023 証は、露台に
名を聞いた。
シャルロット・ラヴィエール。
七年、便箋の余白でだけ交わしてきた声に、ついに名前がついた。エイダンの胸が締めつけられた。あの声には顔があり、名があり、そして今、光のなかに立っている。
だが、歓びに浸る間はなかった。あの人は自分を救うために、影から出てきたのだ。捕らわれることも承知のうえで。
この場で、あの人を失うわけにはいかない。七年、文字だけで守られてきた自分が、今度はあの人を守る番だった。
* * *
オズワルドの細めた目に、光がよぎった。獲物を見つけた者の光だった。
「ほう」王太子はゆっくりと言った。「ラヴィエールの、下の娘。……追放された、と聞いていたが」
その声にはもう、悲しむ兄の憂いはなかった。
「面白い。では、我が弟がそれはもう夢中で読んでこられた『ロザリンド嬢の恋文』とやらは、この追放された小娘が、姉の名を騙って書いたものだと。……七年、宮廷を欺いてきた、というわけか」
オズワルドは、広間をゆっくりと見渡した。
「皆、聞いたな。ここにいるのは、身分を偽り七年、王家を謀ってきた女だ。そのような者の言葉に何の重みがある。狂乱した弟と、稀代の詐欺師。この二人が束になって、証拠のひとつもなく、この私を父殺しと呼ぶ」
同情のさざめきが、じわりと嫌悪へ変わっていく。
真実を告げた者たちが、今度は王家を汚す者にされていく。オズワルドは、衛士のほうへ顎をしゃくった。
「その女を捕らえよ。宮廷を騙した、大罪人だ」
* * *
衛士が、シャルロットへ歩み寄る。
その瞬間、エイダンの足が、動いた。
七年、玉座の影で動かずにきた足だ。誰かをかばうために踏み出すのは、生まれて初めてだった。
エイダンは、シャルロットの前に立ちふさがった。
「その人に、触れるな」
静かな、けれど有無を言わせぬ声だった。衛士の足が止まる。第二王子の身に直に手をかけられる者は、この広間にいない。
シャルロットが背中で、息を呑むのが分かった。エイダンは振り返らずに言った。
「もう、あなたをひとりにはしない」
七年、便箋の余白でだけ通じてきた二人が、初めて同じ場所で、同じ敵に向かって立っていた。
* * *
それから、エイダンは兄へ向き直った。
「証拠がない、と兄上は仰る」広間じゅうに響く声で言った。「ならば、ひとつ、今ここで検められるものがございます」
視線を、天井の高みの露台へ向けた。
「この宵、私はあの露台へ来るよう促されました。兄上さま、じきじきのお指図で。花火は、いちばん見晴らしのよい場所でご覧に、と」
広間が、静まる。
「あの露台の手すりは、芯だけが緩められております。私が寄りかかれば、崩れ落ちるように。花火の闇と歓声にまぎれて、私は『事故』であそこから落ちる手筈でした。今夜、この祝いの席で」
エイダンは、まっすぐ兄を見た。
「嘘だと仰るなら、いま、皆であの手すりを検めましょう。——兄上の手の者が、『きちんと』直してしまう前に」
広間の空気が、変わった。
「それに」とエイダンは続けた。「私をあの露台へ導くはずだった付き人も、この広間におります。誰の指図で動いたのか、問い質せばすぐに知れましょう」
笑わない目の付き人が、さっと顔を伏せた。
オズワルドの余裕の笑みが、初めてひび割れた。手すりはそこにある。今夜のうちなら、まだ緩んだまま。付き人も、逃がしていない。それは、どんな弁舌でも消せない、動かぬ証だった。
* * *
どよめきが、広間を走った。今度は王子の側へ。
何人かの重臣が、顔を見合わせる。事はもう、悲しみゆえの世迷いごとでは済まなくなっていた。第二王子と侯爵家の娘が、露台を検めよと言う。それを握りつぶせば、握りつぶした者が疑われる。
オズワルドは、しばらく無言だった。
それから、静かに、笑った。
その笑みに、エイダンの背がぞくりと冷えた。追い詰められた獣の笑みだった。
王太子は、広間の大扉のほうへ、目配せを送った。
その瞬間、エイダンは悟った。兄は、追い詰められればなりふりを構わぬ。証を検められるくらいなら、この広間ごと力で、闇に沈めるつもりだ。
重い音を立てて、大広間の扉が、外側から閉ざされた。
楽の音も、ざわめきも、ふつりと消える。着飾った客たちの顔に、初めて怯えが走った。
花火の光だけが、閉ざされた広間に青白く射し込んでいた。




