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17

 ――ティルフォード港国の暑さにも若干慣れ始めた頃。

 クラウディアの部屋には、再び全員が顔を揃えていた。窓の外からは潮風が入り込み、帳簿や地図の端をぱたぱたと揺らしている。


 最初に口を開いたのはマイルズだった。

 「王子の動向自体に異変は見受けられません。王妃との関わりはありますが、王との接触はなく、統治にも特段おかしな点はございません」


 タリヤは姿勢を正し、言葉を選んで告げる。

 「市中における王の目撃情報は一切ありません。定期的に行われる顔見せはすべて王子が代行。王都外から来た商人も、公務を行っているとの噂を口にしておりません」


 タリヤはわずかに眉をひそめ、言葉を続けた。

 「……ただ、不思議なことに王にまつわる噂そのものはむしろ増えています。――内容はまちまちですが、まるで誰かが意図的に情報をかき乱しているような印象を受けます」


 クラウディアは頷き、指先で卓上をとんとんと叩いた。

 「商人ギルド長にも探りを入れてみたけれど、王が公務に出た痕跡はなかったわ。やはり王は王都に留まっていると見るべきね」


 キミトフは腕を組み、真剣な声音で報告を重ねる。

 「王宮の警備に関しても不自然な箇所はなく、規律は良好に保たれております。従者やメイド、料理人等といった人員の数も変わりなく、出入りの時刻も規則正しい……」


 一呼吸置き、言葉を区切った。

 「……ただし、医師だけが例外でした。夜遅く、あるいは朝まで不規則に勤務を続けている様子が確認されています」


 室内に、再び重い沈黙が落ちる。


 「つまり――王の容態が悪い可能性があるかと」


 低く言い切るキミトフに、クラウディアはゆるく目を細めた。

 「おいそれと『王が死にかけている』なんて口にできるはずがないわね。だとしても、真実に近い何かが動いているのは確か……」


 クラウディアは視線を伏せ、一拍置いてから告げた。

 「もし仮に事実だとしたら、早めに動いて損はしない。――マイルズ、今回はあなたが頼りになるわね」


 「はっ」

 報告の姿勢を崩さぬまま、マイルズはわずかに胸を張った。


 その様子を横目に、タリヤが口を開く。

 「……しかしクラウディア様、拝謁を望まれても、どのようにして取り付けるのでしょうか」


 クラウディアは机上の地図に軽く指を置き、平然と答えた。

 「出立の前に、最後に一目お会いしたい――そう依頼を商人ギルド長を通じて伝えるわ。体裁としては礼儀の範囲内よ」


 沈黙を守っていたキミトフが、軍人らしい硬質な声音で口を挟んだ。

 「ではもし事実でなかった場合、あるいは交渉が再び決裂した場合……その後はシュトラールへお戻りに?」


 クラウディアはゆっくりと首を振り、唇に淡い笑みを浮かべた。

 「いいえ。その場合は“ティルフォード王都”を後にして、他領へ視察に向かうことにしましょう。――どこであれ、手を打つ機会は眠っているものよ


 ――数日後。


 クラウディアはティルフォード商人ギルド長を通じて、拝謁の依頼を正式に出した。狙いは王ではなく王子。病の可能性がある王を動かすより、表に立ち続ける王子へ直接働きかける方が現実的と踏んだからだ。


 結果は、予想外に早かった。前回のように待たされることもなく、驚くほど短期間で返答が届いたのである。


 ――王子は面会を許す。


 報を受けたクラウディアは、封書を閉じると静かに吐息をもらした。

 「……前回と違い、こちらに何らかの意図があるようね」


 前回同様、指定された日時にクラウディア一行は迎賓館へ向かった。

 案内を受け、広間に足を踏み入れると――そこには王子アレックスの姿があった。前回よりも、その面差しにはわずかに疲労の色が見える。


 クラウディアは裾を摘み、深く一礼した。

 「再びお目にかかる栄を賜り、感謝申し上げます、殿下」


 アレックスは静かに微笑み、軽く手を上げて応じる。

 「出立するとの報せを受けたので、返答は早いほうがよいと判断したまでだよ。――どうか座ってくださるか」


 「ご厚情に感謝いたします」

 クラウディアが席に着くと、王子は静かに言葉を継いだ。

 「さて。ご用向きは、先日の契約の件であろうか。……あれについては、未だ父上が戻られておらず、余の一存では決しかねる。力になれず心苦しい」


 「いいえ、殿下。本日は別の要件にて参上いたしました」

 「ほう……それは興味深い。では、聞かせていただこう」


 クラウディアは姿勢を正し、心を落ち着けて言葉を紡いだ。

 「私は言葉を飾ることを好みません。飾り立てた言葉は、真にお伝えしたいことを曇らせる恐れがございます。そのため、これから申し上げることは無礼に響くやもしれませんが……どうかお許しください」


