12 緋の狂戦士
炎は、森の木々を赤く染めていた。
燃え上がる枝が弾け、乾いた音を立てて地面へ落ちる。煙が立ちこめ、木々の間を吹き抜ける風に乗って流れていった。
真は、茂みの陰から様子をうかがった。
白冠教団の騎士が四人。
その向かいに、一人の女が立っていた。
女は、真よりもずっと年上に見えた。二十代の半ばほどだろうか。赤みを帯びた髪を後ろで無造作に束ね、黒い革の上着を身につけている。腰には剣があったが、手は柄にかかっていない。
代わりに、両手が赤く光っていた。
炎が、指先から腕へと這い上がっている。
それは普通の火とは違っていた。
周囲の草木を燃やしているのに、女の衣服には焦げ跡一つない。炎は彼女の身体を覆うように揺らめき、ときおり赤い火花となって空気へ散っていた。
女の胸元には、深紅の輝石が埋め込まれている。
その石が脈打つたび、彼女の身体を包む炎が強くなる。
「もう一度言う。そいつを引き渡せ」
騎士の一人が剣を構えた。
「教団の保護対象に手を出した罪は重い。抵抗すれば、お前も拘束する」
「へえ」
女は、心底つまらなそうに鼻を鳴らした。
「保護対象ねえ」
彼女は、騎士たちの背後へ目を向けた。
そこには、一人の若者が倒れていた。腕を押さえ、苦しそうに呼吸している。胸元には青い輝石があり、その周囲の皮膚が不自然に白く変色していた。
真には何が起きたのかわからなかった。
だが、若者の顔を見れば、少なくとも自分から騎士たちに協力しているようには思えなかった。
「そいつは、何をしたんだ?」
女が尋ねた。
「教団の管理下から逃亡した。それだけだ」
「逃げた理由は?」
「質問に答える必要はない」
「なるほど」
女は笑った。
笑っているのに、目は少しも笑っていなかった。
「理由を聞く必要もないってことか」
「最後の警告だ。武器を捨てろ」
「やだね」
女は、ようやく腰の剣に手を伸ばした。
「話が通じない相手ってのは、楽でいい」
次の瞬間、地面が爆ぜた。
真は何が起きたのか、すぐには理解できなかった。
女の姿が消えた。
いや、消えたのではない。
地面を蹴った瞬間、彼女の身体が炎とともに前方へ飛び出したのだ。
最初の騎士が剣を振り下ろす。
女は身を傾けてそれをかわし、騎士の懐へ滑り込んだ。
「遅い」
柄頭が、騎士の腹へ叩き込まれた。
鎧が鈍い音を立てる。
騎士の身体が浮き上がり、そのまま後方へ吹き飛んだ。
二人目が横から斬りかかる。
女は剣を抜きもしなかった。
炎をまとった腕で、刃を受け止める。
金属が赤く染まった。
「なっ……!」
「熱いだろ?」
女が笑う。
「私もだよ」
彼女は剣を押し返し、膝を相手の胸へ叩き込んだ。
騎士が倒れる。
残った二人は、すぐに距離を取った。
「全員、白壁を展開しろ!」
二人の輝石が同時に光る。
白い光が地面から立ち上がり、薄い壁となって女を囲んだ。
壁は四方を塞ぎ、内側と外側を完全に隔てる。
白の力。
拒絶と隔離を司る輝石の能力だった。
女は壁に手を当てた。
指先の炎が、白い表面に触れる。
じゅう、と音がした。
「閉じ込めたぞ!」
「今のうちに拘束しろ!」
騎士たちが近づく。
女は、壁の内側で俯いていた。
肩が、小さく揺れている。
笑っているのだ。
「……なあ」
女が言った。
「お前らさ」
赤い炎が、彼女の身体から消えた。
その瞬間、森の空気が変わった。
真は、思わず胸元を押さえた。
女の輝石が発する振動が、急激に強まっていた。
それは、ただ熱が高まっているという感覚ではなかった。
何かが、女の身体の内側から燃え上がっている。
「人を守るために壁を作るのは、悪いことじゃない」
女は、ゆっくりと顔を上げた。
「でもな」
彼女の瞳が、赤く輝いた。
「壁の中に閉じ込めて、そいつの意思まで無視するなら――」
赤い光が、爆発した。
「それは檻と変わらねえんだよ!」
白い壁に、無数の亀裂が走る。
次の瞬間、壁が内側から吹き飛んだ。
赤い炎が森を駆け抜ける。
騎士たちは腕で顔を覆い、後ずさった。
女は、その隙を逃さなかった。
炎をまとった脚が地面を蹴る。
一人目の騎士が吹き飛ぶ。
二人目が剣を振り上げる前に、女の拳が鎧へ食い込んだ。
最後の騎士は、剣を構えたまま動けなかった。
女が一歩、近づく。
「まだやるか?」
騎士は、歯を食いしばった。
「貴様……! 教団に逆らえば、ただでは済まないぞ!」
「それ、脅しのつもりか?」
女は首を傾げた。
「だったら、こう言ってやるよ」
彼女は、騎士の剣を指先で弾いた。
金属音が響く。
「次にそいつへ手を出したら、今度は鎧ごと焼く」
騎士は、動かなかった。
やがて、倒れた仲間を支えながら、森の奥へと退いていった。
「覚えていろ! 必ず後悔させてやる!」
「はいはい。忘れなかったらな」
女は、興味を失ったように手を振った。
白い鎧が木々の向こうへ消える。
炎が弱まり、森に静けさが戻った。
女は大きく息を吐いた。
「……ったく。朝っぱらから面倒くせえ」
そのときだった。
「そこのお前」
女が、真の隠れている茂みを振り返った。
「いつまで隠れてるつもりだ?」
真の身体が固まった。
見つかっていた。
真は、ゆっくりと茂みから出た。
「……すみません」
「謝ることじゃねえよ。気配を消すのが下手なだけだ」
女は、真を頭から爪先まで眺めた。
そして、胸元に視線を止める。
「お前、無色か?」
真は反射的に胸を押さえた。
「……はい」
「ふうん」
女は、妙な顔をした。
驚いたというより、何かを確かめているようだった。
「名前は?」
「新城真です」
「新城真、ね」
女は、その名を口の中で転がした。
「私はガルド。知ってる奴は、緋の狂戦士なんて呼ぶ」
彼女は、燃え残った枝を靴先で蹴った。
「まあ、好きに呼べばいい」
それから、倒れている青い輝石の若者へ視線を向けた。
「おい。立てるか?」
若者は、苦しそうに頷いた。
「……なんとか」
「なら、ここから離れるぞ。あいつら、仲間を連れて戻ってくる」
ガルドは真を見た。
「お前も来い」
「え?」
「え、じゃねえよ。あの白服ども、お前を探してるんだろ?」
真は息を呑んだ。
「どうして、それを……」
「さっき、あいつらが叫んでたじゃねえか。教団の保護対象だって」
ガルドは呆れたように肩をすくめた。
「それに、お前の顔。逃げてきた奴の顔をしてる」
真は言い返せなかった。
ガルドは、ニヤリと笑った。
「ま、安心しろ。私は教団の犬じゃない」
その言葉が、真の胸に妙に深く響いた。
自分が今まで何に怯えていたのか。
それを、初めて誰かに言い当てられたような気がした。




