13話 手が知っている
王都までは、荷馬車で四日の道のりだと、荷方の頭は言った。
シャルロットは、その隊列の最後尾を、黙って歩いていた。
マノンの通行証は、たしかに効いた。辺境の宿場で荷を積む一行に、娘をひとり都まで乗せてほしいと頼めば、頭は擦り切れた鑑札をちらりと見ただけで、顎で荷台を指した。それ以上は何も訊かれなかった。
頭は、ダグという名の熊のような大男だった。口数は少なく、荷と馬のことしか話さない。シャルロットには、それがかえってありがたかった。素性を詮索されずに済む。
馬車の揺れは、思っていたよりずっと激しかった。木の荷台は硬く、藁を敷いても腰に響く。半日も乗れば、体じゅうが軋んだ。侯爵家の柔らかな寝台しか知らない体には、この旅はそれだけで罰のようだった。
それでも、シャルロットは弱音を吐かなかった。この揺れのひとつひとつが、あの人のいる王都へ自分を近づけている。そう思えば、痛みはむしろ心地よかった。
* * *
三日目の昼、街道に、関所があった。
番兵が、荷を一台ずつ検めていく。ダグが鑑札を見せ、積荷の中身を告げる。慣れた手順だった。シャルロットも言われたとおり、荷台の隅で耳の遠い娘のふりをして、うつむいていた。
「そこの娘」
番兵のひとりが、シャルロットの前で足を止めた。
「荷方の娘か。手を見せろ」
心の臓が、ひとつ大きく打った。
言われるまま、彼女は両手を差し出した。差し出しながら、しまった、と思った。
番兵は、その手を灯りに近づけた。荷運びの娘なら、掌は硬く、あかぎれ、荷縄の跡が残る。けれどシャルロットの手は、七年、羽根ペンだけを握ってきた手だった。掌は白く柔らかく、荷の縄など一度も握ったことがない。ただ右手の中指にだけ、硬いペンだこがある。
「荷方の手じゃねえな」
番兵の目が、鋭くなった。
シャルロットは、うつむいたままできるだけその辺の娘らしい声を作った。
「書き役でございます」
「なに」
「文字が、書けます。荷の目録や送り状を書くので、一行に加えてもらっているのです。だから手は、この通り、荷方のものではございません。この胼胝も、ペンの胼胝で」
番兵は、彼女の中指のペンだこを、もう一度見た。それは、たしかに嘘ではなかった。
「ほう。なら、書いてみろ」
番兵は、帳面と、矢立ての筆を突き出した。
シャルロットは、筆を受け取った。指が、その軸の太さを瞬時に測る。七年、握り慣れた重さとは違った。それでも、字を書くことだけは、この世界で彼女がいちばん確かにできることだった。
番兵の言うまま、彼女は積荷の品目を書きつけた。麻布、三反。蜜蝋、二樽。迷いのない、整った手蹟だった。
番兵が、目を見張った。
その字は、荷方の書き役にしては上等すぎた。危うい、と書きながら彼女自身が思った。けれど番兵は、その美しさを、疑いではなく感心と受け取ったらしい。
「たいした腕だ。こんな街道の荷に、もったいねえな。どこで字を習った」
「里の寺で。読み書きだけは、仕込まれました」
番兵は、ふん、と鼻を鳴らした。その声から、疑いはもう消えていた。帳面を引ったくると、顎で、行け、と示した。
シャルロットは、筆を返し、深く息を吐いた。
七年、彼女を「手」と呼んで縛りつけた、この手が。今日は、その手が彼女を救ったのだった。
* * *
その夜、一行は、街道沿いの安宿に泊まった。
板間の隅で、シャルロットは鞄の底の手紙の束に、そっと指を触れた。無事だった。この束さえあれば、と、また思う。
ダグが、隣に、どさりと腰を下ろした。
「関所で、よく切り抜けたな」
低い声だった。責める響きは、なかった。
「字の書ける娘が、辺境から都へ、ひとりで行く。わけは訊かねえ」ダグは干し肉を齧りながら言った。「うちの荷に乗るやつは、たいてい、何かから逃げてるか、何かへ急いでるかの、どっちかだ。おまえさんは、後のほうだろう」
シャルロットは、驚いて、大男の横顔を見た。
「……急いで、います。どうしても、間に合わせたい夜が、あるのです」
「建国祭か」
シャルロットの息が、止まった。
「都じゅう、その話で持ちきりよ。王太子殿下が、それはもう盛大にやるとさ」ダグは、夜の街道のほうへ目をやった。「第二王子の、ご婚約者もお披露目されるらしい。めでたい話だ」
めでたい話。
その言葉の裏で、シャルロットの胸は冷たく鳴った。その夜、あの人の隣に立つのは、何も知らない姉だ。そして同じ夜に、あの人は兄の刃に狙われている。
めでたいどころか、あれは二つの意味で、命の懸かった夜だった。
「あと一日だ」ダグは立ち上がった。「寝とけ。明日、峠を越えれば、都が見える」
シャルロットは、板間に横たわり、暗い天井を見上げた。
建国祭まで、あと幾日。指を折って、数える。
間に合う。まだ、間に合う。
王都は、もう、すぐそこだった。




