74 同期と上官 3
ゼウス視点→ユリシーズ視点
「万一にでも遅れるようなことがあってはならない。二人ともすぐに荷造りして今日は早めに寝なさい」
シュバルツが慌てたように明日の準備を促してくるが、それを足止めしていたのはどこの誰だろうという思いがないわけではなかった。
接客を終えたアイシャとライシャがやって来て、ハロルドが近くのカウンターに置いていた木箱は何かと指摘する。中身は日焼け止めで、これを全部赴任に先持っていくつもりだとハロルドが話すと、シュトラウス家の全員がそれを止めに入ってきた。
ハロルド自身も本当は買いすぎたと思っていたらしく、自分の分を数本確保した後に残りを姉たちやゼウスやユリシーズにまで分けて、それでも余った分は実家に保管をお願いして、赴任先で足りなくなった場合に後から運送業者に頼んで届けてもらうことになった。
家族と話して情緒が安定したのか、ハロルドの涙は完全に引っ込んでいる。もう大丈夫だろうと思ったゼウスは、自分も荷造りのために時計店を辞することにしたのだが――――
「ゼウス、彼女に出発時間が変わったことを伝えに行くのなら、俺が代わりに行こうか? 君も忙しいだろう?」
ユリシーズはゼウスの考えを読んでいたようだ。有能だ。
「いいんですか?」
「ああ、まだ全員に連絡を終えたわけではないし、回るついでだ。確か彼女の勤務先は南大通りのウィンストン古書店でよかったよな?」
「はい、そうです。すみません、よろしくお願いします」
ゼウスは信頼する上官にメリッサへの連絡を任せ、自分は早々に自宅へ帰ることにした――――
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ユリシーズはゼウスを見送った後、一人で件の古書店へと向かっていた。
無論、ゼウスの恋人に出発時刻の変更を告げるためではなかった。
個人的にもう一度確かめておきたいことができてしまったからだった。
ゼウスたちが一番隊長執務室で転勤を命ぜられて部屋から下がった後、入れ替わるようにユリシーズはジョージからの呼び出しを受けていた。
「ユーリを呼んでくれ」
ユリシーズはジョージの子飼いである。ジョージが名指しでユリシーズだけを呼ぶ時は、何某かの特別任務を命じられる場合が多い。二人のやりとりを邪魔しないように、副隊長や専属副官といったジョージの側近たちは執務室から退出してしまい、完全に二人きりの状態で密命を受ける。
最も、ジョージがただ単にユリシーズと二人でお茶を飲んだりチェスをしながらまったりしたかった、というだけの理由で呼び出される場合もあり、そんな時はジョージが手ずから入れてくれたお茶を二人きりで飲んだ。
ユリシーズは、彼の翁と過ごすお茶の時間がとても好きだった。
今回ユリシーズが受けた任務は簡単なものだった。
明日の朝支隊へ赴く者たちに、列車の出発時刻が七時から五時に変更になったことを伝えることだった。
ジョージはわざわざラドセンド伯爵家の財力に物を言わせて貸切列車を手配していた。
そして――おそらくこれが肝だとは思うが――ゼウス・エヴァンズ主事補の恋人、メリッサ・ヘインズには時間の変更を絶対に知られないようにすること――――おそらく見送りに来ようとするだろうが、彼女には訂正前の間違った時間を認識させておき、二人をすれ違うように誘導してほしい、とのことだった。
おまけに、「明日の列車に乗せるまで二人には絶対に男女の営みをさせるな」とまで言われた。
「……理由を伺っても?」
一番隊という特殊性から、男女問題に絡んだ任務を引き受けることはよくあった。慣れていると言ってもいい。
けれどいつもは任務の理由を聞かずとも何となく背景がわかるものが多かったし、問題を抱えるのはだいたい下半身がだらしなかったりちゃらんぽらんな銃騎士が多く、ゼウスは最近やっと恋人ができたばかりでそのような人物ではない。
正直、なぜそんな任務を出すのかわからなくて思わず尋ねてしまった。
「すまない、理由はどうしても言えない。だが、いずれわかることだ」
ユリシーズはそれ以上深追いすることはしなかった。彼はジョージを信頼していた。ジョージはゼウスの不利益になることはしないはずだ。
もしかすると、ゼウスの恋人には何か問題があるのかもしれない――――