 北部森林で何をしたかも。


 アルカディアの本当の正体も。


 何も知らない。


 ただ街道で会ったシュウ・アルヴェインとして話している。


 それが新鮮だった。


「シュウさん?」


 声に振り向く。


 セシリアが二つの木杯を持っていた。


「これ、よかったら」


「俺に?」


「先ほどダンさんが勝手に串を奢ったので、今度は私からです」


「気にしなくていいのに」


「私が気になるんです」


 差し出された木杯から、甘い香りがする。


「ありがとう」


 受け取る。


 冷たい果実水。


 一口飲む。


「美味しい」


「よかった」


 セシリアも隣へ立った。


 少し距離を空けて同じ街道を見る。


 馬車。


 旅人。


 空。


 風。


 会話をしなければならないような気がしていた昨日とは違い、今は少し沈黙していても気まずくない。


「シュウさんは」


 しばらくして、セシリアが口を開いた。


「学院で何を学びたいんですか?」


「魔法」


「それは全員では?」


「だよね」


 シュウは笑う。


「でも、昨日ちょっと変わった」


「変わった?」


「川で船を動かしてる魔法を見たんだ。風で帆を膨らませて」


「ああ。風航術ですね」


「知ってるの?」


「私の領地にも川がありますから」


「風航術っていうんだ」


 名前すら知らなかった。


「俺、魔法って戦うために使うことが多かったんだ」


 言ってから、少し言葉を選ぶ。


 アルカディアの能力について詳しく話す必要はない。


「訓練も戦闘向けが中心だったし。でも旅に出たら、温熱石とか方位盤とか、船を動かす魔法とか、全然違う使い方がいっぱいあってさ」


「生活魔法や魔導工学に興味があるんですか?」


「今はある」


「学院にも授業があるそうですよ」


「本当?」


「選択科目だったと思います。私は魔導具に少し興味があるので、調べました」


 意外だった。


「セシリア、魔導具好きなの?」


「好きというより……」


 彼女は少し迷い、手の中の木杯へ視線を落とした。


「母が、あまり身体が強くないんです」


 声が少し柔らかくなった。


「家の中では温度調整や移動補助の魔導具を使っています。もっと便利なものが作れれば、同じような方の助けになるのではと思って」


「そっか」


 シュウはそれ以上、母親のことを聞かなかった。


 聞いていいか分からなかったからだ。


 ただ、セシリアが学院へ行く理由を一つ知った。


 魔法を学ぶ。


 同じ言葉でも、その中身は人によって違う。


「いいね、それ」


「まだ作れるかも分かりませんけど」


「だから学ぶんでしょ?」


 セシリアが少し目を見開いた。


 そのあと、ゆっくり笑った。


「……そうですね」


 風が吹く。


 彼女の栗色の髪が頬へかかり、セシリアは片手でそれを耳へ掛けた。


「シュウさんは、卒業したらどうするんですか?」


「冒険者」


「貴族なのに?」


「次男だから家督は兄さんが継ぐし、俺は世界を見たい」


 これは迷わず言える。


「いろんな場所に行きたい。海も見たいし、他の国も行きたい。昨日会った冒険者から話聞いて、もっとやりたくなった」


「楽しそうですね」


「セシリアは?」


「まだ決めていません」


 彼女は遠くを見た。


「学院で学んでから考えようと思っています」


「それもいいよね」


 十七歳で人生を全部決める必要はない。


 シュウ自身、冒険者になりたいという希望はあるが、その先まで細かく決めているわけではない。


「おーい!」


 ダンの声が飛んできた。


「そろそろ出るって!」


「分かった!」


 シュウが返す。


 セシリアも木杯を持ち直した。


「行きましょうか」


「うん」


 二人で馬車の方へ戻る。


 途中、ユリウスが本から目を上げた。


「話、終わった?」


「普通に話していただけです」


「そう」


「何その反応」


「別に」


 ユリウスはまた本へ視線を戻した。


 セシリアが少し眉を寄せる。


 シュウには何が引っかかったのか分からない。


 ただ、昨日より彼らの表情が少しずつ読めるようになってきた気がした。


     ◇


 午後の街道は、午前よりもさらに人が増えた。


