20
「――アレックス。余が命の淵にあった折、傍らにいたあの令嬢を、この場へ呼べ」
父の言葉に、アレックスは一瞬だけ身を固くした。
だがすぐに顔を上げ、控えていた兵士へと鋭く命じる。
「――クラウディア一行を連れてまいれ」
「はっ」
兵士たちは恭しく一礼し、すぐさま駆け出していく。
扉が閉まると、室内には再び重い沈黙が落ちた。
王の呼吸と、燭台の炎が揺れる音だけが響く。
やがて、扉の外から足音が近づき、厚い扉が軋む音を立てて開かれたはい
クラウディアを先頭に、キミトフ、タリヤが整然と入室する。
その姿に、王は静かに瞳を細めた。
「……そなたこそ、余のために、己が牢に繋がれようとも責を負うと申した者であったな」
王はそう言うと、荒い呼吸を整えながらも視線を巡らせる。
「長く床に伏していたゆえ、詳しくは知らぬ。――そなたたちは、誰だ?」
クラウディアは静かに一歩進み出て、深く礼を取った。
「シュトラール公爵令嬢、クラウディア=フォン=シュトラールにございます。王国より参上いたしました」
「王国より遠路はるばる参ったと申すか。――その目的は何だ」
「ティルフォード港国と正式な公約を結ぶためにございます」
王は短く息を吐き、即座に頷いた。
「よかろう。我が国とシュトラール領との間に、正式なる公約を結ぶことを、この場にて認める」
「父上!」
アレックスは立ち上がり、思わず声を荒げる。
「そんなに早く返答をなさっては――」
だが王は鋭く遮った。
「王の命を疎かにするは、国を疎かにするのと同じだ。――アレックス。お前の目には、この余の命が一つの公約よりも軽く映るのか」
掠れた声でありながら、長らく病に伏せていたとは思えぬほど、そこには王としての威厳が確かに戻っていた。
王はクラウディアを見据えた。
「このシュトラールの令嬢は、自らの身を顧みず我が命を救おうとした。――感謝する」
そう言って、王は深々と頭を下げた。
周囲がどよめいた。
「王が……頭を……」
兵も従者も思わず息を呑み、互いに顔を見交わす。
クラウディアは静かに首を振る。
「救えるかもしれぬ命があった――それだけのこと。私が為したことなど、何もございません。称えられるべきは、私の従者でもあり、最も献身を尽くしたこちらのマイルズです」
王は目を細め、頷いた。
「……そなた、シュトラールの令嬢の従者であったか。――ならば余は、重ねて感謝を述べよう」
ふたたび、王はゆるやかに頭を垂れた。
その異例の光景に、広間はざわめきに包まれる。
兵も従者も目を見開き、誰ひとりとして声を発せられなかった。
アレックスはその姿を見つめ、こみ上げる熱情に、心が震えるのを止められなかった。
「……父上が二度までも頭を下げられるなど……」
次の瞬間、彼は決意したように歩み出て、クラウディアの前に膝をついた。
「クラウディア嬢。これまでの無礼を、心から詫びる。……私は王子として、国を背負う者として、その責を胸に生きてきた。だが今、父の命を救ってくれたそなたに一人の息子として、心から礼を述べねばならぬ」
その声は震えていた。
厳格さを保とうとしながらも、瞳には抑えきれぬ感情が宿っている。
王子の姿に打たれたように、広間にいた者たちも次々と膝をついた。
護衛の兵が、従者が、重臣が――誰も声を発せず、ただ深々と頭を垂れる。
王と王子、そして臣下たちが一斉に示した敬意は、もはや一人の公爵令嬢に向けられたものだった。
重苦しかった広間の空気が、静かな敬意と感謝の念に塗り替えられていく。
クラウディアは静かに一歩進み出ると、膝をついた王子の前で身を屈め、視線の高さを合わせた。
その瞳は揺らぐことなく、澄んだ声音が広間に響く。
「かけがえのないご家族の御身です。殿下の心が揺らいだのも、当然のことでございましょう。
――けれど、先ほども申し上げたとおり、称えられるべきは献身を尽くしたマイルズです。どうか、お顔をお上げください」
毅然としたその言葉に、広間は再び静まり返った。
誰もが、令嬢の揺るぎない謙譲と、その背後にある信頼を感じ取っていた。
「……ごほ、ごほっ……」
その沈黙を破ったのは、王の咳だった。
「ふむ……流石に、まだ全快とは言えぬな。――マイルズよ、あとどれほどで治る見込みだ」
呼びかけに応じ、マイルズは一歩進み出て、静かに答える。
「はい。陛下はすでに快復の途上にございます。食も進み、声にも力が戻りつつあります。
今後、さらに果実を継続して召し上がれば――十日ほどで体力が安定し、二十日もあれば往年に近い御身を取り戻されましょう
ただし、これまでのように肉と酒のみの生活を繰り返されなければ――という前提にございますが」
王は短く息を吐き、かすかに口元を綻ばせた。
「そうか……頼もしい答えだ」
王はゆるやかにうなずき、しばし広間を見渡した。
重苦しかった空気は、いつしか和らぎ、静かな安堵の色が満ち始めていた。
「この命が繋がったのも……すべては、そなたらの尽力あってこそ。国もまた、人の尽力によって支えられてゆくのだろう」
そう呟いた王は、やがてクラウディアに目を向け、口元にわずかな笑みを浮かべた。
「……もし、このクラウディア嬢が我が息子の嫁となってくれれば――この国も、何より安泰であろうにな」
その言葉に、広間はどよめきに包まれた。
アレックスは息を呑み、クラウディアは一礼して応じる。
「ご冗談を……陛下」
毅然としたその声に、場の緊張がほんの少し解け、広間にはようやく静かな余韻が満ちていった。
そろそろティルフォード編も終わりです。
応援していただいた方、本当にありがとうございます。




