18
いつもより大分長いです。
アレックスはしばしマイルズを眺めたのち、再び視線をクラウディアへ戻した。
クラウディアは微動だにせず、淡々と告げる。
「別にお教えいただかずとも構いません。ですが――――医師が匙を投げているのであれば、すでに打つ手は尽きているはず。であれば、我らに事実を明かされても差し支えないのではございませんか」
その言葉に、広間の空気がさらに張り詰める。
護衛の騎士が目を見開きかけるが、王子は手を挙げて制した。
アレックスは長く、じっとクラウディアを見つめた。
その瞳を測るように、静かに威圧を込めながら。
やがて、王子は椅子からゆるやかに立ち上がる。
「……ついてこい」
低く鋭い声音に、従者も護衛も一瞬たじろぐ。
だがすぐに姿勢を正し、慌ただしく道を開いた。
アレックスは振り返ることなく、荒々しい足取りで広間を後にする。
クラウディアたちは無言でその背に従った。
広間を後にし、奥の廊下を進む一行。壁にかけられた燭台の炎が揺らめき、石造りの空間を影で満たしていく。
やがて、厚い扉の前で二人の護衛騎士が立ちふさがった。
「――殿下。陛下の直接のお許しがなければ、誰一人として通せぬと、厳命を受けております」
槍の穂先がわずかに下がり、クラウディアたちの行く手を阻む。
アレックスは冷ややかに目を細め、低い声を放った。
「余が直々に命じている。下がれ」
だが護衛は一歩も退かない。
「いかに殿下の御命令とて……陛下の御身に関わること。臣として、この場を通すわけには参りませぬ」
空気が張り詰め、剣呑な気配が漂う。
クラウディアは静かに護衛を見据え、毅然と声を発する。
「王の御身を案じるその忠義、誠に尊いものです。しかし――殿下を信じることもまた、臣の務めではございませんか」
護衛の表情が揺れる。だが迷いは一瞬だった。
アレックスが一歩前に進み、鋭い声音で言い放つ。
「これ以上の拒絶は、余への叛意と見なすぞ」
護衛は刹那の沈黙の後、槍を脇に引いた。
「……御意」
重苦しい空気の中、扉が軋む音を立てて開かれていく。
その奥に――王の寝所があった。
重々しい扉が開かれると、薬草と鉄の匂いが混じり合った空気が流れ出た。
奥の寝台には、痩せ細った王が横たわっている。土気色の肌には青黒い斑点が散り、浅い呼吸が布団をかすかに上下させていた。
傍らに控えていた年配の医師が、一行の姿を認めて怪訝そうに目を細める。
「……殿下、この者たちは?」
アレックスはまっすぐに歩み出て、迷いなく告げた。
「シュトラール領を治めるクラウディア公爵だ。――医師よ、父上の容態を説明してくれ」
医師は驚きに目を見開き、ためらいがちに口を開く。
「……よろしいのでございますか。本当に」
アレックスは視線を逸らさず、低くもはっきりと言い切った。
「構わぬ。すべて余の意志だ」
重苦しい沈黙ののち、医師は深く息を吐き、王の寝姿へ目を落とした。
「……承知いたしました」
彼は声を落として説明を始める。
「ご覧の通りでございます。全身に斑点が広がり、歩行は困難。筋力は日に日に衰え、今ではほとんど寝台から起き上がることも叶いませぬ。……奇妙なことに、これと似た症状は船乗りたちの間でも広く知られております。航海の果てに発症し、多くの命を奪ってきたことから、治らぬ『死の病』と呼ばれているのです」
医師は小さく首を振り、吐き捨てるように続ける。
「だが陛下は船に乗られたわけでもない。海を渡ることなく、このような病を患われる理由が、私にはどうにも理解できぬのです」
医師の説明が終わると、広間には重苦しい沈黙が落ちた。
クラウディアは視線を従者に向ける。
マイルズは一歩前に進み、落ち着いた声で言葉を紡いだ。
「承知いたしました。――ただいまのお話にございました、全身の皮下出血、歩行困難、筋力の衰え。これらの症状から推測し得る病は、いくつかございます」
短く息を整え、視線を王へ向ける。
「しかしながら、私が目にしているのはあくまで外見上の兆候のみ。正確な診断を下すには、脈を取り、肌に触れて確認する必要がございます。……王に直接触れる許可を頂戴できますでしょうか」
広間に一瞬、張り詰めた沈黙が走る。
クラウディアは一歩進み出て、深く一礼した。
「殿下。無礼は重々承知しております。けれども――正確な診立てを得るためには、どうかお許しを賜りたく存じます」
彼女は視線を逸らさず、毅然とした口ぶりで続けた。
「ここに控えるのは、私の右腕とも申せる存在にございます。もし、その手が僭越にも王の御身を害することあらば――その場で、私の両腕を切り落としていただいて構いませぬ」
広間にざわめきが走り、空気がさらに張り詰める。
だがクラウディアの声音は一分の揺らぎもなく、真っ直ぐにアレックスを見据えていた。
アレックスはしばし黙してその姿を見つめ、やがて小さく笑みを浮かべた。
「……よかろう。余が見届けよう。――許す」
その言葉に従い、マイルズは静かに寝台へ歩み寄った。
王の枕元に立ち、手首を取って脈を測る。
「……脈は弱く、一定せず。力がまったく感じられません」
彼は次に、王の腕を覆う布をそっとめくり、斑点の浮いた皮膚に触れる。
「皮下出血……押せば強い痛みを訴えられるはずです」
