8 彼の計画 2
エリックの隣にはゴーグルのようなもので目を完全に隠したスノウの姿がある。
そういえば近々スノウが退院するらしいという話は聞いていた。しかしなぜ警務隊に捕まっているはずのエリックまでいるんだ? 幻覚か?
彼は優雅に微笑み、一歩一歩こちらに近付いてくる。
「な、何しに来たの?」
「君を迎えに来たんだ。僕たちと一緒に行こう」
声をかけてみると確かに返事が返ってきた。やっぱり幻覚じゃない。これはまずい。
公園には他にも何人か人がいるけれど、おそらく一見上品で物腰の柔らかそうなこの男が犯罪者だと気付いているのはハロルドだけだ。
エリックが微笑んだままハロルドを立たせようと手を差し出してくるが、ハロルドはそれをパシリと弾いた。エリックが意外そうな顔をする。
「どうしたんだい? 僕の可愛いハロルドは迎えが遅かったことに拗ねているのかな?」
「そういうのやめてください。あなたの迎えなんて待っていません。あなたには会いたくありませんでした。二度と僕の前に現れないでください。あなたのことは忘れますから、あなたも僕のことなんて忘れてください」
「ハロルド、どうして泣くんだ」
拒絶の言葉を吐き出しながらも、なぜだか涙が出てきて胸が痛かった。
この人は自分を利用しようとした。だからどうしても許せなかった。この人と一緒に行くつもりはない。
「僕の精子を使ってスノウに子供を作らせるつもりだったんですよね?」
あの論文にはっきりそう書いてあった。
あの日、エリックとは行為を通して気持ちが通じ合った気がしていた。けれど彼は事あるごとに始終ガラス管を取り出していて、ハロルドの子種を採取しようとしていた。ハロルドはあの行為でエリックに恋をしてしまったけれど、彼にとってはそうではない。あくまでも組み込まれた実験を成立させるために必要な行動の一つにすぎない。
「そうだよ。駄目だった?」
隠すつもりもなかったのか、あまりにもさらっと言われてしまい、ハロルドは返す言葉を見失う。
「稀人同士が子を成し、その結果を見届けることはこの世界に絶対に必要なことなんだ。
稀人は珍しい。ハロルドはやっと見つけた僕の宝物なんだ。スノウはまだ若すぎるけれど、身体が育つまで種を冷凍保存すれば問題はない。出産に関してはスノウからの承諾は得ている。体外受精をすれば――――エッチしなくても子供が授かれる魔法みたいな方法なんだけどね――――男側にはそれほど問題も起こらないと思っていた。ハロルドが苦しんで女を抱く必要もないし、元々君自身に辛い思いをさせるつもりはなかったんだ。本当にごめん。
……でもそうだよね、勝手に自分の子供を作られたら怖いし、嫌だよね…… ごめんね……
だけど、稀人同士の子供ができたらどうなるのかを見届けるのは僕の夢なんだ。僕はこの証明に命をかけている。
協力してもらえるなら何でもするよ。精子を渡す代わりに死ねと言うなら死んでみせるよ。ただし結果を見届けた後になるけどね。
出来た子はどんな子であっても僕が全力で育てて可愛がるし、あとは例えば一生女を抱かずにハロルドだけを愛し続けろと言うならそうするよ。ハロルドの協力が不可欠なんだ。どうか力を貸してもらえないだろうか?」
エリックが頭を下げた。静かに、しかしどこか熱が入ったような様子で語っていたエリックに、ハロルドがぽつりと告げる。
「……リックは、僕がスノウと子供を作っても平気なの?」
子を成すのは愛の行為だ。それを他の人としてしまってもいいのか?
「子供を作るのは愛している人同士がすることでしょう? リックは僕がスノウと子供を作ってしまっても何とも思わないの? それでいいの?」
「もちろん僕は研究のことを抜きにしても君のことをとても愛しているよ。そしてスノウのことだって愛している。僕は愛している二人が子を成してくれるなら、とても幸せだ。僕たちはもう家族なんだ」
違う、聞きたいのはそういうことじゃない。
やっぱりエリックが言う「愛してる」と自分が言う「愛してる」は違う種類のもののようだ。
「君の気持ちを蔑ろにしてしまう部分はあるかもしれないけれど、それは尊い犠牲だと思っている」
たぶんこの人の価値観と、自分の価値観は合わない。
「ごめんなさい。僕は実験材料にされるのは御免です」
「どうしても嫌なの? 僕と一緒に来てくれないの?」
ハロルドが迫るエリックと距離を取ろうとした時だった。
「ハル!」
遠くからケントが名を呼んでいる声がした。ハロルドがそちらを振り向いたのとエリックが強い力で手首を掴んだのが同時だった。
「信じてもらえないかもしれないけど信じてほしい。僕は本当に、君のことを好きになってしまったんだよ。僕のものにしたい」
エリックは脱獄したばかりで初回のように意識を失うような薬は持っていないのだろう。ハロルドの腕を力任せに引っ張って連れて行こうとする。
断ったはずなのに、強く求めるようなことを言われると胸がドキドキしてしまう。このまま攫われて流されてしまってもいいかも…… と一瞬思ってしまったハロルドだったが――――
「ハル!」
今度はヒルダが呼んでいる声が聞こえた。ハロルドは――――エリックの腕に思いっきり噛み付いてから突き飛ばした。
尻餅を付いたエリックは本当に驚いたような顔をしていた。腕をさすりながら、ハロルド、どうして…… と呟いている。
「行かないよ。さよならリック」
呆然と座り込むエリックと見下ろすハロルドの元にケントやヒルダや護衛たちが近付いてくる。
エリックは魂が抜けたようになってしまっていたが、近くにいたスノウが彼の腕を掴んで立たせる。スノウは無言のままエリックを連れて逃げて行った。