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ティルフォード港国――王都を出て、王子ウィリアム=フォーレン一行と婚約者を乗せた船が、ようやく異国の港へと到着した。
しかし、甲板から見渡した光景に、彼の表情はすぐさま険しくなる。
並んでいたのは数名の官吏だけ。楽隊も兵列も、華やかな式典の準備もない。
「……これが王族を迎える態度か」
胸の奥に針を刺されたような違和感が走る。
足取りが自然と乱れ、靴音が甲板に不快なほど響いた。
さらに不満は続く。
案内された宿泊先は王宮ではなく、港近くの高級ホテル。
内装は豪奢であるにもかかわらず、王子の目には“追いやられた”としか映らなかった。
「王族をホテルに泊めるなど……屈辱だ」
喉奥に熱がこもり、言葉がにじむ。
拳を握る手に力が入りすぎ、革手袋が軋む。
そして翌日。
「王室の使者」との会談と聞かされて赴いたが、そこに現れたのは王侯ではなく、一人の外務官だった。
「初めまして。港国の外務を預かっております」
恭しく頭を下げるその仕草が、ウィリアムには小馬鹿にされたとしか思えない。
「……なぜ王族たる私を、外務官ごときが迎えるのだ」
胸中で煮え立つものが、今度は全身を突き抜ける。
額に血が上り、声は自然と鋭さを増した。
「王宮に通せ! 王子を軽んじて恥じぬのか!」
場の空気が凍りついた。
だが、外務官の顔色は変わらない。
その平静さこそ、王子の自尊心をさらに苛むのだった。
「ならば支援だ。軍糧でも金でもよい、援助を求める」
外務官は淡々と首を振る。
「すでに王国との間に、正式な公約が結ばれております。それゆえ、新たな援助は……」
「なにっ!」
胸の奥に熱が走り、思わず立ち上がる。
拳を机に叩きつけそうになるのを、ぎりぎりで堪えた。
「お前では話にならん! 王族に会わせろ!」
荒々しい声音に外務官も眉をひそめたが、やがてため息をつき、静かに告げる。
「……承知しました。追って、王室と面会できるか確認いたしましょう」
その言葉に、ウィリアムの胸にかすかな安堵が灯る。
「最初からそうすればよいのだ」
苛立ちは収まらぬが、わずかに気分は持ち直した。
数日後、王室との面会が叶うと聞かされ、心中の荒波は少し静まった。
だが、宮殿に通された彼の目の前に現れたのは――国王ではなく、その王子だった。
「……王ではないのか」
歯噛みする音が聞こえるほど、こみ上げる怒気を抑えきれない。
それでも彼は再び要求を突きつける。
「援助を寄越せ。伝統と誇りある我が国は……」
だが返ってきた答えは、以前とまったく同じだった。
「すでに王国と正式な公約を結んでおります。追加の支援はできません」
「またそれか!」
声が裏返りそうになるほどの憤懣。
胸を焼くような苛立ちが、血流となって頭に昇る。
「ならば直接、王都と交易を結べばよいだろう!」
彼の言葉を遮るように、王子は冷ややかに告げた。
「それもできません。我が国は既に公約上、シュトラール家を経由しなければ交易を行えないのです」
「……シュトラール……!」
その名を聞いた瞬間、胃の奥から煮え立つような怒気がこみ上げる。
血管が切れそうなほどに拳を握りしめ、視界が赤く染まる思いだった。
だが相手の王子は平然と続ける。
「クラウディア嬢は優れた人物です。今はここにはおりませんが、我が国王も認めるほどの才媛で……」
「黙れ!」
堪えきれず、声を荒げた。
耳を塞ぎたくなるほどの屈辱。
自分を無視し、あの女を褒める声が、何よりも耐えがたい。
ふと、傍らにいた王国の宰相が口を開いた。
「ちなみに――その公約の期間は?」
アレックス王子が答える。
「我が王が亡くなるまでです」
ティルフォードでの交渉は、結局何一つ実を結ばなかった。
ウィリアムの胸に溜まった怒気は行き場を失い、もうこの地に留まる理由もなかった。
「……くだらん。もう帰る」
吐き捨てるように言った彼に、隣の婚約者がむっとした顔を向けた。
「私はもう少し滞在したいのに。宝飾も織物も、まだ見ていないわ」
わがままな声に、こめかみがぴくりと痙攣する。
己を無視した願いなど聞き入れる気もないが、口を開けば怒号になりそうで、歯を噛み締めることしかできなかった。
帰路の船上。
水平線の向こうに沈む夕日も、穏やかな波音も、彼の苛立ちを和らげはしない。
船室の空気は重く淀み、従者や婚約者ですら口を開けば争いになりそうで、誰も声を発しなかった。
やっとの思いで王国へ帰りついたが、災厄は続いた。
乗り込んだ王室用馬車の車輪が道半ばで外れ、盛大に傾いて立ち往生したのだ。
「何をしている! 修理にどれだけかかるのだ!」
怒鳴りつけるが、従者も車夫も青ざめるばかりで答えはない。
仕方なく別の貸し馬車を呼ぶしかなく、ウィリアムはさらに苛立ちを募らせた。
だが婚約者は、平然と冷たい声を浴びせる。
「貸し馬車? まあ……そんなの、みっともないわ」
嘲るような言葉に、胸の奥が焼けるような屈辱を覚えた。
拳を膝に叩きつけ、窓の外に視線を逸らす。
――なぜ、なぜ自分ばかりがこうも辱めを受けねばならぬのか。
答えのない苛立ちが、さらに積み重なっていく。




