30
不敬な平民を処分したことで、ウィリアムの胸中は妙に晴れやかだった。
やはり秩序を正すのは王族の役目であり、自分こそが正義を行ったのだ。
その機嫌のまま、馬車は城門を抜ける。
途端、背筋に冷たいものが走ったが――すぐに首を振った。気のせいだ。
街を抜けて王宮へ向かう道すがら、ふと窓越しに見た王都の様子が、出立した時よりも整っていることに気づく。
店先には以前よりも品が並び、人々の表情にもわずかに活気が戻っていた。
(ふん……人に任せるのもまた王の才覚。ギルド長を労ってやらねばなるまい)
そう考えたウィリアムは宰相を呼び、王都のギルド長を謁見に呼ばせた。
その後、婚約者と寄り添い、玉座にて甘い言葉を交わしていた最中。
扉が開き、重々しい靴音が室内に響いた。
「おお、ギルド長――」
そう言いかけたウィリアムの声が止まる。
そこに現れたのは、予想とはまるで異なる姿だった。
ゆるぎない足取りで歩み入ったのは、一人の令嬢。
冷たい眼差しでこちらを見据え、ためらいなく進み出る。
「なぜ……お前がここにいる」
ウィリアムの声が上ずる。
「ギルド長が呼ばれて、ギルド長が来る。――それの何がおかしい」
その声音には一片の揺らぎもなかった。
「ど、どういうことだ……」
「説明せねば分からぬか、愚図め」
凍るような声とともに、彼女――クラウディア・フォン・シュトラールは懐から書面を取り出した。
「前ギルド長には退いてもらった。お前にも分かるように、書面まで用意してある。……呼んでみろ」
ウィリアムは手にした書面を震える声で読み上げた。
そこには確かに、王都商人ギルドの長が自らの地位をクラウディアへ譲渡する旨が記されていた。
「……お前、まさか脅しでもしたのか?」
絞り出すような問いに、クラウディアは一切の笑みを浮かべず返す。
「経緯が気になるのか? 話しても理解できるかすら怪しいのに、人に聞くとは――滑稽だな」
その冷酷な声色に、ウィリアムは顔を紅潮させ、叫んだ。
「王は! 父上はどこだ!」
「王?」
クラウディアは一瞬だけ視線を天井に流し、すぐに吐き捨てるように言った。
「先祖の残した遺産を食い潰す、ウジ虫のごとき男のことか?」
「なんと無礼な! 兵士たちよ、この女を捕らえよ! ……何をしている! 捕らえよ!」
しかし兵たちは微動だにしない。
その光景にウィリアムの額から汗が伝う。
「道中の夫婦も、そうやって他人に命令して殺させたのか? 自分の手を汚すことすらできぬとは、赤子以下だな」
「な、何を言う!」
「仕方がない――連れてきてやれ」
クラウディアの一声で、扉が開かれる。
そこから現れたのは、手錠こそされていないものの、両脇を兵に挟まれた王の姿だった。
かつての威厳は失われ、まるで罪人のように引き立てられている。
「父上!」
ウィリアムが叫ぶと、クラウディアは冷ややかに言い放つ。
「お前から生まれた産物だ。――お前が一番、わかりやすく説明できるだろう」
王は疲弊した瞳で息子を見つめ、掠れ声で告げる。
「……もう無理だ、ウィリアム。もう無理なんだよ……」
「何がです!」
王は項垂れたまま、ゆっくりと語りはじめた。
「お前がティルフォードに向かっている間に……治安を維持するのに足りなかった兵はシュトラール兵に置き換えられた。
物資も同じだ。足りぬ分はシュトラール、あるいはシュトラール家と協力する商人ギルドの手によって届けられるようになった」
「それが……それが何だと言うのです!」
「ウィリアム。お前の外交の目的は、なんだったか覚えているか」
「そ、それは……援助を」
「なぜ援助が必要だったのか、わかるか?」
「それは……物資が足りないからでは……」
王は苦く首を振った。
「……わからぬか。本質はそこではないんだ、ウィリアム」
「……もう我々には選択肢がないのだ」
王は深く頭を垂れ、嗄れ声を絞り出す。
「すでに経済はシュトラール家の配下にある。王都の商人ギルドすらもシュトラール家が管理しており……彼らが本気を出せば、パンの一切れすらこの王都に入ってこなくなる」
ウィリアムの顔色がみるみる蒼白に変わっていく。
「軍事に関しては、すでに数の上でもシュトラール軍の方が上だ。王家直属の部隊すら規律を失っている……それも当然だ。給与すらまともに払えぬのだからな」
王は重苦しい沈黙を挟み、かすれた声で続けた。
「最後にお前に外交の許可を与えた。それで、結果はどうだった?」
「……相手にすら……してもらえませんでした」
「それは当然だろう。今の我々には、援助の代わりに提供できる対価などない。あるのは王国民の象徴としての価値ぐらいだ」
ウィリアムの胸に冷水を浴びせるような言葉が、淡々と降り注ぐ。
「……それに、今ではその独自外交すら行えるほどの資金が無いのだよ、ウィリアム。極めつけは民衆の支持だ」
王の声が一段と低くなる。
「お前が去り、代わりにシュトラールの令嬢が来てからというもの、民が抗議活動を行うことも減った。飢える民が出ぬよう、地域を回って炊き出しなどの活動を行っているらしい。……今では名前だけの王室よりも、シュトラールの令嬢の方が民に信頼されている」
「それでも……!」
