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無色の輝石使い  作者: 神代シン
第一章無色の落第生

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4 鉱喰いの咆哮


 最初に動いたのは、誰だったのだろう。

 真にはわからなかった。

 ただ、誰かが叫び、その声を合図にしたかのように、鉱山の入口にいた人々が一斉に動き始めた。

「全員、坑道から離れろ!」

「負傷者がいないか確認しろ! 子供を近づけるな!」

「赤の使い手は前へ! 黄は支柱を固めろ!」

 怒号が飛び交う。

 鉱夫たちは、仕事道具を放り出して走った。木箱が倒れ、中の鉱石が地面に散らばる。誰かが足を滑らせ、別の誰かがその腕をつかんで引き起こした。

 真も逃げようとした。

 逃げるべきだった。

 頭では、そう理解していた。

 鉱喰いは、普通の獣ではない。

 岩石や鉱石を喰らい、その成分を体内に取り込むことで、身体を硬化させる魔物だ。成長した個体は、金属の刃さえ通さない外殻を持つという。

 村の古い記録には、鉱喰いによって坑道が一晩で崩壊した事件も記されていた。

 真は、その記録を読んだことがある。

 だからこそ、逃げなければならないとわかっていた。

 それなのに。

 足が動かなかった。

 鉱喰いの姿から、目を離せなかったのだ。

 四本の脚は、太い岩柱のようだった。

 一歩踏み出すたび、地面が鈍く沈む。

 胴体を覆う灰色の外殻には、無数の鉱石が食い込んでいた。鉄のように黒い部分もあれば、白い結晶のような部分もある。表面には細かな亀裂が走り、その隙間から、赤黒い光が脈打っていた。

