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わたしへの恋を、わたしに相談しないでください ~深夜の精霊ラジオ、常連リスナーの正体は石像と呼ばれる騎士団長でした~  作者: みだん


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第二十七話 見習い、最後の手紙

 月送りの前の日、蝋燭小路は朝から紙の匂いがしていた。


 家々の軒先で、子どもたちが紙を折っている。舟の形に折った紙の底に、銀色に透けたルナリアの莢を一枚ずつ敷き、小さな蝋燭を立てる。明日の夜、それに火をともして川へ流すのだ。パン屋の窯の前にも、肉屋の店先にも、折りかけの紙の舟が山になっていた。


 わたしは店のカウンターで、師匠と並んで莢を数えていた。


 土手で摘んできた莢は、すっかり透けきっていた。窓からの光にかざすと、薄い皮の向こうに指の影が見える。小さな、丸い、銀色の月。


「百と二十。小路の家の数には足りるね」


 師匠が、最後の束を籠に入れた。


「あんた、さっきから同じ莢を三回数えてるよ」


「……数えてません」


「数えてたよ」


 師匠は籠を持ち上げて、戸口のほうへ歩いていった。それから、振り返らずに言った。


「明日の夜、店は宵の口までだろう」


「はい」


「宵待の番は、重ね語りのいちばん最後だ。十一の鐘のころだね」


「……知ってます」


 師匠の背中は、戸口の光の中で小さく見えた。籠を抱えた腕が、少しだけ止まっていた。


「なら、いいよ」


 師匠は、それだけ言って、小路へ莢を配りに出ていった。


 昼過ぎ、ティモさんが店の前を馬に乗って通った。


 馬の背で、背筋をこわばらせて、両手で手綱を握りしめている。横には誰もついていなかった。ひとりで、ゆっくり、一歩ずつ。


 わたしに気づいたティモさんは、手を振ろうとして、手綱から手が離れかけて、慌てて握り直した。


「十歩です! 今日は、ひとりで十歩!」


「すごいです。落ちないでくださいね」


「落ちません!」


 ティモさんは、真っ赤な顔で、ゆっくり角を曲がっていった。


 夕方には、銀の莢亭のほうから、ジルケさんの唄の稽古が聞こえてきた。銀の莢の唄。窓を開けると、通りの喧騒にまぎれて、細い声が流れてくる。


 わたしは、その声を聴きながら、明日のことを考えないようにしていた。


 考えないようにしているということは、考えているということだった。


 十一の鐘が鳴った。


 窓の外には、ほとんど満ちた月が、南東の空の高いところにかかっていた。明日には、まるくなる。光の粒は遠くまで流れ、川向こうの端の窓まで、淡い黄に満ちていく。土手のルナリアが、月の光を受けて、銀の波みたいに揺れていた。


「こんばんは。夜更けの薬草相談室、宵待です。眠れない方も、眠りたくない方も、少しだけお付き合いください」


 机の上の便りは、四通だった。


 三通を読んで、答えた。明日の月送りの灯りの折り方を聞く子どもの便り。祭りの夜に酒を飲みすぎないための薬草の相談。毛糸屋の編み棒さんから、お嫁さんと二人で灯りの舟を折っています、という短い便り。


 四通目の封筒は、ほかのどれよりも厚かった。


 青い月石が、ひと粒。


 わたしは、それを手のひらに載せた。冬の朝の空の色。いちばん青いのを。いちばん、いいのを。


「……最後のお便りは、夜の名『見習い』さんから」


 封を開く。便箋が、三枚あった。角の立った、几帳面な字。行の頭が、定規を当てたみたいに揃っている。


「『宵待殿。今夜で、便りは最後にします』」


 声は、出た。宵待の声だった。


「『冬のある夜、私は初めて、宵待殿の声を聴きました。部下から渡された、ひびの入った灯りで。私はそのころ、眠れずにいました。宵待殿は、眠れない夜は、無理に眠ろうとしなくていいと言いました。眠れないまま、誰かの声を聞いていてもいいのだと。その夜、私は朝まで眠りました』」


 覚えている。冬の夜だった。眠れない聴き手がいるかもしれないと思って、わたしはそう言った。誰が聴いているのかも知らずに。


「『それから半年あまり、宵待殿に便りを書きました。部下のことを。そして、彼女のことを』」


 ささめが、便箋の上に乗った。とろけた顔ではなかった。耳を立てて、じっと、わたしの声を聴いていた。


「『花を贈れと言われて、薬草を箱で贈りました。褒めろと言われて、正確だと言いました。そばにいろと言われて、店の前に三日立ちました。手で作れと言われて、重すぎる棚を作りました。笑えと言われて、部下に脅迫だと言われました』」


