『私の破滅に拍手を!』
「リリス! お前の悪行はもはや隠しきれぬ!」
王子アルベルトの声が響き渡る。
ここは王立学園の大広間。百を超える視線が壇上へと注がれ、その中央にひとりの令嬢が立っている。
リリス・アルカナ。
名門の家に生まれ、気高さと美貌を兼ね備えた令嬢。
けれど今、彼女は「悪役令嬢」として断罪の場に引き出されている。
観衆の目には、彼女は困惑に顔を曇らせているように映った。
だが近くで見る者にはわかる――その口元には、かすかな微笑みが宿っている。
まるでこの断罪の場そのものを舞台と心得ているかのように、静かに立ち尽くしていた。
壇上の正面には王子アルベルトが立ち、断罪の言葉を放つべく胸を張っていた。
その隣にはエリス・ステラが控えている。彼女は王子やリリスと同じく、生徒会に名を連ねる才媛だ。
しかし今、その面影は薄く、表情は硬く緊張の色を隠せない。
だが観衆の目には、王子の隣に立つその姿が、まるで「守られるヒロイン」であるかのように映っていた。
「庭園の泉で、無抵抗のステラを突き落とした!
舞台練習の最中には、彼女のドレスを無残に引き裂いた!
さらには学院の図書館で、ステラを突き倒した場面を見た者もいる!
これほどの悪行、もはや看過できぬ!
リリス=アルカナ、今この場をもってお前との婚約を破棄する!」
観衆のざわめきは渦を巻き、断罪の空気が満ちていく。
だが、槍のような糾弾を受けたリリスは、頬に手を添えて笑みを浮かべた。
「まあ……どれも懐かしい場面ですこと」
さらりと認める声に、場の空気が一層ざわつく。
リリスは目を細め、芝居がかった調子で言葉を紡ぐ。
「ええ、泉に突き落としましたわ。水しぶきに呑まれたステラ嬢の驚愕に歪んだ顔……ふふっ、思い出すたびに舞台の幕開けを見ているようで愉快ですの」
観衆は息を呑む。リリスは続けて扇を軽く掲げた。
「ドレスを破いたこともございましたわね。照明の下で頬を真っ赤に染め、涙を堪えるステラ嬢……あの表情は、まさしく悲劇の姫の登場。喝采に値する名場面でしたわ」
大広間のざわめきが大きくなる。王子は憤りを抑えきれずに叫んだ。
「図書館の件も否定はできまい! 倒れたステラと、立っていたお前の姿を見た者がいるのだ!」
リリスは小さく肩をすくめ、扇で口元を隠す。
「ええ、確かに突き倒しましたわ。そのときのステラ嬢の表情といったら……床に座り込んで呆然としたお顔が、なんとも滑稽で……舞台の幕間に笑いを差し込む一幕でしたのよ」
そう言い終えるや、リリスは顎を少し上げ、声高らかに笑い上げた。
高く響く笑い声は大広間の壁に反響し、観衆の耳を震わせる。
静寂を切り裂くようなその笑いは、涙や懇願を期待していた人々の心を徹底的に裏切った。
「なんという女だ……」
「恥を知らぬのか……!」
非難の声が次々に飛び交う。
だがリリスは、罵声を浴びれば浴びるほど、舞台の主役として喝采を受けているかのように堂々としていた。
リリスが三件の悪行を認め、さらに声高らかに笑い上げたとき――大広間は怒号の渦に包まれた。
「なんて女だ!」
「恥を知れ!」
「悪魔め!」
「ステラ嬢を辱めるなど、人として許されぬ!」
貴族たちは椅子を鳴らして立ち上がり、顔を紅潮させて叫ぶ。
扇を叩きつける婦人、拳を握り締める紳士、誰もが憤怒に駆られ、言葉を石のように投げつけてくる。
「婚約破棄など生ぬるい!」
「牢に繋げ!」
「追放しろ!」
「いや、今この場で処罰すべきだ!」
嵐のような罵倒が壇上に降り注ぎ、壁を震わせる。
だがその中心で、リリスはただ一人、上品な微笑みを保っていた。
周囲が顔を紅潮させ声を荒げるほどに、彼女の笑みはむしろ気高さを増して見える。
決して揺らがぬその笑みは、場に漂う怒気さえも舞台のざわめきに変えてしまうかのようだった。
そして――リリスはすっと姿勢を正し、静かに口を開いた。
「皆様」
決して大声ではなかった。
けれどその一言は、不思議と罵倒の渦を貫き、場にいる全員の耳へと届いた。
次の瞬間、大広間は水を打ったように静まり返る。
リリスはその沈黙を背に、ゆるやかに裾を払うと――すっと膝をついた。
広間に再びざわめきが広がる。
しかし彼女は深く頭を垂れ、その声を澄んだ響きで放った。
「この婚約破棄、謹んでお受けいたしますわ」
その言葉は潔く、そして儀礼を尽くしたものだった。
開き直りでもなければ、哀願でもない。
ただ、上位貴族としての矜持を保ったままの受諾である。
王子アルベルトは鼻で笑い、顎を反らした。
「フン! お前のような女は、そうやって頭を垂れていればよいのだ!」
観衆からも「ついに悪役が屈したか」と安堵にも似た溜息が漏れた。
空気は完全に、「断罪の結末」を受け入れる方向へと流れていった。
王子アルベルトは満足げに腕を広げ、観衆へと声を張り上げた。
「今日この日をもって――エリス・ステラこそ、私の新たな婚約者となるのだ!」
一瞬、広間はざわめいた。
あまりに唐突な宣言に、誰もが互いの顔を見合わせる。
「え……?」「急すぎないか?」と小声が漏れる。
しかし次第に、王子の自信に満ちた笑みに押されるように、ぽつぽつと拍手が鳴り始めた。
それは次第に連鎖し、やがて大広間を包む喝采へと変わっていく。
戸惑いは完全には消えていない。
それでも「王子がそう言うなら」と、誰もが従うように手を打ち鳴らしていた。
