5 音のない場所
目を覚ましたとき、真は見知らぬ天井を見ていた。
白い天井板。
梁の隙間に溜まった埃。
窓から差し込む、柔らかな夕日の光。
しばらく、何も考えられなかった。
身体が重い。
頭が痛い。
喉が渇いている。
真はゆっくりと瞬きをした。
「……ここ、どこだ?」
「診療所だよ」
すぐそばから声がした。
顔を向けると、鉱山で働く年配の鉱夫が椅子に座っていた。
日に焼けた顔に、深い皺が刻まれている。
真が幼い頃から、鉱山で働く姿を見てきた男だった。
「気分はどうだ?」
「……最悪です」
「そうだろうな」
男は、苦笑した。
「三日も寝込んでいたんだ。身体が痛くても不思議じゃない」
「三日……?」
真は目を見開いた。
「俺、そんなに?」
「ああ。最初の日は、ずっと熱が下がらなかった。胸の輝石も不安定になっていて、村の医者が付きっきりだったよ」
男は、真の胸元を見た。
「今は、落ち着いているらしいがな」
真は、服の上から輝石に触れた。
いつもと変わらない。
硬く、小さく、冷たい石。
けれど、あの日のことを思い出すと、胸の奥がざわついた。
鉱喰いの振動。
地面を伝う響き。
自分の指先から広がった、見えない波。
そして、外殻が砕ける瞬間。
「……あの魔物は?」
「鉱喰いか。死んだよ」
男は頷いた。
「外殻が内側から壊れていた。普通の攻撃であんな壊れ方をするとは思えん。村の者たちも、どうやったのか理解できていない」
「俺が……倒したんですか?」
「それを聞きたいのは、こっちだ」
男は、真をまっすぐに見つめた。
「お前、何をした?」
真は、答えられなかった。
何をしたのか。
自分にも、わからない。
ただ、あの音を聞いていた。
鉱喰いの身体から響く振動を感じ取り、自分の中にある何かを、それに重ねた。
それだけだ。
「……わかりません」
真は、正直に答えた。
「音が聞こえて……それで、何かをしたんです。でも、どうやったのかは……」
男はしばらく黙っていた。
やがて、深く息を吐いた。
「そうか」
それ以上、問い詰めることはなかった。
男は立ち上がり、窓のそばへ歩いた。
「村の連中は、お前に感謝している。あの子も助かった。鉱山の被害も、思っていたほど大きくはなかった」
「……よかった」
「だがな」
男は振り返った。
「お前のことを、怖がっている者もいる」
真は、目を伏せた。
予想していたことだった。
色のない輝石。
正体のわからない力。
そして、普通の色使いでは倒せなかった魔物を、一人で倒した少年。
そんな存在を、村人たちがどう見るか。
想像するのは難しくなかった。
「……そうですよね」
「お前が悪いと言っているんじゃない」
男は、少し困ったように頭を掻いた。
「ただ、人間ってのは、よくわからないものを怖がるもんだ。まして、自分たちの常識をひっくり返すようなものなら、なおさらな」
真は黙っていた。
「だから、しばらくは無理をするな。仕事のことも気にしなくていい。身体が治るまで、ゆっくり休め」
「でも……」
「いいから」
男は、少しだけ笑った。
「お前は、もう十分働いたよ」
そう言って、診療所を出ていった。
扉が閉まる。
部屋が静かになった。
真は、天井を見上げた。
自分は、誰かを助けた。
それは、間違いない。
けれど、そのために使った力が何なのか、自分でもわからない。
しかも、その力を使ったことで、村の人々に恐れられるかもしれない。
助けたはずなのに。
どうして、こんな気持ちになるのだろう。
真は、目を閉じた。
そのときだった。
――トン。
どこかで、音がした。
真は目を開けた。
窓の外だろうか。
――トン。
また聞こえた。
今度は、少し低い音。
真は身体を起こした。
部屋の中には、誰もいない。
風が窓を揺らしているわけでもない。
それなのに、音がする。
――トン。
真は、ベッドから足を下ろした。
床板に、微かな震えが伝わっている。
真はしゃがみ込み、手のひらを床へ当てた。
その瞬間。
いくつもの音が、一斉に流れ込んできた。
遠くの広場で鳴る鐘。
診療所の隣の家で、鍋を火にかける音。
廊下を歩く人間の足音。
屋根の上で、鳥が羽ばたく音。
そして、地面の奥を流れる水の音。
真は、息を呑んだ。
聞こえる。
こんなにも、たくさんの音が。
今までも聞いていたはずなのに、どうして気づかなかったのだろう。
いや、違う。
今までとは、聞こえ方が違う。
音が、ただ耳に届いているのではない。
どこから生まれ、何に触れ、どこへ伝わっていくのか。
その道筋まで、わかるような気がした。
真は、手を離した。
音が遠のく。
もう一度、床へ触れる。
音が戻ってくる。
「……何なんだ、これ」
自分の声が、部屋の中に響いた。
その声の振動まで、はっきりと感じ取れた。
喉が震える。
空気が震える。
壁に当たり、跳ね返り、少しずつ弱まっていく。
真は、思わず自分の喉に手を当てた。
今まで、こんなことを考えたことはなかった。
音は、ただ聞こえるものだと思っていた。
けれど、音は何かを揺らして生まれる。
そして、その揺れは、何かに触れるたびに変化する。
もし。
もし、自分が、その揺れに触れられるのだとしたら。
鉱喰いを倒したときに起きたことも、少しだけ説明できるかもしれない。
真は、震える手を見つめた。
そこには何もない。
炎も、雷も、光もない。
ただの手だった。
それでも、その手が地面に触れたとき、何かが変わった。
真は、胸元の輝石に触れた。
「……お前が、やったのか?」
もちろん、石は答えない。
ただ、窓の外で、夕暮れの鐘が鳴った。
その響きが、山々へ広がっていく。
真は目を閉じた。
鐘の音が、空気を震わせる。
屋根を震わせる。
石壁を震わせる。
地面を震わせる。
そして、遠くの山の奥へと、消えていった。
真は、その響きの行方を、いつまでも追いかけていた。
自分の力が何なのか。
なぜ、無色の輝石を持つ自分に、こんなことができるのか。
その答えは、まだ見つからない。
けれど、ひとつだけ、確かなことがあった。
自分は、何もできない人間ではないのかもしれない。
その可能性を知ったことが、真にとって何よりも大きな変化だった。




