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昼を過ぎても、部屋には紙をめくる音とペンの走る音だけが満ちていた。
その静寂を破るように、扉がノックされる。
「失礼します――グラーツェル侯から返事が届きました」
封を開いたクラウディアは目を走らせ、小さく笑みを浮かべる。
「運がいいな。……今日会えるらしい。ギルド長に使者を送れ」
クラウディアは姿見の前に腰を下ろし、身だしなみを整え、長い髪を後ろへ流すと、無機質な黒い紐で一つにまとめた。
飾り気のない仕草でありながら、その姿には凛とした気品が漂う。
白磁のような肌に澄んだ瞳。冷静さを湛えた横顔からは、貴族の令嬢らしい気品の奥に、領主としての威厳が静かに滲んでいた。
やがてクラウディアは立ち上がり、キミトフを伴って侯爵邸へと向かった。
石畳の道を進み、やがてグラーツェル侯爵家の門前に到着する。そこでは既に連絡を受けた商人ギルド長が待っていた。
「では、行こうか」
案内を受け、一行は応接間へと通される。
部屋の奥、椅子に腰掛けていたのは壮年の領主、グラーツェル侯だった。
「久しぶりだな、クラウディア嬢。いや……今はシュトラール公爵と呼ぶべきかな」
クラウディアは微笑み、軽く首を振る。
「お久しぶりね、グラーツェル侯。気を遣わず、今まで通りで構わないわ」
「そうか。――で、なぜ商人ギルド長もここに?」
「私が連れてきたのです。聞きたいことがいくつかあって」
侯は腕を組み、真っ直ぐにクラウディアを見据える。
「そうか。緊急だと聞いているが……どうかしたか?」
クラウディアは視線を鋭くし、問いかけた。
「賊が増えて商人が困っている件については、ご存じですか?」
「知っている」侯は頷いた。
「ギルド長からも陳情が上がってきているのも把握している。申し訳ない」
「いえいえいえ、頭を下げていただくほどでは!」
ギルド長は慌てて手を振った。
グラーツェル侯は深い皺を刻んだ顔を険しくする。
「我が領の要でもある北街道付近で、盗賊や山賊の類が急増しておる。それに伴い兵を派遣してはいるが、追いついていない。加えて、他の街道でも商人や旅人の被害が増加しておるのだ」
侯は小さく息を吐き、悔しげに首を振った。
「私も王都に援軍を頼んだが、“自領は自領で治めよ”と突き放された」
その言葉に、クラウディアの脳裏に自然と王と王子の顔が浮かんだ。
――民の声を顧みず、政を軽んじる無能な王。
――婚約破棄という醜態をさらし、責任から逃げるばかりの王子。
口元の微笑は崩さぬまま、クラウディアは静かにまぶたを伏せた。
「そうだったのですね……」
ギルド長は沈痛な面持ちで呟いた。
じっと話を聞いていたクラウディアは、やがて口を開いた。
「先代からのご縁もあります。――シュトラールとグラーツェルを結ぶ街道であれば、我が軍も共に治安維持に協力いたします」
驚きに目を見開く侯に、クラウディアはさらに告げる。
「加えて、状況が落ち着くまではシュトラール領からグラーツェルへ至る街道を中心に、ある程度の区域を巡回しましょう。
そうすれば、北街道への対応で手薄になっている箇所にも、いくらか手が届くはずです」
「……感謝する。そうしてもらえれば、我々も地域を絞って対応できる。実のところ、王都に断られた後、そなたに助けを求めることも考えた。だが――」
侯は言葉を切り、目を伏せる。
「婚約破棄の件は聞いている。そんな大変な状況になったばかりのクラウディア嬢に、これ以上の負担をかけたくはなかったのだ」
クラウディアはわずかに微笑み、静かに首を振った。
「あれは大したことではないわ。……心配には及びません。私も小さい頃、侯にお世話になった記憶がある。長い付き合いだもの、協力は惜しまないわ」
侯は感慨深げに頷いた。
「大きくなったな、クラウディア嬢」
クラウディアは口元にわずかな笑みを浮かべた。
「食後のデザートに一喜一憂していた、あの頃とは違いますわ。――グラーツェル侯」
どこか懐かしむように目を細め、カップにそっと指を添える。その仕草には、ほんの一瞬だけ往時の穏やかさが滲んでいた。
だがすぐに表情を引き締め、視線を侯へと戻す。
「さて――我らが一時的に治安維持を行うにあたり、その許可をいただけますか?」
「願ってもない。その旨の周知はこちらで行おう」
「では、話はまとまったようですね」
クラウディアが席を立とうとすると、侯が手を上げて呼び止めた。
「クラウディア嬢。今日はうちで夕餉でもどうだ? 妻が、クラウディア嬢が来ると聞いて台所にこもってしまってな」
クラウディアは一瞬目を細め、記憶を辿る。
「……婦人の作るシチューは絶品でしたね。ご厚意に甘えましょう」
グラーツェル編はここでほぼ終わりです。
【ポイント・ブクマ】を入れてくださった皆さま、本当にありがとうございます。
数字が増えるたびに「よし、次も頑張ろう!」とやる気が湧いてきます。
……ただし調子に乗って長編化しすぎないように気をつけます




