25話 行間
「証を見せてみよ、と仰いましたね」
シャルロットは、胸に抱いた布包みを静かに解いた。
現れたのは、束ねられた古い手紙の山だった。黄ばんだ紙が、燭台の光にほのかに浮かぶ。
「これは、この七年、殿下が姉の名の宛先へ。いいえ。ほんとうはわたしへ書いてくださった、手紙のすべてです」
広間がざわめいた。恋文の束が、なぜ父殺しの証になるのか。誰の顔にも、その問いが浮かんでいた。
「殿下は」とシャルロットは続けた。「字面しか読めぬ者には、けっして見えぬところに真実を隠されました。行間に」
* * *
「殿下は毎回たったひとつだけ、その場にそぐわぬ古い言葉を手紙に紛れ込ませました。前の文にも後ろの文にも、意味のつながらない一語を」
シャルロットは、束から一通を抜いて開いてみせた。
「たとえば、この一通。春の庭を愛でる、なんでもない恋文です」
その一行を、指でなぞる。
「けれど花の名のなかに、『兜の花』という古い呼び名がひとつ。いまどき誰も、そうは呼びません。前にも後ろにも意味がつながらず、そこだけ小石が紛れたように浮いています」
「どの便りにも、必ずひとつ。古くて意味の通らない、そぐわぬ一語がある。それが目印。字面しか追わぬ目には、殿下の悪い癖にしか見えません」
「七年のあいだ、その一語のほとんどは意味を持ちません。いつか誰かが行間まで読むかを試す、信号だったのです」
シャルロットの指が、束のいちばん新しいほうへ滑った。
「けれど、差し迫ったここ半年ほどの手紙。その直近の一語だけが、順に並べると意味をなして繋がりはじめる」
彼女は、セルヴァン公へ向き直った。
「公。どうか確かめてください。この手蹟が、まことに殿下のものか。そして、わたしの選ぶ一語がこじつけでないかを」
* * *
セルヴァン公は、しばし手紙に目を落として言った。
「第二王子殿下の御手蹟に相違ない。長年、奏上を拝見してきた。この字は、偽れるものではない」
公は、近くの客たちにも手紙を回した。おのおのが、その浮いた一語を自分の目で拾っていく。恣意ではない。誰の目にも、そこだけがたしかに浮いているのだから。
拾われた古い言葉を、シャルロットがいまの言葉に直していった。
「兄君。いまの言葉で、兄」
次の紙が、めくられる。
「父君。父のことです」
また、次。
「兜の花。鳥兜。猛毒の花」
広間の空気が、ひやりと張りつめた。読み上げる客の声が、だんだんと震えていく。
「身罷る。亡くなる、という古い言い方」
「継ぐ。王位を、継ぐ」
「麻呂。いにしえの、我。つまり、私」
「次ぐ。次は、ということ」
「夜半。建国祭の、真夜中」
ばらばらに拾われた古い言葉が、いまの言葉に直され、届いた順に並んでいく。誰かひとりの主張ではない。この広間の幾人もの手と目が拾い上げ、そうして一文が立ち上がった。
兄が父を、鳥兜の毒で亡き者にして王位を継いだ。次は、私。建国祭の夜半に。
* * *
沈黙が、広間を凍らせた。
建国祭の、夜半。それは、まさに今夜のことだった。
「この手紙が書かれたのは、数か月も前」シャルロットの声が、静寂に落ちた。「今夜の手すりの細工など、誰も知りようのなかった頃です。それなのに殿下は書き遺しておられた。建国祭の夜半、命を狙われる、と」
彼女は、束から一通を掲げた。
「わたしは、この一文を読んで震えました。だから殿下に、たった一行だけ書いてお渡ししたのです。露台に出てはなりません、と」
彼女は、天井の高みの露台を見上げた。
「花火の夜、王族が高い露台に立つならわし。事故に見せかけて狙うなら、そこよりほかにない。そして今夜、その露台の手すりから、ほんとうに細工が見つかりました」
彼女は、まっすぐ前を見た。
「気の触れた者が、これほど正確に、まだ起きてもいない暗殺を言い当てられるでしょうか」
誰も、答えられなかった。
エイダンが、静かに進み出た。
「私の手だ」広間じゅうに届く声だった。「私が書いた。父上が兄上に害されたと知った日から、次は私の番だと悟りながら。いつか、この行間を読んでくれる人がいると、それだけを信じて」
その眼差しが、シャルロットに注がれた。七年、余白でだけ交わしてきた二人が、満座の光の下で同じ真実の両端を握っていた。
* * *
オズワルドは、動かなかった。
だが、その顔から、あの余裕の笑みが、ついに消えていた。
弁舌では覆せない。手紙は弟の手蹟で、細工の手すりは今夜暴かれ、予言は的中している。狂気の一言で、もう片づけられはしない。
王太子のこめかみに、汗が一筋光った。
「……戯言だ」
絞り出したその声は、初めてかすかに掠れていた。
「紙切れの言葉遊びで、この私を——」
「セルヴァン公」オズワルドは、不意に声を張った。「公は、先王の忠臣であろう。ならば分かるはずだ。これは、王家を貶めんとする者どものたくらみだと」
だが、老臣は、答えなかった。
ただ、深い皺のなかの目でじっと王太子を見つめ、それから静かに口を開いた。
「殿下。……先王が身罷られたあの夜。おそばの侍医が、翌朝には替わっておりました。誰も、その仔細を知らぬまま。わたしは、ずっとあれが腑に落ちずにおりました」
オズワルドの、喉が、ごくりと動いた。
その一瞬の綻びを、広間じゅうが見ていた。