 頭部は、獣に似ている。

 だが、目の位置が不自然だった。

 左右にあるはずの目は見当たらない。

 代わりに、口の奥で、いくつもの小さな光が明滅している。

 それが視覚器官なのか、ただの鉱石の反射なのか、真には判断できなかった。

 鉱喰いは首を下げ、地面に散らばった鉱石を喰らった。

 ガリッ。

 ゴリ、ゴリ、ゴリッ。

 歯が岩を砕くたび、耳の奥に嫌な響きが残る。

 真は、思わず耳を塞いだ。

 音が大きすぎる。

 いや、違う。

 ただ大きいだけではなかった。

 音が、身体の内側に入り込んでくる。

 骨が震える。

 歯の根が浮く。

 胸の奥にある輝石まで、何かに呼応するように細かく揺れていた。

「真! 何をしてる!」

 鉱夫の一人が叫んだ。

「早く逃げろ!」

 その声に、真はようやく我に返った。

「あ、はい!」

 走ろうとした、その瞬間だった。

 鉱喰いが頭を上げた。

 口の奥の光が、真のほうを向く。

 真は、全身の血が冷たくなるのを感じた。

 目がないのに。

 見られている。

 そう思った。

 鉱喰いの身体が、低く沈んだ。

「伏せろ!」

 誰かの叫びが響く。

 直後、鉱喰いが突進した。

 地面が砕けた。

 積み上げられていた鉱石が吹き飛び、木製の仕分け台が粉々になる。

 真は、とっさに横へ飛び退いた。

 だが、間に合わなかった。

 身体の側面に衝撃が走る。

「ぐっ……!」

 真は地面を転がった。

 肺から空気が押し出され、息ができなくなる。

 視界が白く弾けた。

 しばらく、何も聞こえなかった。

 いや、正確には、音がありすぎた。

 木材の破片が落ちる音。

 鉱石が地面を転がる音。

 人々の悲鳴。

 鉱喰いの足音。

 それらが一度に押し寄せ、どれがどの音なのか、わからなくなっていた。

 真は、歯を食いしばって起き上がった。

 腕が痛い。

 脇腹も痛い。

 服は裂け、肘から血が流れていた。

 それでも、骨は折れていないようだった。

「……まだ、動ける」

 自分に言い聞かせるように呟いた。

 鉱喰いは、鉱石の山へ頭を突っ込んでいた。

 どうやら、先ほどの突進は真を狙ったものではなかったらしい。

 逃げ遅れた人間がいたのか。

 それとも、鉱石の匂いに反応しただけなのか。

 真にはわからなかった。

 ただ、鉱喰いの進路にあったものは、何もかも壊れていた。

「火を放て!」

 鉱山の責任者が叫んだ。

 赤の輝石を持つ鉱夫たちが、鉱喰いを取り囲む。

 彼らの胸元で、赤い石が輝いた。

 炎が生まれる。

 最初は小さな火だった。

 それが手のひらほどの大きさになり、やがて腕を包み込むほどの炎へ成長する。

 赤の使い手たちは、一斉に炎を放った。

 轟音。

 熱風。

 鉱山の入口が赤く染まった。

 炎は鉱喰いの外殻を包み込み、灰色の表面を赤く照らした。

 真は腕で顔を覆った。

 熱気が頬を焼く。

 これほどの炎なら、普通の獣は耐えられないだろう。

 しかし。

 炎が消えたとき、鉱喰いは何事もなかったかのように立っていた。

 外殻の一部が赤く熱せられていたが、砕ける気配はない。

 鉱喰いは、ゆっくりと口を開いた。

 そして、炎を浴びたばかりの鉱石を、平然と噛み砕いた。

「そんな……!」

 赤の使い手の一人が、後ずさった。

「効いていないのか?」

「馬鹿な。これだけの火力だぞ!」

 鉱喰いの胴体から、低い振動が響いた。

 ゴォン……。

 ゴォン……。

 その音は、鐘に似ていた。

 真は、思わず耳を澄ませた。

 なぜだろう。

 その響きだけは、ほかの音と違って聞こえた。

 炎の爆ぜる音でもない。

 鉱石を噛み砕く音でもない。

 もっと深い場所から響いている。

 まるで、鉱喰いの身体そのものが、巨大な鐘になっているかのようだった。

 ゴォン……。

 ゴォン……。

 響きが、一定の間隔で繰り返される。

 真は、胸元を押さえた。

 自分の輝石も、同じ間隔で震えていた。

 その事実に気づいた瞬間、背筋に寒気が走った。

 どうして、自分の石が反応している?