王子は得意げにその空気を吸い込み、ステラの手を取り、勝ち誇った笑みを浮かべる。
「ほら、皆が祝ってくれている。そんなに怯えることはない、ステラ。君は今日から、私の婚約者になるのだから」
彼はそう囁きながら、彼女の腰に手を回そうとした。
しかし――ステラの震えは喜びではなかった。
王子の腕が彼女の腰に回ろうとしたその瞬間、ステラは目を固く閉じ、膝をつき、王子の手をそっと払いのけた。
「……恐れながら、そのお話、私はお断りいたします」
場内が凍り付く。
つい先ほどまで鳴り響いていた拍手はぴたりと止み、沈黙が大広間を支配した。
「な、なに……?」
王子の声は裏返り、顔が引きつる。
ステラは震える膝を押さえながらも、勇気を振り絞って顔を上げる。
その瞳には怯えではなく、決意の光が宿っていた。
「リリス様は……私を虐げたことなど一度もありません!」
観衆が一斉に息を呑む。
ステラは涙を浮かべながら、それでも声を張った。
「泉で突き落とされたあの日、私は庭で炎魔法の練習をしていました。けれど失敗して、裾に火が燃え移ってしまったのです……! リリス様は、それを消そうとしてくださったのです!」
「練習中に炎を……?」と誰かが呟き、別の者が「あの日、庭の一角が焦げていた」と思い出す。
観衆の目に動揺の色が走った。
「舞台練習でドレスを裂かれたときも……舞台装置に巻き込まれる直前、救ってくださったのです!」
人々の間に「そういえば」と囁きが広がる。
「あの装置は不調だった」「たまに動かない時もあったな……」――ぽつぽつと呟きが連なり、やがて大きなざわめきへと変わっていった。
「図書館で突き倒されたあの日も……地震が起きて本棚が倒れてきたのです。あのとき私を助けてくださったのはリリス様でした!」
その言葉に、観衆の何人かが顔を見合わせる。
「確かに最近地震があったな……」
小さな呟きが連鎖し、広間の空気が一気に揺らいでいく。
先ほどまで憤怒に満ちていた視線が、次第に驚愕と動揺へと塗り替えられていった。
大広間の空気が揺らぐ中、王子アルベルトは蒼白な顔で必死に声を絞り出した。
「ば、馬鹿な……! し、しかし……! ステラ、お前は……私に憧れて、生徒会に入ったのではなかったのか?」
その声は震えていた。
勝ち誇り、喝采を浴びていたはずの王子が、今は観衆の前で縋るように問いかけている。
ステラはゆっくりと顔を上げ、涙を拭いながら、はっきりとした声で言った。
「憧れていたのは……リリス様です!」
広間に衝撃が走った。
「なんと……!」「リリス様に……?」とざわめきが連鎖する。
「私はずっと、リリス様の背中を追いかけていました。気品も、強さも、誰よりも誇り高いその姿に……憧れていたのです!」
ステラの高らかな宣言に、観衆の目は完全に王子から離れ、壇上のリリスへと注がれた。
しかしリリスはなお、膝をつき、頭を垂れたまま動かない。
その沈黙と背中の気高さこそが、言葉以上に雄弁に観衆の心を揺さぶっていた。
エリスの言葉が大広間に響き渡った瞬間、場は水を打ったように静まり返った。
誰一人声を上げない。先ほどまで怒号を飛ばしていた観衆すら、息を呑んだまま立ち尽くしている。
その沈黙を背に、ずっと膝をついていたリリスが、ゆるやかに立ち上がった。
裾が揺れ、舞台に上がる女優のように光を受けて輝く。
「……これにて、幕は降りましたわ」
穏やかな声が広間を満たす。
それは喝采よりも重く、沈黙よりも強く、場を支配した。
リリスは振り返り、まだ震えを残したままのステラに微笑みかける。
「さあ、行きましょう」
「はい!」
差し出された手を、ステラは迷いなく取った。
驚いた観衆の前で、二人は並んで歩き出す。
スポットライトに照らされるように、その背中は眩く輝いていた。
やがて大広間の扉が閉まり、その姿は静かに視界から消えていく。
観衆は喝采を送るべきなのか、それともただ呆然と見送るべきなのか――誰も判断できなかった。
――いずれにせよ、この場を最後まで支配したのは、リリスただ一人だった。
背景設定
リリス・アルカナとエリス・ステラは、領地が隣り合う名門貴族の娘同士。但し爵位はリリスが上。
同じ年、同じ月に生まれたことに加え、両家の親交も深かったため、響きの似た名――リリスとエリス――が与えられた。
互いに呼び合うときは、リリスがエリスを「エリー」、エリスがリリスを「リリー」と呼ぶのが定番。
事件の現場で常にリリスが近くにいたのも、実は仲良く一緒に行動していたから。
ただし二人とも、仕事とプライベートはきっちり分けたいタイプ。
学園の生徒会では互いに職務に集中し、あえて親密さを表に出さなかった。
そのため王子アルベルトでさえ「二人が特別に仲が良い」という事実に気づいていなかった。
リリスは凛とした美貌と気高さを備えた存在感のある令嬢。
一方エリスは小動物のような可憐さで人の心を和ませる存在。
正反対のようでいて、エリスもリリスも水魔法が使えない。
私の破滅に拍手を!は締めのセリフにしようと考えてはいたが流れ的にボツになった。
――後書き
読んでくださりありがとうございます!
始めて悪役令嬢の物語を書いてみました!
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