検察側証人、本田明美
法廷に入ってきた女は、アクセサリーなども着けておらず、少し汚れた作業着を、丁寧に着ていた。
傍聴席に座る記者は、後にこう語る。
その女が法廷に入ってきた時、誰だか分かりませんでした。
一審で見た時とはまるで印象がちがったからです。
「証人は氏名を述べてください。」
「本田明美です。」
「年齢を。」
「37歳です。」
「職業を。」
「……今は、株式会社大吉で、代表取締役社長をやらせていただいています。」
「検察官、尋問をはじめてください。」
検察官は静かに立ち上がり、自分が引いた椅子を、丁寧に戻した。
「本田さん、今日はありがとうございます。」
「……みなさんこそ、亡夫のためにありがとうございます。」
本田明美は静かに頭を下げた。
傍聴席に少しのざわめきが起きる。
一審で傍聴した記者は、被害者の妻を目撃している。
しかしながら、今、法廷にいる女は全くの別人であった。
「あなたは、被害者の妻として、被害者の生前から『株式会社大吉』の業務を手伝って来られましたね。」
「はい。亡夫の生前は、取締役常務でした。」
「会社の従業員とも、お知り合いですね。」
「はい。小さな会社ですので、従業員全員はもとより、下請けさん、協力会社さんの顔もだいたい把握しています。そうじゃないと回りませんので。」
「本件被告人とも、当然ながら顔見知りですね。」
「はい。存じております。」
「どんな人でしたか?」
「とても、静かな子でした。」
「他には?」
「責任感の強い子でしたね。」
「なぜ、そう思われるのですか。」
「以前、彼女に間違ったデータの帳簿を渡してしまったことがありまして、そしたら彼女、自分が悪いんだと思って、夜中までずっと仕事してたんです。私も、夜の仕事に行ってたから気がつかなくて、私が帰ってきた深夜2時まで、事務所で仕事してました。」
「だいぶ、常軌を逸してますね。」
「異議ですな。今のは検察官の主観ですわ。」
「異議を認めます。検察官は主観を述べることがないように注意してください。」
「では、証人にあらためてお聞きしますが、そんな彼女を見て、どう思われましたか。」
「……正直、めんどくさい子だなと思いました。」
「あなた、会社の女性社員限定のグループチャットをおやりになってますね。」
「はい。」
「そこで、あなたは事件前日に『事務所のゴミ掃除お願い』と、書き込んでますね。」
「……うーん、よく覚えていません。」
「あなた、被害者の事を『ゴミ』と、よくおっしゃっていたそうですね。」
「まあ、はい。」
「事件前日の『事務所のゴミ掃除お願い』とは、社長殺害依頼の暗号ですか。」
本田証人は、ギョッとした目で検察官を見る。
「え、そんな訳ないですよね。」
「あなたは、被害者の事を殺したいとーー」
「異議ですな。検察官は憶測で、証人の名誉を不当に傷つけておりますな。」
「異議を認めます。検察官は憶測で証人の名誉を毀損することのないようにしなさい。」
「では、質問を変えます。あなたが書き込みをしたのは事実です。証拠が示しています。それを見た被告人が、あなたから殺人の指示を受けたと誤認する可能性はありますか。」
「……え、無いですよね。」
「被告人をよく知るあなたは、絶対に被告人は誤認しないとおっしゃる訳ですね。」
「絶対……」
「絶対ではない?」
「…………まあ、彼女なら、少しくらいは……あるかも……少しですよ?」
「あなた、彼女の誤認を利用して殺害しましたか?」
「異議ですな。検察官は裁判長の警告を無視して、憶測で証人の名誉を毀損しておりますな。」
「大事なことなので確認させていただいています。これは、本事案が被告人による単独犯なのか、複数による計画殺人なのかを明らかにするための尋問です。」
裁判長は、陪席裁判官の意見を確認する。
「異議を却下します。検察官は続けてください。」
「あらためて、証人にお聞きします。あなたは被告人の誤認を利用して被害者が死亡しても構わないという、未必の故意を有していましたか。」
「……学がないんで、ミヒツノコイってのはよく分からないんですけど、私は、あいつを殺してないです。殺す気があったら、さっさとやってます。それに、もっとうまくやります。」
「それでは、あらためてもう一度お聞きしますが、被害者が被告人の行為で死亡した事をどう思いますか。」
「……私の言葉で、彼女が思い詰めたんなら、悪いことしました。」
「以上です。」
「弁護人は反対尋問をはじめてください。」
老弁護士がゆっくりと立ち上がる。
それから、本田明美に優しく微笑んだ。
彼女の顔はこわばっている。
「あなたは、何も気にする必要はありません。被告人は、被害者を殺してないんですからな。」
本田明美は黙ったまま、弁護人を見つめる。
弁護人は、タバコを咥えるポーズをした。
「火、貸しましょうかな?」
本田明美は、苦笑いする。
彼女の両目から、涙が二筋流れ落ちた。
「以上ですな。」