 鉱喰いは、ほかの人間には見向きもしていない。

 それなのに、自分だけが、あの音をはっきりと感じ取っている。

 真は、恐る恐る一歩を踏み出した。

 そのとき、鉱喰いの背後で、木材が折れる音がした。

 バキッ。

 崩れた仕分け台の向こうに、小さな人影が見えた。

 子供だった。

 真と同じくらいの年頃の少年が、倒れた梁の下敷きになっていた。

「誰か……!」

 少年が叫んだ。

「助けて……!」

 真は、息を呑んだ。

 鉱喰いが、首を動かす。

 口の奥の光が、倒れた梁のほうへ向いた。

 少年の足元には、鉱石が散乱している。

 鉱喰いは、それらを喰らうために近づいていた。

 少年がそこにいることなど、気にしていないのかもしれない。

 だが、そのまま進めば。

 少年は、潰される。

「おい、誰かあの子を!」

 責任者が叫んだ。

 しかし、誰も動けなかった。

 赤の使い手たちは炎を使い果たし、次の攻撃に備えていた。

 黄の使い手は、崩れかけた坑道の支柱を支えている。

 ほかの鉱夫たちは、逃げ遅れた人間を運び出していた。

 誰も、すぐには助けに行けない。

 真は、少年を見つめた。

 少年も、真を見ていた。

 その目が、恐怖に濡れている。

 真は、知っていた。

 あの目を。

 助けてほしいのに、誰も助けてくれないときの目を。

 無色だと判定された日の、自分の目も、きっと同じだった。

 真は、走り出した。

「真! 戻れ!」

 誰かが叫んだ。

 聞こえていた。

 危険だということも、わかっていた。

 自分には、炎も雷も使えない。

 鉱喰いの外殻を破る力もない。

 それでも。

 真は、少年のもとへ走った。

「今、助ける!」

 鉱喰いの足が、地面を踏みしめる。

 低い振動が、真の足元を駆け抜けた。

 ゴォン……。

 ゴォン……。

 その響きが、近づいてくる。

 真は走りながら、奇妙なことに気づいた。

 鉱喰いの振動は、完全に一定ではなかった。

 大きな響きのあとに、ほんのわずかな間がある。

 その後、少し高い音が混じる。

 そして、再び低い響きが戻ってくる。

 まるで、二つの異なる音が、互いを追いかけるように繰り返されている。

 真は、無意識にその間隔を数えていた。

 一つ。

 二つ。

 三つ。

 そのたびに、胸の輝石が震える。

 ――聞こえる。

 何が聞こえるのかは、わからない。

 けれど、聞こえている。

 真は少年のもとへ滑り込んだ。

「大丈夫か!」

「足が……抜けない……!」

 少年の右足が、折れた梁と岩のあいだに挟まっていた。

 真は梁に手をかけた。

 重い。

 とても、一人では持ち上がらない。

「くそっ……!」

 力を込める。

 梁は、わずかに動いただけだった。

 背後から、鉱喰いの足音が迫る。

 地面が震える。

 真は歯を食いしばった。

「もう少し……!」

 梁を持ち上げようとした瞬間、鉱喰いが頭を下げた。

 口が開く。

 水晶の歯が、朝の光を反射した。

 真は、少年の腕をつかんだ。

 逃げなければ。

 今すぐ。

 だが、足が抜けない。

 梁が重すぎる。

 どうすればいい。

 どうすれば、助けられる。

 そのとき、真の耳に、再びあの響きが届いた。

 ゴォン……。

 ゴォン……。

 鉱喰いの身体から発せられる、低い振動。

 真は顔を上げた。

 その音は、ただ響いているのではなかった。

 何かを繰り返している。

 同じ振動を。

 同じ間隔で。

 まるで、自分自身の身体に、一定の動きを命じているかのように。

 真は、梁から手を離した。

 そして、地面に手をついた。

「……頼む」

 誰に向けた言葉だったのか。

 自分にもわからなかった。

 真は、地面の震えに意識を集中させた。

 指先から、何かが伝わってくる。

 鉱喰いの足が地面を踏む振動。

 鉱石が砕ける振動。

 倒れた梁が、地面に触れて震える振動。

 それらが、重なり合っている。

 真は、ひとつひとつを聞き分けようとした。

 余計な音を捨てる。

 人々の叫びを捨てる。

 炎の音を捨てる。

 自分の荒い呼吸さえも、遠ざける。

 残ったのは、鉱喰いの身体から響く、低い音だけだった。

 ゴォン……。

 ゴォン……。

 その響きが、真の胸の奥に触れた。

 無色の輝石が、熱を帯びる。

 真は、息を止めた。

 自分の中にも、同じ響きがある。

 鉱喰いの振動とは、ほんの少し違う。

 けれど、どこか似ている。

 真は、その違いを確かめるように、指先へ意識を集中させた。

 すると。

 地面が、微かに震えた。

 真の手のひらから、見えない波が広がっていく。

 誰にも見えない。

 何の色もない。

 ただ、空気と地面を通って、鉱喰いへと届く振動だった。

 真は、自分が何をしているのか、理解していなかった。

 ただ、鉱喰いの響きに、自分の響きを重ねようとしていた。

 ゴォン……。

 ゴォン……。

 真の指先が、地面を叩く。

 トン。

 わずかな音。

 もう一度。

 トン。

 さらにもう一度。

 トン。

 鉱喰いの振動が、ほんの少しだけ乱れた。

 真は、目を見開いた。

 届いた。

 自分の振動が、あの魔物に届いた。

 しかし、それだけだった。

 鉱喰いは、止まらない。

 むしろ、真の存在に気づいたかのように、頭を持ち上げた。

 口の奥の光が、真を捉える。

「……嘘だろ」

