第五話 贈り物の読み方
午後の店は、花の匂いで溺れそうだった。
乾燥棚にはもう吊るす場所がなくて、カモミールは平たい笊に広げて、窓辺に並べた。ラベンダーは束ねて梁から逆さに下げ、エルダーフラワーは紙の上で花房ごと陰干しにする。指先には黄色い花粉が残り、何度拭いても、爪のあいだから甘い匂いがした。
「ずいぶん精が出るじゃないか」
師匠が、二階から下りてきて言った。今日はもう三度目だ。用もないのに下りてきては、ザルを覗いて、にやにやして戻っていく。
「せっかくの上物ですから。傷む前に乾かさないと」
「そうだねえ。せっかくの、ねえ」
「……師匠。今朝から何なんですか」
「なんでもないよ」
なんでもない人は、そんなふうに語尾を伸ばさない。
わたしはエルダーフラワーの花房をひとつ持ち上げて、裏を確かめた。虫もいない。泥も跳ねていない。根元の切り口は、刃物ですっぱりと揃っている。問屋の親父さんが、こんなに丁寧に揃えて渡すはずがないから、きっと買った人が自分で切り揃えたのだ。
予算で買うものに、そこまで手をかけるだろうか。
……騎士団は、几帳面な人が多いのかもしれない。
「師匠。騎士団って、年の終わりに予算を使い切らないと、翌年に減らされるんですよね」
「どこで聞いたんだい、そんな話」
「昔、お客さんが言ってました」
「さあねえ。あたしは騎士団の帳面は知らないよ」
師匠はカモミールをひとつまみ口に入れて、噛みながら階段を上がっていった。途中で一度だけ振り返る。
「今夜の便り、楽しみだねえ」
「……毎晩聴いてるじゃないですか」
「今夜は特にさ」
何が特になのか、わたしにはさっぱり分からなかった。
日が落ちて、勝手口にランプを灯すと、最初に戸を叩いたのは肉屋の親方だった。
大きな体を縮めるようにして、左の親指を布で巻いている。骨を割るとき、包丁が滑ったのだという。布をほどくと、思ったより浅い傷だった。
「すまねえな、こんな夜に」
「夜に来るために灯しているランプです」
傷を洗って、カレンデュラの軟膏を塗る。親方はそのあいだ、ずっと天井を見ていた。血を見るのが苦手らしい。毎日、牛を一頭ばらしている人なのに。
「今日もよ、坊主がひとり、店の前で泣いたんだ」
「……お顔のせいですか」
「顔のせいだ」
親方は真面目な顔でうなずいた。真面目な顔をすると、確かに少し怖い。眉が濃くて、目が鋭くて、頬に古い火傷の痕がある。
「宵待さんに相談しようと思ってんだけどよ。顔の怖いのは、薬じゃどうにもならねえよなあ」
「……どうでしょうね。宵待さんなら、何か言うかもしれません」
わたしは包帯を結びながら、できるだけ平らな声で言った。親方は「だよなあ」と笑って、指を立てたまま帰っていった。泣いた坊主には、明日、腸詰めを一本おまけしてやるのだそうだ。
怖い顔の人ほど、何かを我慢していることが多い。それは薬師を二年やって覚えたことのひとつだ。
十一の鐘が鳴る頃には、屋根裏までカモミールの匂いが上がってきていた。
窓を開けても、匂いは逃げない。床板の隙間から、梯子の穴から、甘い空気がゆっくり這い上がってくる。わたしは苦笑して、窓辺に座った。
胸元の語り灯がともり、ささめが起きる。毛玉はしばらく鼻をひくつかせてから、うっとりと目を細めた。この子も、この匂いは嫌いではないらしい。
「こんばんは。夜更けの薬草相談室、宵待です。眠れない方も、眠りたくない方も、少しだけお付き合いください」
窓の外で、光の粒が路地を渡りはじめる。
「今夜の最初のお便りは、夜の名『編み棒』さんから」
便箋の字は細くて、ところどころ震えていた。年配の方だ。
「『息子の嫁に、冬に備えて手編みの肩掛けを贈りました。ひと月かけて編んだものです。ところが嫁は、受け取るなり顔をこわばらせて、「この家は寒いと言いたいんですか」と言いました。それきり口をききません。わたしは、喜んでほしかっただけなのです』」
わたしは便箋を置いて、少し息をついた。
贈ったほうは、善意しか持っていない。受け取ったほうは、その善意の形を読み違える。よくある話で、よくある話だからこそ、こじれると長い。
「ひと月、ですか。たくさん編みましたね」
ささめが、便箋の端を前足でつついた。
