15 色なき旅路
灰鐘村を離れて二日目。
真は、自分が思っていた以上に、旅というものが厳しいと知った。
まず、足が痛い。
村で鉱石を運んでいた頃は、体力には自信があった。重い荷物を担ぎ、坂道を何度も往復する仕事をしていたからだ。
だが、旅は違う。
荷物を背負い、舗装されていない道を何時間も歩く。食事は決まった時間に取れるとは限らず、夜は寝床を探さなければならない。
そして、何より。
「……疲れた」
真は、道端の石に腰を下ろした。
ガルドは、数歩先で立ち止まった。
「まだ昼だぞ」
「わかってます……」
「昨日よりは歩けてるじゃねえか」
「昨日は、もっと短い距離だったじゃないですか……」
「じゃあ、明日は今日より長く歩けるな」
「どうしてそうなるんですか!」
思わず声が大きくなった。
ガルドは腹を抱えて笑った。
「いいねえ。元気が出てきたじゃないか」
真は、恨めしそうに彼女を見た。
けれど、少しだけ楽しかった。
誰かとこんなふうに言い合うのは、久しぶりだった。
村にいた頃は、なるべく目立たないようにしていた。余計なことを言えば、無色のくせに、と笑われる。何かを主張すれば、できもしないくせに、と返される。
だから、いつの間にか、自分から言葉を出すことも減っていた。
ガルドは、そんな真の変化に気づいているのか、いないのか。
彼女は水筒を投げてよこした。
「ほら。水だ」
「ありがとうございます」
「飲んだら立てよ」
「……はい」
真は水を飲み、空を見上げた。
森を抜けた先には、なだらかな丘が広がっていた。
遠くには、石造りの塔が見える。
街道沿いに建てられた、古い見張り塔らしい。
その向こうには、さらに大きな山脈が連なっている。
灰鐘村からは見たことのない景色だった。
真は、しばらくその景色を眺めていた。
「……広いですね」
「何が?」
「世界です」
ガルドは、少しだけ目を細めた。
「そうだな」
「村にいたときは、山の向こうに何があるのか、あまり考えたことがありませんでした」
「考える余裕がなかったんだろ」
「……そうかもしれません」
真は胸元に触れた。
無色の輝石。
ずっと、自分の欠点だと思っていたもの。
今も、何ができるのかはわからない。
けれど、世界を歩けば、何かがわかるかもしれない。
自分の力だけではなく、色というものが何なのか。
人々がなぜ、それぞれの色を誇り、他人の色を恐れ、時には色の違いだけで争うのか。
自分が知っている世界は、ほんの一部にすぎなかった。
「ガルドさん」
「ん?」
「色輝石の蓄積地って、どんな場所なんですか?」
ガルドは、街道の先を見た。
「色によって違う。赤なら火山や灼熱地帯。青なら海や湖の底。緑なら森や山。白なら……まあ、教団の都市だな」
「黄色や紫も?」
「もちろん。黄色は雷が集まる高地や鉱脈の多い土地。紫は、昔から幻や毒にまつわる伝承が多い地域にあるって話だ」
彼女は、肩をすくめた。
「ただし、蓄積地ってのは、色の力が強くなる場所でもある。普通の人間が長く留まれば、輝石に影響が出ることもある」
「じゃあ、無色の俺が行ったら……」
「どうなるかは、知らない」
ガルドは、あっさり答えた。
「でも、知りたいんだろ?」
「……はい」
「なら、いつか行けばいい。焦る必要はないさ」
真は頷いた。
そのとき、胸元の輝石が、かすかに震えた。
真は足を止めた。
「……あれ?」
「どうした?」
「今、何か……」
真は周囲を見回した。
丘の上には、古い石碑が立っていた。
背丈ほどの高さがあり、表面には苔が生えている。街道の脇にあるため、旅人が道標として使っていたのかもしれない。
しかし、真には、石碑から微かな音が聞こえていた。
いや。
音というより、振動だった。
地面を通り、足元から胸へと伝わってくる。
一定の間隔で、ゆっくりと。
まるで、眠っていた何かが、目を覚まそうとしているかのように。
「ガルドさん。あの石碑……」
真が指さす。
ガルドは石碑を見た。
「古い道標だろ。ずいぶん前からあるらしいが」
「でも、何か聞こえるんです」
「聞こえる?」
「はい。音というか……振動みたいなものが」
ガルドは、真の顔を見た。
冗談を言っている様子はない。
「ちょっと、近づいてみろ」
真は、ゆっくりと石碑へ近づいた。
一歩。
もう一歩。
胸元の輝石が、少しずつ強く震え始める。
石碑の表面に刻まれた文字が、淡い光を帯びた。
真は息を呑んだ。
文字は、今まで見たことのない古い言葉だった。
それなのに。
なぜか、意味がわかった。
――無色の者よ。
――色の始まりに立つ者よ。
真の心臓が、強く脈打った。
石碑の光が、さらに強くなる。
そして、最後の一文が浮かび上がった。
――その手で、何を残す。
真は、動けなかった。
何を残す。
その言葉が、胸の奥へ沈んでいく。
自分は、何を残したいのだろう。
何を守り、何を変え、何を未来へ渡したいのだろう。
今の真には、答えられなかった。
ただ、問いかけられたという事実だけが、はっきりと残った。
やがて、石碑の光は消えた。
胸元の輝石も、静かになった。
ガルドが、そばへやってきた。
「……何が書いてあった?」
真は、しばらく石碑を見つめていた。
「俺には、意味がわかりません」
「読めたんじゃないのか?」
「読めました。でも……」
真は、言葉を探した。
「どう答えればいいのか、わからないんです」
ガルドは、石碑を見上げた。
そして、ふっと笑った。
「だったら、今は答えなくていい」
「え?」
「答えなんて、旅をしてりゃ、そのうち見つかるかもしれない。最後まで見つからないかもしれない」
ガルドは真の肩を叩いた。
「どっちでもいいさ。大事なのは、誰かに言われた答えを、自分の答えだと思い込まないことだ」
真は、彼女を見た。
「……自分の答え」
「そうだ」
ガルドは歩き出した。
「ほら、行くぞ。日が暮れる前に、次の宿場まで着きたい」
「はい!」
真は最後にもう一度、石碑を振り返った。
そこには、何も書かれていない。
ただの古い石碑だった。
しかし、真の胸には、言葉が残っていた。
――その手で、何を残す。
それは、まだ答えの出ない問いだった。
けれど、いつか。
自分が何かを選ばなければならない日が来るのだろう。
そのとき、自分は何を選ぶのか。
何を残し、何を失うのか。
真は、その問いを胸に抱いたまま、ガルドの後を追った。
旅路の先には、まだ見ぬ色が待っている。
そして、その色の一つひとつが、少年の考えを変えていくことになる。
白の拒絶。
緑の循環。
赤の燃焼。
青の記憶。
黄の警告。
紫の幻惑。
黒の侵食。
そして、灰色。
すべての色が失われたあとに、何が残るのか。
その答えを知る者は、まだ誰もいなかった。
無色の少年は、ただ歩き始めたばかりだった。
自分が世界から何を奪い、何を残すことになるのかも知らずに。