 窓の外の、どこかの窓から、小さな笑い声が聞こえた気がした。


 わたしは笑えなかった。一枚目の便箋を、膝の上に置いた。


「『宵待殿は、いつも正しかった。間違えたのは、いつも私のほうです』」


 二枚目。


「『最初の夜、宵待殿は、恋の相談なら夜鳴き鶯殿の時間のほうが向いていると言いました。それでも私が宵待殿に書き続けたのは、宵待殿の言葉に、嘘がひとつもなかったからです』」


 息が、止まりかけた。


「『華やかな言葉は、私には分かりません。けれど、嘘のない言葉なら、信じられる。私は、正直な声を信じたかったのです』」


 ――宵待ってのはね、あんたの嘘のない声のことさ。


 師匠の声が、耳の奥でした。


「『彼女も、そういう人です。薬を売らないと言い張るときも、私を叱るときも、嘘がひとつもない。だから、好きになりました』」


 声が、揺れた。


 揺れたのを、窓の外の何百もの聴き灯が聴いている。分かっていた。分かっていて、止められなかった。


 三枚目。


「『宵待殿に教わった言葉で、私はここまで来ました。けれど、最後の言葉だけは、借りずに行きたいと思います』」


 便箋の最後の行は、ほかのどの行よりも丁寧に書かれていた。一画ずつ、確かめるように。


「『私は今も見習いのままです。それでも、彼女には自分の言葉で伝えに行きます』」


 わたしは、便箋を胸に押し当てた。


「『半年あまり、ありがとうございました。これからも、聴き手のひとりとして、宵待殿の声を聴いています。――見習い』」


 読み終えた。


 部屋の中が、ひどく静かだった。窓の外を、光の粒がゆっくり流れていく。土手のルナリアが、さわさわと鳴っている。


 何か言わなければならない。宵待として。この人に。


 宵待は、昼の名を明かせない。わたしです、とは言えない。


 でも、嘘をつかなくていいことなら、言える。


「……見習いさん」


 声が、自分でも驚くほど、静かだった。


「宵待は、いつも正しかったわけではありません。間違えたのは、あなたひとりじゃない。……花を勧めたのも、褒めろと言ったのも、そばにいろと言ったのも、宵待です。宵待も、ずいぶん間違えました」


 ささめが、わたしの指に、そっと鼻先を押しつけた。


「でも、あなたは、間違えるたびに、そのたびに、ちゃんと、その方のところへ行った。……それは、宵待には、できなかったことです」


 喉の奥が、熱かった。


「その方は、きっと、待っています」


 それだけは、嘘じゃなかった。いちばん、嘘じゃなかった。


「いってらっしゃい、見習いさん」


 少しだけ、間をおいた。


「今夜のお薬は、カモミールとレモンバームのお茶です。明日は、きっと、いい夜になります。――おやすみなさい」


 灯りが、ゆっくりと欠けていく。


 三日月に戻った灯りの前で、わたしは膝を抱えて、声を殺して泣いた。


 梯子の下で、杖が床を一度だけ、とん、と鳴らした。それきり、何の音もしなかった。


◇


――幕間


 宿舎の寝台に腰かけて、私は自分の便りを聴いていた。


 枕元の聴き灯が、淡い黄に満ちている。ひびの筋を透かして、光が天井まで伸びていた。


 自分の書いた言葉が、宵待殿の声で読まれていく。花のこと、棚のこと、脅迫のこと。壁の向こうの部屋で、誰かが小さく吹き出す声がした。ロイだろう。あの男も聴いているのだ。構わない。今夜は、それでいい。


 読み終えた宵待殿は、少しのあいだ黙っていた。


 ――宵待も、ずいぶん間違えました。


 その声を聴いて、私は少し驚いた。宵待殿が、自分の間違いを口にするのを、初めて聴いた。


 ――その方は、きっと、待っています。


 そのとき、ほんの一瞬だけ、宵待殿の声が、別の誰かの声に重なった気がした。


 朝の小路で、如雨露を抱えて、待っています、と言った声に。


 私は、聴き灯を見つめた。


 気のせいだ。夜の声は、昼の声とは違って聞こえる。精霊が運ぶのは声ではなく、気持ちの形だからだ。昼に聞いた声が耳に残っていて、重ねて聞こえただけだろう。


 ――いってらっしゃい、見習いさん。


 灯りが欠けていく。三日月の光だけが、ひびの筋に残った。


 私は、寝台の上で姿勢を正した。


 明日の夜、宵の口が過ぎたら、蝋燭小路へ行く。


 花は持っていかない。棚も、石も、薬草の箱も。今度は、言葉だけで行く。


 何を言うかは、もう決めてある。決めてあるが、口に出したことは一度もない。宵待殿にも、書かなかった。


 書かなかったことを、言いに行くのだ。


 窓の外で、ほとんど満ちた月が、白く光っていた。私はその夜、灯りが欠けたあとも、しばらく眠れなかった。


 眠れないまま、誰かの声を思い出していてもいいのだと、私はもう知っていた。

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