8 古い記録庫
灰鐘村の記録庫は、集会所の裏手にあった。
かつては鉱山の管理事務所として使われていた建物らしい。壁は厚く、窓は小さい。入口の上には、錆びた金属板が掲げられていた。
そこには、村の紋章とともに、古い文字が刻まれている。
――灰の鐘は、忘れられた声を記す。
真は、その文字を指でなぞった。
意味はよくわからない。
学校では、村の歴史を少しだけ習った。
この村ができたのは、今から数百年前。
色輝石を求めて山へ入った一団が、鉱脈を見つけたことが始まりだという。
しかし、それ以前にこの場所で何が起きていたのかは、ほとんど教えられていなかった。
真は扉を押した。
軋んだ音とともに、古い木の匂いが流れ出してくる。
「失礼します」
返事はなかった。
受付の机には、誰も座っていない。
真は棚の間を歩いた。
背の高い本棚が、狭い通路を作っている。紙の色は黄ばんでいて、背表紙の文字もところどころ剥がれていた。
魔物の記録。
鉱山の歴史。
色輝石の基礎知識。
村の地図。
真は、まず色輝石に関する資料を探した。
棚の下段に、薄い冊子が並んでいた。
一冊を手に取り、机へ運ぶ。
ページを開くと、色輝石の基本的な性質が記されていた。
人間の身体に宿る輝石は、その人間の生命力と結びつき、特定の色に対応する力を生み出す。
色ごとに力の性質は異なるが、共通しているのは、輝石が力の源であると同時に、力を制御する器でもあるという点だった。
過剰に力を使えば、輝石に負荷がかかる。
負荷が蓄積すれば、身体に異常が生じる。
最悪の場合、輝石がひび割れ、生命そのものに影響を及ぼすこともある。
真は、あの日の痛みを思い出した。
やはり、無理をしていたのだ。
自分の力が何なのかを知る前に、使い方を覚えなければならない。
そう思いながら、ページをめくった。
色の分類。
蓄積地の分布。
輝石の成長過程。
どれも、学校で習った内容と大差なかった。
真は本を閉じ、次の冊子を開いた。
今度は、魔物に関する記録だった。
鉱喰い。
岩喰い。
結晶蟲。
地底狼。
鉱山周辺に出現する魔物の特徴と、対処法が記されている。
鉱喰いの項目には、こう書かれていた。
――外殻は鉱石を取り込みながら成長する。通常の物理攻撃および熱攻撃に対する耐性が高い。弱点は個体差が大きく、確実な討伐方法は確立されていない。
真は、眉を寄せた。
確実な討伐方法はない。
それなのに、自分は倒した。
どうして。
ページの下には、古い記録が添えられていた。
――過去の観測例において、鉱喰いの体内には、複数の鉱石を共鳴させる器官が存在する可能性が示唆されている。ただし、その構造は未解明である。
「共鳴……」
真は、その言葉を小さく呟いた。
あの日、自分が感じたもの。
鉱喰いの身体から響く、一定の振動。
それに自分の振動を重ねたとき、外殻がひび割れた。
もしかすると、自分はその共鳴に干渉したのだろうか。
真は、さらにページをめくった。
しかし、詳しい説明はなかった。
記録は、そこで途切れていた。
「……これだけか」
真は、椅子の背にもたれた。
知りたいことは増えるばかりだった。
自分の力は何なのか。
なぜ、無色の輝石にそんな力があるのか。
どうすれば、再び使えるのか。
答えは、どこにも見つからない。
真は、机の上に積み重なった冊子を見下ろした。
そのとき、棚の奥に、ほかの本とは違うものがあることに気づいた。
背表紙に文字がない。
黒ずんだ革で装丁され、厚い金属の留め具がついている。
ほかの資料とは違い、埃を払った跡もなかった。
誰かが、意図的に触れないようにしている。
そんな印象を受けた。
真は、ゆっくりと立ち上がった。
棚の奥へ進む。
その本を手に取ろうとした瞬間、背後から声がした。
「それは、読まないほうがいい」
真は、驚いて振り返った。
入口に、一人の老人が立っていた。
灰色の髪を後ろへ撫でつけ、丸い眼鏡をかけている。記録庫の管理を任されている老人だった。
「……すみません。勝手に触ろうとして」
「謝る必要はない。興味を持つのは悪いことではないからな」
老人は、ゆっくりと歩いてきた。
「だが、その本には、今の子供が読むには難しいことが書かれている」
「色輝石のことですか?」
「それもある」
