31話 わたしの言葉で
建国祭から、ひと月が過ぎた。
王太子となったエイダンは、はじめて大きな壁にぶつかっていた。
シャルロットを妃に迎えたい。その意向を告げたとき、居並ぶ貴族たちの多くが渋い顔をした。声にこそ出さねど、その目が語っている。追放されていた娘を。姉の名を騙り宮廷を欺いた娘を、この国の母にするのか、と。
* * *
あのセルヴァン公すら、慎重だった。
「殿下。あの娘御の功は、誰もが認めるところ」老臣は静かに言った。「なれど、妃となれば話は別にございます。七年、追放されていた身。宮廷を欺いた過去も、消えはいたしませぬ」
老臣は、静かに言葉を継いだ。
「いずれ、王妃となられるお方。民は、その血筋と家柄を見ます」
もっともな諫言だった。
エイダンは、その一つひとつを正面から受け止めた。そして、はっきりと答えた。
「血筋で言うのなら」
広間を、見渡す。
「兄上ほど、申し分のない血筋はなかった。正統の王太子。誰もがひれ伏す家柄。その兄上が父を手にかけ、この国を七年欺いた。血筋は、真実をひとつも守れなかった」
貴族たちが息を呑む。
「あの人には、名前も、家の後ろ盾もなかった。それでも、誰にも読めなかった真実を読み解いた。たったひとりで、この国を救ったのだ」
エイダンの声が、熱を帯びた。
「私は血筋よりも、あの人のその目を信じます」
* * *
それでも、ためらいは消えなかった。
名もなき代筆の娘に、国の母がつとまるのか。声にならぬその問いが、まだ広間に漂っていた。
そのときだった。
シャルロットが、静かに進み出た。
「僭越ながら、わたくしの口から申し上げます」
凛とした声だった。エイダンは思わず、彼女を見た。
「わたしは七年、姉の名で言葉を書いてまいりました。それは、まぎれもない事実。けれど、いまこの場で申し上げる言葉だけは、借りものではありません。わたくし自身の言葉です」
広間が、静まりかえる。
「わたしは、名を持たぬ者、声を持たぬ者の心細さを存じております。見えぬところで手だけを動かす者の、その痛みを」
彼女は、まっすぐに顔を上げた。
「もし、その席をいただけるのなら。わたしは、いちばん下から、この国を見つづけます。日の当たらぬ者を、けっして忘れぬ王妃に。それが、わたしにできるただひとつのお約束にございます」
誰も言葉を返せなかった。
借りものでない、彼女自身の言葉が、満座の胸を静かに打っていた。
張りつめていた空気が、ゆっくりとほどけていく。侮りの色は、いつのまにか消えていた。
* * *
しばしの沈黙のあと、セルヴァン公が、ゆっくりと頭を垂れた。
「……この老骨、見誤っておりました」
その声は、どこか、晴れやかだった。
「あなたさまの言葉には、たしかに値打ちがございます」
エイダンの胸が熱くなった。
七年前、価値などないと嗤われた言葉。その言葉が、いま、確かな値打ちとして認められた。
エイダンは、シャルロットの手を取った。今度は、満座の衆目のただ中で。
「私の妃は、この人だ。ほかには、いない」
言い切る声に、もう迷いはなかった。
もう、渋い顔をする者はいなかった。
窓の外では、春のはじめの光が、広間にあたたかく射し込んでいた。二人の前の道が、ようやくまっすぐにひらけていた。