「編み棒さん。贈り物は、贈った人の気持ちをそのまま運んでくれるわけではありません。受け取った人は、その物を見て、贈り主の気持ちを推し量るしかない。そこに言葉がなかったら、受け取った人は、自分のいちばん不安な読み方を選んでしまうことがあります」
息子さんのお嫁さんは、たぶん、嫁いだ家で寒いと思われたくなかったのだ。そういう不安を抱えている人に、黙って肩掛けを渡せば、それは「あなたは寒そうに見える」という言葉に化けてしまう。
「贈り物は、言葉を添えて初めて意味が決まります。今からでも遅くありません。『風邪をひかないように』の、ひとことを。それだけで、肩掛けは肩掛けに戻ります」
言いながら、わたしは階下の木箱のことを思い出していた。
言葉の添えられていない贈り物なら、今朝ひとつもらったばかりだ。理由は言えない、と言われて置いていかれた、業務用の花。
……あれに添える言葉なんて、予算の都合くらいしかないだろうけど。
そもそも、わたしは贈り物をもらい慣れていない。実家の母は季節ごとに薬草と蜂蜜を送ってくれるけれど、あれは贈り物というより仕送りだし、添えてある手紙はいつも「ちゃんと食べなさい」の一行きりだ。
それでも、その一行があるから、わたしはあの蜂蜜を母の顔で思い出せる。
言葉というのは、そういうものなのだと思う。
「そうそう。肩掛けをしたお嫁さんの姿をもし見かけたら、似合っていると、それも言ってあげてください。褒められて冷える人は、あまりいませんから」
わたしは次の便りに手を伸ばした。
青い月石が、ひと粒。
鼓動がひとつ、余計に打った。見習いさんだ。昨夜の今夜で、もう便りをくれた。
この人は、いつ便りを書いているのだろう。部下の話ばかり書いてくる人だから、夜警のある身なのかもしれない。誰もいない夜道を歩きながら、懐の灯りでこの時間を聴いている若い騎士を、わたしは勝手に思い浮かべた。
「次のお便りは、夜の名『見習い』さんから」
封を開く。相変わらず、角の立った几帳面な字だった。
「『宵待殿。ご助言のとおり、花を贈りました』」
ほら、とわたしは心の中で手を叩いた。行動の早い人だ。
「『受け取ってはもらえました。ですが、あまり嬉しそうではありませんでした。私の選び方が悪かったのだと思います。何がいけなかったのか、分かりません』」
……あら。
わたしは便箋を見つめた。
花を贈って、嬉しそうではなかった。そんなことがあるだろうか。花束をもらって困る人は、たぶん、そう多くはない。
――花束ならまだいい。わたしなんて今朝、薬草を箱でもらったんだから。
心の中でぼやいてから、わたしは咳払いをした。宵待の時間に、昼の愚痴を持ち込んではいけない。
「見習いさん。花をもらって、嬉しくない人はあまりいませんよ」
ささめが便箋の上に乗った。鼻先を押しつけて、昨夜と同じ、蜂蜜に溺れたような顔をしている。
「だから、もしかしたら、花ではなくて渡し方のほうかもしれません。さっきの編み棒さんと同じです。黙って渡された贈り物は、受け取った人に、余計な読み方をさせてしまうことがあります」
言葉を添えて。
今夜のわたしは、同じことを二度言っている。師匠に聞かれたら、また助言が長いと言われるだろう。
「次にお会いになったら、何か、ひとつ褒めてみてはどうでしょう。大げさなことでなくていいんです。その方が大切にしているものを、さりげなく。それなら、きっと、言葉ごと届きます」
ささめは便箋の上で、まん丸に膨らんでいた。食べすぎだ。わたしはその毛玉をそっと便箋から下ろして、机の隅に寝かせた。
「今夜のお薬は、しょうがと蜂蜜のお茶です。――おやすみなさい」
灯りが欠けていく。窓の外では、淡い黄の窓がひとつ、またひとつと三日月に戻っていった。
わたしは便りを木の箱にしまい、月石を小瓶に落とした。ころん、と高い音がする。見習いさんの石は、いつも音までいい。
梯子を下りかけたところで、二階の師匠の部屋から、押し殺したような笑い声が聞こえてきた。
……聴いてたんだ。今夜は特に、って。
何がそんなにおかしいのか、やっぱり分からなかった。わたしは首をかしげて、自分の寝床にもぐりこんだ。
カモミールの匂いの中で、その夜はよく眠れた。
そして翌朝も、団長は店の前を通った。
昨日より、少しだけゆっくりと。