老人は、真の胸元へ視線を落とした。
「お前のことも、な」
真の心臓が跳ねた。
「……俺の?」
老人は答えなかった。
代わりに、黒い本を棚の奥へ戻した。
「お前が鉱喰いを倒したと聞いた」
「……はい」
「どうやった?」
また、その質問だった。
真は視線を落とした。
「わかりません。音が聞こえたんです。鉱喰いの身体から響く音が。それで、自分の中にある何かを、そこへ重ねたら……」
老人は、目を細めた。
「自分の中にある何か、か」
「説明できなくて、すみません」
「いや」
老人は首を横に振った。
「説明できないものを、無理に説明したふりをするよりは、ずっといい」
その言葉に、真は顔を上げた。
老人は、本棚の一角を指さした。
「古い記録なら、こちらにもある。今の教本には載っていない、昔の研究者たちが残した記録だ」
「見てもいいんですか?」
「読むだけならな。持ち出してはいけないぞ」
「はい!」
真は、思わず声を弾ませた。
老人は、その様子を見て、かすかに笑った。
「……ずいぶん、熱心だな」
「自分のことなので」
言ってから、真は少し恥ずかしくなった。
老人は何も言わず、棚から一冊の薄い書物を取り出した。
表紙には、古い文字で題名が書かれていた。
――色輝石異常事例集。
「ここには、普通の色使いでは説明できなかった現象が記録されている。もっとも、ほとんどは推測ばかりだがな」
老人は本を差し出した。
「答えが見つかるとは限らない。それでも読むか?」
真は、迷わず頷いた。
「読みます」
老人は、真に本を渡した。
「そうか。ならば、ひとつだけ覚えておくといい」
「何ですか?」
「記録に書かれていることが、すべて真実とは限らない。逆に、記録に残されていないからといって、存在しなかったことにもならない」
老人は、静かに続けた。
「知識は、お前の代わりに答えを出してくれるものではない。だが、お前が自分で答えを探すための道具にはなる」
真は、本を受け取った。
「……ありがとうございます」
老人は小さく頷き、受付へ戻っていった。
真は机に座り、ページを開いた。
最初の数ページには、珍しい色輝石の症例が並んでいた。
複数の色を同時に発現させた者。
輝石の色が変化した者。
色の力を使わずに、周囲の輝石へ干渉した者。
そして、最後のほうに、短い記述があった。
真は、その一文を読み、指を止めた。
――無色の輝石は、色を持たぬのではない。色が定まっていないのである。
何度も読み返した。
無色の輝石は、色を持たない。
それが、今までの常識だった。
色がないから、何の力も使えない。
だから、無色は落第と呼ばれる。
けれど、この記録は違うことを言っている。
色を持たないのではない。
色が、定まっていない。
「……どういう意味だ?」
真は、ページをめくった。
その先には、さらに短い記述があった。
――無色の輝石は、他の色の波長に対し、通常とは異なる反応を示す。条件が揃った場合、対象の振動を感知し、共鳴を変化させる可能性がある。
真の指先が、止まった。
対象の振動を感知する。
共鳴を変化させる。
それは、鉱喰いとの戦いで起きたことに、よく似ていた。
真は、ページの隅に書かれた注釈を読んだ。
――ただし、無色の輝石による共鳴変化は、観測例が極めて少ない。再現性も確認されておらず、理論上の可能性に留まる。
その下には、別の筆跡で、短い一文が書き加えられていた。
――色を持たないことと、何も持たないことを混同してはならない。
真は、しばらくその言葉を見つめていた。
胸の奥が、熱くなった。
それは、喜びだったのかもしれない。
怒りだったのかもしれない。
あるいは、今まで自分が抱えてきた疑問に、ようやく形が与えられたことへの、安堵だったのかもしれない。
自分は、何も持っていなかったわけではない。
まだ、誰にも知られていないだけなのかもしれない。
真は本を閉じた。
窓の外では、山の稜線に雲がかかり始めていた。
遠くで、鐘が鳴る。
その響きを聞きながら、真は胸元の輝石に触れた。
「……俺は、何なんだろうな」
答えは、まだなかった。
しかし、今までとは違う。
答えがないことと、答えが存在しないことは、同じではない。
真は、そう思い始めていた。