 それでも天候は穏やかで、旅そのものは順調だった。途中、小さな村を二つ通り過ぎ、街道沿いの共同井戸で一度馬を休ませたほかは、大きく足を止める出来事もない。


 シュウは途中から王都案内を開いた。


 明日到着する。


 そう思うと、今まで流し読みしていた項目まで気になる。


「王都って区画分かれてるんだ」


《案内書では大きく五区域に分類されています》


「王城周辺、貴族街、中央商業区、職人区……学院区?」


《学院および複数の研究施設が集まる北東部の通称です》


「学院以外にも学校あるの?」


《騎士養成院、王立薬学研究所、魔導技術院等が記載されています》


「行ってみたいな」


《王立魔法学院の学生が自由に立ち入れるかは不明です》


「見学くらいできないかな」


 行きたい場所が増える。


 昨日買った方位盤。


 ラウゼン川の船。


 魔導具。


 学院の図書館。


 王都の店。


 冒険者ギルド。


「休み足りるかな」


《まだ入学前です》


「分かってるけど」


《授業日程すら確認していません》


「夢くらい見させてよ」


《否定はしていません》


 ページをめくる。


 学院の項目。


 王立魔法学院は王都北東部に広大な敷地を持つ。


 入学後は基礎魔法学、魔力制御、魔法史、実技、魔法理論などを学び、二年目以降は選択科目の比重が増える。


「魔法史」


 指が止まる。


 北の封所。


 白樹材。


 古い石室。


 百八十年以上前の記録。


 アルヴェインの血統。


 森底の鐘。


 頭の中に、領地へ残してきたものが戻ってくる。


 忘れたわけではない。


 ただ旅の二日間、意識の中心から少し外れていただけだ。


『アルカディア』


《はい》


『学院で調べるなら、やっぱり魔法史かな』


《有力候補です。古代魔法、封印術、特殊建築材、地域史に関連する資料も有効でしょう》


『図書館にあるかな』


《規模から考えれば、アルヴェイン領内より多くの資料を期待できます》


「……そっか」


 シュウは本を閉じなかった。


 森の問題を背負うために学院へ行くわけではない。


 学院生活を楽しむ。


 友達を作る。


 魔法を学ぶ。


 そして、その中で調べられることがあれば調べる。


 それでいい。


 父も兄もいる。


 自分一人の問題ではない。


「焦らない」


《はい》


「でも忘れない」


《記録しました》


「お前が覚えてるなら、忘れようがないけどね」


《必要であれば百八十一年前の記録文を即時再提示できます》


「今はいい」


 窓の外へ目を向ける。


 平原の向こうに、低い山並みがある。


 そのさらに先。


 王都はまだ見えない。


 けれど確実に近づいている。


     ◇


 夕方が近づくにつれ、街道沿いの建物が増え始めた。


 畑の間に家が点在し、やがて小さな工房や倉庫も見えるようになる。遠くには城壁らしい灰色の線が伸び、その上に複数の監視塔が立っていた。


「リーデン?」


「はい」


 御者の声にも、長い移動を終える安堵が混じっていた。


「間もなく到着です!」


 シュウは窓から身を乗り出さない程度に顔を近づけた。


 ミレアは宿場町だった。


 リーデンは、それより明らかに「都市」らしい。


 城壁。


 大きな門。


 門前に並ぶ馬車。


 壁の外側にも倉庫や厩舎が並んでいる。


「でかい」


「王都北部の物流拠点ですからね」


 ハンスが馬上から答える。


「ここまで来れば、明日は王都です」


 その一言に胸が反応した。


 明日。


 本当に明日なのだ。


 後ろを見る。


 セシリアたちの馬車もついてきている。


 門前の列へ並ぶ。


 ミレアより厳しい確認が行われているらしく、衛兵が馬車ごとに通行証を見ていた。


 順番を待つ間、シュウは城壁を眺める。


「王都はもっと大きいんだよね」


「比較になりません」


 ハンスが言う。


「私も初めて見たときは驚きました」


「ハンスでも?」


「もちろんです」


 旅慣れたハンスでも驚いた。


 それを聞くと余計に楽しみになる。


「カイルは?」


「私は王都へ行ったことがあります」


「どうだった?」


「人に酔いました」


「そっち!?」


「本当に多いんですよ。祭りでもないのに領都の祭りみたいな人数がいます」