「話を最後まで聞いてくれ、ウィリアム」
王は必死に言葉を紡ぐ。
「シュトラールの令嬢は、私達に出された財政再建計画に従うことを条件に、融資を申し出てくれた。……私と家内は、国民の象徴としての生活を保護してくれるらしい」
「ただし――ウィリアム。お前はダメだそうだ」
「父上! なんてことを!」
「……すまない、ウィリアム」
その言葉を最後に、王は兵に挟まれ、ゆっくりと連れ出されていった。
「父上! お待ち下さい! 父上――!」
王子の叫びは、虚しく謁見の間に反響した。
クラウディアが、ゆっくりと拍手を打った。
その音は皮肉にも、謁見の間に乾いた響きを広げていく。
「なるほど。……いい勉強になった」
彼女の声音は冷ややかで、わずかな笑みすら浮かばない。
「貴族の理も知らず、治世もまともに行えぬ無能と呼んだことが昔あったな。――撤回しよう。どこに出しても恥ずかしくない汚物のような人間にでも理解できるよう、説明する才能はあったようだ」
「貴様! 父上を馬鹿にするか!」
ウィリアムが顔を紅潮させ、怒号を張り上げる。
「被害が自分にだけかかるのであれば、どれほど愚かでも私は馬鹿にはせんよ。だが――他人に迷惑をかける馬鹿に事実を突きつけて、何が悪い」
「ぬ……!」
ウィリアムは震える手で手袋を掴み、クラウディアの足元に叩きつけた。
――決闘の宣言。
クラウディアは片眉をわずかに上げ、冷たい視線を王子に注ぐ。
「ほう。この意味が分かっているのか――一度だけ問おう」
返ってくるのは、鼻息荒く肩を上下させる音ばかり。言葉はない。
「……言葉も通じぬか。ここではもったいないな。掃除が大変そうだ」
クラウディアはゆっくりと立ち上がり、片手を払った。
「外に出よう。――連れてこい」
その命令に応じ、兵たちが玉座の間の扉を開く。
王子は鼻息荒く言葉も発さず、玉座に飾られていた剣を掴み取った。
そのまま玉座の間の扉を押し開けると、外には兵たちが道標のように並び、その視線の先には王宮の庭園が広がっていた。
「今日ここで、権威としての王室は終わる。――観客は多い方がいいだろう」
クラウディアが上を仰ぐと、王宮の窓という窓に人々の影が並んでいた。
王族の最期を見届けるため、民も貴族も息を潜めて見下ろしている。
次の瞬間、ウィリアムが怒声とともに斬りかかった。
「待てもできぬとはな。――犬以下か」
クラウディアは軽々と剣を受け止め、弾き返す。
王子はなおも別の角度から斬りつける。
「私は考えていたんだ」
受け流しざまに、クラウディアの剣が王子の右肩を裂いた。
呻きながらもさらに振るう。
「どうお前に罰を与えるかを」
左肩が深々と切り裂かれ、鮮血が噴き出す。
剣を持つ腕に力が入らなくなりながらも突きを繰り出す。
「私は悩んでいたんだ」
右腕に鋭い痛みが走り、血に濡れた剣が手から落ちかける。
なおも反対の腕を振り上げた瞬間――
「どう、あの子供らに謝ればいいかを」
クラウディアの刃が左腕を裂き、王子は剣を完全に取り落とした。
それでも突進する。
「私は苦しんでいたんだ」
刃は逸らされ、王子の腹を深く裂く。呻きが漏れ、血が滴り落ちる。
ふらつきながらもなお突進しようとしたとき――
「お前を生かすべきか、否かを」
最後にクラウディアの剣が閃き、王子の両脚の腱を断った。
崩れ落ち、這うことすらままならない。
それでもウィリアムは鼻息荒く、血に濡れた顔でクラウディアを睨み上げていた。
クラウディアの足が鋭く閃き、王子の剣を蹴り飛ばす。
刃は石畳を転がり、手の届かぬ遠くで止まった。
「……なあ、ウィリアム王子。私はどうすればいいんだ?」
クラウディアの剣先が、ゆっくりと、ゆっくりと王子の首元に迫る。
それが近づくにつれ、ウィリアムの目は怒りから恐怖へと変わっていった。
「なあ、ウィリアム王子。お前はどうすればいいと思うんだ?」
血まみれのまま、王子は必死に剣先を凝視する。
後ずさろうと首を逸らすが、傷ついた足も腕も動かず、石畳を擦るだけだった。
「……なあ、ウィリアム王子。はっきりと伝えたはずだ。ここから先の混乱はすべて――お前自身が選んだ結果だと」
なおも剣先から逃げようとする。
その顔に浮かぶのは、もはや王族の威厳ではなく、ただの恐怖だった。
「なあ、王子。……なあ、ウィリアム王子。命を惜しむのは本能。だが――生きるに値する理由を語るのは理性だ。……お前に、その理性はあるのか?」
王子は背を向け、動かぬ足と腕で必死に這おうとする。
その姿は虫けらのようで、観衆からもざわめきが広がった。
「なあ、ウィリアム王子。お前に婚約破棄された時、私は言ってたんだ――愚か者を相手にするだけ、時間の無駄だと」
クラウディアの刃が閃いた。
次の瞬間、ウィリアムの首が石畳に転がり落ち、庭園の一部を深紅に染め上げる。
沈黙の中、クラウディアは血に濡れた剣を下ろし、空を仰いだ。
「……父上、母上。私は、どうすればよかったのか」
足元に広がる凄惨な光景とは正反対に、澄み渡った空はただ静かに広がっていた。
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