27話 借りものの言葉
衛士に囲まれて、オズワルドが広間を出ていく。潮騒のようだったざわめきが、少しずつ引いていく。
シャルロットは、柱の陰にくずおれた姉の前に立っていた。
七年ぶりに、これほど近くで姉の顔を見た。記憶のなかの姉は、いつも完璧で、冷たく美しかった。いまは青ざめ、肩を震わせている。まるで、別の人のようだった。
七年、この人の一言に怯えて生きてきた。その言葉に、わたしは名前も声も奪われた。けれど、いま目の前にいるのは、ただ震えている、ひとりの女だった。
* * *
姉が、顔を上げた。シャルロットを見て、その目が大きく揺れた。
「なぜ」ロザリンドの唇が震えた。「なぜ、あなたが。遠くへやったはずの、あなたが」
その声には、もうあの高慢さのかけらもなかった。ただ、怯えだけがあった。
「姉さま」シャルロットは、静かに問うた。「どうして、七年も。わたしの言葉を、あなたのものに」
ロザリンドの顔が、くしゃりと歪んだ。
* * *
「わたしには、何もなかったからよ」絞り出すような声だった。「美しく生まれて、殿下の婚約者に選ばれて。……それだけ。あの方がほんとうに求めたのは言葉だった。わたしには、ただの一行も書けなかった」
姉は、両手で顔を覆った。
「あなたの書いた手紙を、わたしの名で送るたびに。あの方の返事は、どんどんあたたかくなっていった。わたしにではない。それを書いた人へ。あの方は少しずつ、あなたを好きになっていったの。わたしの名を着た、あなたを」
シャルロットの息が、止まった。
「わたしは七年、あの方に愛された。借りものの言葉で。借りものの声で。あの方が見ていたのは、ただの一度も、わたしではなかった」
姉の頬を、涙が伝った。
「お前の言葉に価値などないと、言い続けた。そう言い聞かせなければ、わたしのほうが壊れてしまうから。あなたを遠くへやったのも同じ。あなたさえ消えれば、あの手紙はぜんぶわたしのものになると思ったの。……ばかね。あなたがいなくなった途端、わたしはあの方へ、一行も書けなくなったのに」
* * *
シャルロットの胸に、こみ上げるものがあった。
怒りではなかった。もっと静かで、苦いものだった。
七年、わたしは名前を奪われて生きてきた。けれど、この人も同じだった。借りものの言葉のなかで、ただの一度も、ほんとうの自分を愛されないまま。
哀れだと思った。憎みきれないほどに。
わたしが奪われたのは、名前だった。けれど、この人が失っていたものは、もっと惨い。だれかに、ほんとうの自分を愛される日。それを、この人は自分の手で永遠に手放してしまったのだ。
「姉さま」シャルロットは、言った。「あなたはずっと、わたしの言葉に価値などないと言いましたね」
ロザリンドが、顔を上げた。
「でも、ほんとうは、あなたがいちばんよく知っていた。わたしの言葉に価値があったことを。誰よりもあなたが、その言葉に縋って生きてきたのだから」
姉は、何も言い返せなかった。
* * *
言い返せないことが、その答えだった。
シャルロットは、静かに息を吸った。
わたしは、この人を憎みきることも赦すこともできない。ただ、もう二度と、この人の影で書くことはない。それだけは、決めていた。
「わたしはこれからは、わたしの名前で生きていきます」
姉に背を向けて、歩きだした。もう、振り返らなかった。
光の射す扉の前に、あの人が待っていた。エイダンだった。姉との時間を邪魔せぬよう、そこでじっと待っていてくれたのだ。
七年、便箋の余白でだけ交わしてきた人が、いまはまっすぐにシャルロットを見ていた。もう、名前のない手ではなかった。
その眼差しは、姉の名を探してはいなかった。ただ、わたしだけを見ていた。七年、焦がれながら一度も注がれることのなかったその視線が、いま、たしかにここにある。
わたしは、シャルロット・ラヴィエール。
その名を、この胸に、初めてたしかなものとして抱いた。