「想像できないな」


「明日分かります」


 カイルは笑った。


「シュウ様がどんな顔をするか楽しみです」


「絶対驚かないから」


「先ほどリーデンを見て『でかい』とおっしゃっていましたが」


「王都は心の準備するから」


「では期待しています」


「なんで勝負みたいになってるの?」


 話しているうちに列が進む。


 門へ近づく。


 夕方の光が城壁を橙色に染めている。


 王都まで最後の宿泊地。


 旅の終わりが、少しずつ見えてきた。


     ◇


 リーデンの中は、ミレアとはまた違う賑わいだった。


 宿屋が並ぶだけではない。


 大きな倉庫。


 商会の看板。


 工房。


 荷物を運ぶ人夫。


 荷馬車専用らしい広い道。


 旅人を泊める町というより、物を集めて送り出すための都市なのだと、シュウにもすぐ分かった。


「荷物ばっかり」


 馬車の窓から見えるのは、人より先に木箱や樽だった。


「北部各地から集まった物資の一部が、ここで仕分けされます」


 ハンスが説明する。


「王都へ運ぶものもあれば、別の地方へ送るものもあります」


「兄さん連れてきたら喜びそう」


「レイモンド様なら一日中商会を見て回られるかもしれませんね」


「ありそう」


 自分なら魔導具屋。


 兄なら商会。


 人によって見る場所が違う。


 宿は城門から少し離れた場所にあった。


 《旅人の天秤亭》。


 三階建ての大きな建物で、入口には商人らしい客が多い。


 馬車を中庭へ入れる。


 シュウが降りると、後ろから来た馬車も同じ場所へ入ってきた。


「え」


 セシリアたちだ。


 ダンが馬車から顔を出す。


「やっぱり同じ宿じゃん!」


「予約先まで一緒なの?」


 シュウも驚いた。


 セシリアが降りながら苦笑する。


「学院新入生向けに紹介される宿が限られているのでしょうね」


「明日も一緒に出ればいいだろ!」


 ダンが当然のように言う。


「あなたは、相手の都合を確認してから話しなさい」


「シュウ、明日一緒でいい?」


 注意された直後に聞いてくる。


 シュウは思わず笑った。


「俺はいいけど、護衛に聞いて」


 ハンスと相手側の護衛が顔を見合わせる。


 今日一日、互いに同じ速度で走っていた。


 危険も問題もなかった。


「出発時刻が合えば構いません」


 ハンスが答える。


 向こうの護衛も頷いた。


「よし!」


 ダンが拳を握る。


「そんなに嬉しい?」


「人数多い方が旅っぽいだろ!」


「もう明日で終わるけど」


「だからだよ」


 その言葉に、シュウは少しだけ黙った。


 旅が終わる。


 王都へ着けば学院生活が始まる。


 楽しみにしていたはずなのに、この三日間の馬車旅が終わることへ、ほんの少し寂しさも感じている自分に気づいた。


「……そっか」


 家を出たときには、王都へ着くことしか考えていなかった。


 でも今は、道中そのものにも思い出ができている。


「じゃあ明日、一緒に行こう」


「おう!」


 ダンが笑う。


 セシリアも小さく頷いた。


 ユリウスは本を抱えたまま、「よろしく」と短く言った。


 友達。


 まだ、その言葉を使うのは少し早い気がする。


 けれど少なくとも、昨日の朝までは知らなかった三人と、明日は同じ道を王都まで行く。


 それだけで十分だった。


     ◇


 夕食を終えたあと、シュウは宿の三階にある小さな共用露台へ出た。


 部屋の窓よりも視界が広い。


 リーデンの城壁。


 その向こうの平原。


 さらに南東。


 空はもう暗くなり始めている。


 王都そのものは見えない。


 それでも、あの方向だ。


「明日か」


《はい》


 風が少し冷たい。


 シュウは手すりへ両腕を置いた。


「三日前まで家にいたんだよな」


《はい》


「森に入って、みんな助けて、古い記録見つけて……それから出発して」


《短期間に多くの出来事が発生しています》


「濃いな」


 自分でも笑う。


 北部森林で命を懸けた翌日に、家族と食事をして。


 古文書を調べ。


 旅立ち。


 知らない人を助け。


 領境を越え。


 知らない町で眠り。


 新入生と知り合った。