 アレックスはまっすぐに彼女を見つめ、やがて頷いた。

 「真心からの言葉であるならば、余はとがめぬ。遠慮なく申されよ」


 クラウディアは深く息を吸い、静かに問いを投げかけた。

 「それでは率直にお伺いいたします。――殿下の御父君は、ご病に伏しておられるのではございませんか」


 その一言に、広間の空気が凍りついた。


 「無礼であろう!」

 傍らに控えていた護衛騎士が憤然と声を張り上げ、剣の柄に手をかける。

 「いかなる筋から、そのようなことを聞き及んだ!」


 しかし、アレックスは静かに片手を上げて制した。

 「……控えよ」


 護衛は一歩退き、沈黙が広間を包む。

 アレックスの瞳がクラウディアを射抜いた。その光は威厳を保ちながらも、彼女の覚悟を見極めようとするかのように深く澄んでいた


 アレックスは椅子の背にもたれ、ゆるやかに問いかけた。

 「――で、なぜその結論に至ったのかな?」


 クラウディアは一切のためらいを見せず、落ち着いた声音で答える。

 「王の公務に関する痕跡が見られないこと。医師の動きが他と比べて著しく不規則であること。そして、王にまつわる噂が日ごとに増していることです。……その不自然なまでの情報の氾濫には、誰かの意図が介在している感覚を覚えました」


 彼女は静かに言葉を結ぶ。

 「これらすべての点が指し示すのは――王が病に伏しておられる、という結論にございます」


 広間に、沈黙が落ちた。

 壁画に描かれた青い海さえ、いまは遠く冷ややかに感じられる。


 やがて、アレックスは小さく笑みを漏らした。

 「……すばらしい。正解だよ」


 「殿下!」

 護衛騎士が声を荒げた。驚愕と焦りが入り混じる。


 「いや、よいのだ」

 アレックスは言葉で、護衛を制した。


 そして真っ直ぐにクラウディアを見つめる。

 「実のところ、君たちの動きについては、私の側でも監視をつけさせてもらっていた。……気づいてはいたことだろう?」


 クラウディアの瞳に一瞬の光が走る。しかし彼女はあえて何も答えない。


 アレックスは続けた。

 「だが、君たちは法に触れるような真似は一切しなかった。外から見える現象と、民の間に流れる噂――それらを丁寧に拾い集め、精査しただけだ。まさしく我が国の民が耳にできる範囲の情報と同じ」


 王子は言葉を一拍置き、声を落とす。

 「王宮に無断で侵入しようとでもしていたならば、この場は血の匂いに染まっていたことだろうがね」


 護衛の手が柄から離れ、再び静寂が訪れる。


 「――で、君はその情報と引き換えに契約を結ぶつもりなのかい? 先に言っておくが、それは不可能だ。日に日に噂は大きくなっている。いずれ民にも公にせざる日が来るだろう。それとも……別の目的があるのかい?」


 クラウディアは静かに首を振った。

 「契約のためではございません。私が願うのはただ一つ――王の御様子を教えていただきたいのです」


 王子の瞳が揺れ、やがて低く問う。

 「なぜだ? 我が国最高峰とうたわれる医師たちでさえ匙を投げかけているというのに」


 クラウディアは淀みなく応じた。

 「シュトラール領は医療と農業に力を入れております。特に領内の学院は王都を凌ぐ教育水準を誇り、その医学部を首席で卒業した者が、今ここに控えております。――私の従者、マイルズでございます」


 アレックスは驚いたように彼へ視線を移し、ふっと小さな笑みを浮かべる。

 「……医師には、あまり見えないがね」


 クラウディアは毅然と答えた。

 「事実にございます」


 マイルズは一礼し、落ち着いた面持ちで視線を受け止めた。

続きます

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