 真の喉が鳴った。

 鉱喰いが、咆哮した。

 それは、耳で聞く音というより、身体の内側を直接揺さぶる衝撃だった。

 真の視界が歪む。

 鼻の奥が熱くなり、血が一筋、唇を伝った。

 胸の輝石に、鋭い痛みが走る。

 真は、地面に手をついたまま、動けなくなった。

 力を使ったのか。

 それとも、ただ振動に耐えられなかっただけなのか。

 わからない。

 身体が、悲鳴を上げている。

 それでも、真は顔を上げた。

 少年が泣いている。

 鉱喰いが近づいてくる。

 このままでは、間に合わない。

 真は、唇を噛んだ。

「……もう一回だ」

 声が震えていた。

 それでも、指先を地面につける。

 今度は、鉱喰いの振動を真似るだけではない。

 ほんの少しだけ。

 ほんの少しだけ、違う音を混ぜる。

 鉱喰いの響きが、低く鳴る。

 その直後に、真の指先から、わずかに高い振動が伝わった。

 ゴォン……。

 トン。

 ゴォン……。

 トン。

 最初は、何も起きなかった。

 鉱喰いは歩みを止めない。

 真の手のひらが、熱くなる。

 無色の輝石が、激しく震えた。

 だが、今度は、さっきとは違う反応があった。

 鉱喰いの身体から響く音に、ほんのわずかな乱れが生まれたのだ。

 ゴォン……。

 ――ギン。

 ゴォン……。

 ――ギン。

 真は、はっとした。

 鉱喰いの響きと、自分が送り込んだ振動が、互いにぶつかっている。

 そのたびに、外殻の内側で何かが軋んでいた。

 真は、必死に耳を澄ませた。

 どこだ。

 どこに、響きが集まっている。

 どこなら、届く。

 鉱喰いの胸元。

 首の付け根。

 前脚の関節。

 真は、振動の伝わり方を探った。

 すると、ある場所で、音が少しだけ大きくなることに気づいた。

 胸の中央。

 外殻の奥に、硬いものが重なっている。

 その部分だけ、ほかよりも響きが強い。

 真は、その場所へ意識を集中させた。

 鉱喰いが一歩、踏み出す。

 真は、指先を強く地面に押しつけた。

 そして、鉱喰いの振動に対して、ほんのわずかにずれた音を送り込んだ。

 ゴォン……。

 ――ギィン。

 ゴォン……。

 ――ギィン。

 次の瞬間。

 鉱喰いの胸元から、乾いた音が響いた。

 ピシッ。

 外殻に、細い亀裂が走った。

 真は息を呑んだ。

「……割れた?」

 鉱喰いが、初めて大きく身をよじった。

 その動きで、地面が揺れる。

 真は倒れそうになりながらも、振動を送り続けた。

 だが、限界は近かった。

 頭が痛い。

 目の奥が熱い。

 胸の輝石が、今にも砕けそうなほど震えている。

 それでも、やめられなかった。

 ここでやめれば、少年が死ぬ。

 真は、残った力を振り絞った。

 鉱喰いの振動に、自分の振動を重ねる。

 そして、その周期を少しずつずらしていく。

 最初は、ほんのわずかな違いだった。

 次に、もう少し大きく。

 音がぶつかる。

 響きが乱れる。

 鉱喰いの身体が震え始めた。

 その震えは、最初の咆哮とは違っていた。

 外側から揺さぶられているのではない。

 身体の内側から、何かが崩れていくような震えだった。

 ピシッ。

 ピシピシッ。

 亀裂が広がる。

 鉱喰いが、口を大きく開いた。

 咆哮が、坑道全体を揺るがす。

 真の耳から、血が流れた。

 胸の奥で、何かが軋む。

 それでも、真は最後の振動を送り込んだ。

 ――ズン。

 低い衝撃が、鉱山の地面を伝った。

 直後。

 鉱喰いの胸部を覆っていた外殻が、内側から弾け飛んだ。

 灰色の鉱石が、四方へ散らばる。

 魔物の巨体が、ぐらりと傾いた。

 そして、地面へ倒れ込んだ。

 轟音。

 土煙。

 散乱する鉱石。

 そのすべてが、真の視界を覆い隠した。

 真は、しばらく動けなかった。

 指先が震えている。

 胸が痛い。

 息を吸うたび、喉の奥に鉄の味が広がる。

 それでも。

 鉱喰いは、動かなかった。

 真は、ゆっくりと顔を上げた。

「……終わった、のか?」

 返事はなかった。

 代わりに、背後から、かすかな泣き声が聞こえた。

「……うっ……」

 少年だ。

 真は、ふらつきながら立ち上がった。

 足元がおぼつかない。

 視界が揺れている。

 それでも、少年のもとへ歩いた。

「大丈夫か……?」

 少年は、涙で濡れた顔を上げた。

「……真?」

「ああ。もう、大丈夫だ」

 真は、倒れた梁に手をかけた。

 今度は、近くの鉱夫たちが駆け寄ってきた。

「おい、無理するな!」

「そっちは俺たちでやる!」

 数人がかりで梁を持ち上げ、少年の足を引き抜く。

 少年は、痛みに顔を歪めながらも、自分の足で立ち上がった。

 真は、その姿を見て、ようやく息を吐いた。

 助かった。

 そう思った瞬間、全身から力が抜けた。

「おい、真!」

 誰かが叫んだ。

 真は膝をつき、そのまま地面へ倒れ込んだ。

 意識が遠のいていく。

 最後に聞こえたのは、誰かの声だった。

「……あいつ、今、何をしたんだ?」

 真は答えられなかった。

 自分でも、わからなかったからだ。

 ただ、倒れた鉱喰いの身体から、あの低い響きが消えていることだけは、はっきりと感じていた。

 まるで、巨大な鐘が、長い眠りについたかのように。

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