その瞬間、王が「……うっ」と低くうめき声を漏らした。
護衛がはっと顔を上げ、腰の剣に手をかけかける。
「陛下!」
だが王はわずかに手を上げ、かすれた声でそれを制した。
「……よい……構わぬ……」
その弱々しい動作に、護衛は動きを止め、歯を食いしばりながら静止する。
寝所の空気は、さらに張り詰めていった。
王が制したことで、広間の緊張はそのままに凍り付いた。
マイルズは一礼し、声を落として告げる。
「失礼いたします」
彼は王の顔へ身を寄せ、慎重に唇を持ち上げた。
ただれた歯茎は赤黒く腫れ上がり、数本の歯は既に失われていた。わずかに口内を動かすだけで、血がにじみ出る。
「……歯肉の壊死と出血。すでに食を保つことさえ困難な状態です」
マイルズの冷静な診立てに、王は苦しげに息を吐いた。
「……わかっておる……この身はもう長くは持たぬ……。ならばせめて、肉でも酒でも……好きなものを口にして、終わりを迎えたかったのだ……」
護衛が思わず顔を伏せ、医師は唇を噛みしめる。
その中で、クラウディアはただ静かに王の姿を見据えていた。
マイルズは手を離し、姿勢を正すと、医師へ問いかける。
「……症状が始まったのは、いつ頃からでしょうか」
医師は一瞬言葉を詰まらせ、やがて力なく答えた。
「数か月前より衰えが目立ち始めました。最初は倦怠と口内の不快感のみでしたが……日を追うごとに悪化し、いまのような有様にございます」
マイルズは静かに息を整え、言葉を紡いだ。
「かつて我がシュトラール領の港でも、同じような症状が多発したことがございます。当時は原因が分からず、多くの者が命を落としました」
彼は医師に視線をやり、続けた。
「しかし、ある学徒が思い切った手を試みたのです。患者を幾つかの組に分け、それぞれに異なる食物を与えました。肉、穀物、酒、酢……そして果実」
静まり返った寝所に、彼の声が低く響く。
「結果、果実を与えられた者だけが目に見えて快方に向かいました。後に詳細に記録され、同様の症状を救う手立てとして領内に伝えられております」
護衛が息を呑み、医師は眉をひそめた。
「果実……? まさか、それほど単純な……」
マイルズは一歩踏み出し、低くも力のこもった声で告げた。
「……誰も気づかなかったのは、あまりに単純だからです。陛下の病も――同じ理によるものである可能性が高いと……」
寝所にざわめきが広がる。
だが彼は視線を逸らさず、言葉を続けた。
「ただし――人体は未だ多くの秘密に包まれております。すべての症状が必ずしも快方に向かうとは断言できません。これはあくまで、過去に記録として残された例にすぎないのです」
「……もちろん、果実を与えたからといって、一日や二日で治るわけではございません。体力が戻るには時間を要します。ましてや、このように容態が進んでいるのであれば――少なくとも数週間は経過を見ねばなりません」
寝所に、重い静寂が落ちた。
やがてクラウディアは、ゆるやかに王子へと向き直り、毅然と声を発した。
「殿下。どうかマイルズに、しばし陛下の様子を診させていただきたく存じます。その間、私を牢に繋いでいただいて構いません。万一にも不測の事態が起こったとき――その責を負うのは、すべてこのクラウディアにございます」
護衛たちがざわめき、医師は息を呑んだ。
クラウディアの声音は冷静で、微塵も揺らがない。
その覚悟を示す言葉が、寝所に重く響いた。
マイルズは唇を結び、胸の奥に込み上げるものを押し殺しながら、主の言葉を一語一句噛みしめるように受け止めた。
タリヤは思わず息を呑み、拳を握りしめる。軽口を叩くことも忘れ、ただ真剣な眼差しでクラウディアの背を見つめていた。
キミトフは姿勢を正し、無言のまま頷いた。その眼差しには、軍人として主の覚悟に殉ずる決意が宿っていた。
そのとき――クラウディアの背後から、かすれた声が漏れた。
「……そこまでの……覚悟があるなら……試してみるがよい……」
王の弱々しい声が響いた瞬間、寝所にいた誰もが息を止めた。
クラウディアは静かに振り返り、深く一礼する。
アレックスは思わず寝台に歩み寄り、膝をついた。
「父上……」
王はかすかに瞼を開き、掠れた息の合間に言葉を紡いだ。
「……私には……もう失うものなど無い。だが……お前なら……私がいなくとも、この国を……導いてゆける……」
アレックスの拳が震え、言葉を失ったまま父を見つめる。
長い沈黙の後、彼は静かに顔を上げた。
「……父上を頼む」
その言葉に、クラウディアは深く一礼し、毅然と答える。
「……では、私を牢に」
クラウディアの短い言葉に、寝所がざわめく。
だがアレックスはすぐさま首を振った。
「牢に入れぬ。だが……安全を担保するためには、相応の措置が必要だ」
彼は護衛に視線を送り、厳しく命じる。
「シュトラール公爵とその従者は――そこの者を除き、王宮内の別棟に移して監視下に置け。互いに通じぬよう、それぞれ別の部屋に分け、必ず監視を付けよ。その者は父上の経過観察に残す」
「……はっ」
兵たちは声を落とし、静かに応じた。病人を気遣うように音を抑えても、その場の緊張は少しも和らがない。
クラウディアは表情を崩さず、ただ静かに受け入れる姿勢を示した。