 まだ学院へ着いてすらいない。


「この先、どうなるんだろ」


《予測不能です》


「そこは何か格好いいこと言ってよ」


《マスターの十四歳当時の記述であれば、適切なものが複数あります》


「それは格好よくない」


《この世界では高く評価される可能性があります》


「俺には効くんだよ」


 黒歴史という意味で。


 アルカディアが少し黙る。


 夜風の中、下の通りから人の声が上がってくる。


《では、私自身の言葉でもよろしいでしょうか》


 シュウは少し目を瞬いた。


「……うん」


 アルカディアが、自分の言葉。


 最近は以前ほど驚かなくなった。


 それでも、その表現には少し引っかかるものがある。


《マスターが望んでここまで来たのであれば、明日から先も、マスター自身が選べばよいと考えます》


 静かな声だった。


 黒歴史を暴露する時の淡々とした調子とも、能力を分析するときの機械的な説明とも少し違う。


「選ぶ、か」


《はい》


 学院へ行くことも。


 友達を作ることも。


 何を学ぶかも。


 卒業後に冒険者になるかどうかも。


 北の森の謎へどこまで関わるかも。


 力をどう使うかも。


 選ぶのは自分だ。


「お前も?」


《何がでしょうか》


「お前も、自分で選んでる?」


 問いかけたあと、返事はすぐには来なかった。


 風が手すりを撫で、遠くで鐘が鳴った。


 北部森林で聞いたものとは何の関係もない。


 リーデンの夜刻を知らせる、ごく普通の鐘。


《……少なくとも》


 アルカディアが答える。


《マスターと共に学院へ行くことについて、私は肯定的です》


「それ、前にも聞いた」


《はい》


「でも、今はちょっと違う?」


 また少し沈黙。


《その問いへの正確な回答は、現時点では保留します》


「ずるいな」


《不明なものを断定しない。マスターが北部森林で学ばれた判断です》


「俺の言葉で返された」


 シュウは笑った。


 答えは出ない。


 アルカディア自身も、自分がどこまで「自分」であるのか分かっていないのかもしれない。


 なら急がなくていい。


 北の森と同じだ。


 分からないものは、分からないまま覚えておけばいい。


「じゃあ、そのうち教えて」


《回答可能になれば》


「約束?」


《努力します》


「微妙だなあ」


 それでも十分だった。


 シュウは夜空を見上げた。


 雲の切れ間に星がある。


 アルヴェイン領で見ていた星と同じ。


 ベルクでも。


 ミレアでも。


 リーデンでも。


 場所が変わっても、空は続いている。


     ◇


 翌朝。


 リーデンの東門前は、日の出からそれほど経っていないにもかかわらず、既に多くの馬車と旅人で賑わっていた。


 王都方面。


 その文字が刻まれた石標の前で、シュウは馬車の扉へ手を掛けたまま立っている。


 ハンス。


 カイル。


 御者。


 少し後ろには、セシリア、ダン、ユリウスの馬車。


 二台で同じ道を行く。


「シュウ!」


 ダンが窓から顔を出した。


「今日は俺らが先な!」


「何の勝負?」


「王都に先に着いた方!」


「一緒に行くって言ったよね!?」


「競争しながら一緒に行けばいい!」


「馬を無駄に疲れさせないでください!」


 向こうの護衛から即座に怒鳴られた。


 周囲の旅人が笑う。


 セシリアが額へ手を当て、ユリウスは窓際で既に本を開いていた。


 シュウも笑いながら馬車へ乗る。


「出発します!」


 御者の声。


 車輪がゆっくり回り始める。


 リーデンの東門を抜けると、朝日に照らされた街道が南東へ伸びていた。


 その先。


 まだ地平線の向こう。


 けれど今日は、昨日までとは違う。


 この道を進めば、今日中に辿り着く。


 王都へ。


 そして。


 王立魔法学院へ。


 シュウは窓を開け、朝の風を受けた。


「行こう、アルカディア」


《はい、マスター》


 胸の奥にいる相棒の声を聞きながら、シュウは遠くへ伸びる街道を見つめた。


 旅の四日目。


 家を出てから続いてきた道は、いよいよ王都へ繋がる最後の一日を迎えていた。

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