69 遠距離 2
一部セクハラ発言がありますので注意
ゼウス視点→ジョージ視点
「ねえ、ゼウス…… 良かったの?」
声をかけてきたのは、ゼウスを挟んでアランとは反対を歩いていたハロルド・シュトラウス――――通称ハルだ。
ハロルドはゼウスの同期なのだが年は一つ下だ。父親が昔銃騎士隊員だったそうが、怪我で退役し今は都内で時計職人をしている。
姉が上に六人いて、父親の希望によりやっと生まれた末の男の子だ。父親の熱望で養成学校の入校試験が受けられる年になって即受験し、一発合格した才子だ。
入校試験は十一歳から受験資格はあるが、年が若い場合は能力が合格基準に達していないことも多く、落とされることも多い。十一歳での合格率は低いのだが、アランも含めてそこを突破できる者たちは、のちのち銃騎士隊でも上の方まで行く者が多い。
ハロルドは訓練をする時などは胸のあたりまである髪の毛を後ろで一つにまとめているが、今は真っ直ぐな薄茶色の髪をそのまま下ろしていた。
ハロルドはかなり小柄なのと中性的で綺麗な顔立ちをしているために、銃騎士養成学校に入校してすぐの頃は女男と言われて嫌厭されて、はぶられている姿を良く見かけた。
一人きりで暗い顔をしているハロルドにゼウスが声をかけているうちに、最初は手負いの野生動物のように警戒心全開だったハロルドもゼウスに懐くようになり、以降ずっと友人関係が続いている。
ハロルドの見た目はしおらしい印象が強く、姉六人の影響なのか実際に女子力も高いのだが、これで模擬戦をすると結構強い。ゼウスはハロルドとの対決では負け越している。
「結婚のこと、ジョージ隊長に言ったほうが良かったんじゃないの? まだ報告してないんでしょう?」
「え?! ゼウスお前結婚すんの?」
ハロルドの言葉を聞いたアランが驚いたように声を荒げて話題に飛びついてくる。
三人は他の隊員とは別れ、共用で使っているロッカー室に入ったばかりだった。
「はい。つい最近、彼女とそういう話になったばかりなんです」
アランとは同じ年だが先輩だし、養成学校時代のクセが抜けないのもあって、ゼウスはアランには敬語で話している。
「えー、何だよそれー、何でハルが知ってて俺が知らないんだよー、水くさすぎるよゼウスー」
アランは唇を尖らせてぶーぶー文句を言い始めた。
「隊の中で結婚のことを話してあるのはハルだけですよ。俺だってアラン先輩があの彼女さんと別れたって知りませんでしたよ」
この先輩は悪い先輩ではないのだが、メリッサと付き合うようになってから時としてウザい絡み方をしてくることがあって、「彼女と結婚します」なんて言ったら余計に絡み方が酷くなる気がして、黙っていた。
少し気の弱い所があるハロルドは、メリッサを紹介すると言ってもなぜだか恐縮してしまうようで、「また今度」と言われるばかりで二人を会わせたことはないのだが、メリッサとアランは会っている。
メリッサとデートで訪れたレストランで、たまたま同じ店でアランも恋人を連れて食事をしに来ていた。
先に気付いたのはアランだった。ゼウスたちがテーブルに着いていると、後から入ってきたアランたちがそばを通り過ぎる時に声をかけられた。その時はお互いに自己紹介と簡単な会話を交わした程度で、その日は特に何事もなく終わった。
問題は翌日だった。翌朝の訓練前の朝礼の際、ゼウスの隣にすーっと近付いてきたアランは、上官たちにわからないくらいの小声でゼウスに囁いてきた。
「お前の彼女、胸でかくてうらやましいな。俺の彼女なんて小さすぎて揉み心地がいまいちでさぁ。いいよなあ、あのおっぱい…… どうせ昨日も揉みまくってたんだろ? どんな感じなんだ? あのデカおっぱいは」
人の彼女の胸を指しておっぱい連呼しないでほしいと思った。しかも表情は真顔のままなので上官はアランによる嫌がらせに気付きもしない。
ゼウスはかなり苛ついたので足を踏みつけてやろうかと思ったが、一応先輩なので耐えた。以降アランはゼウスがキレないように計算された範囲においてのみ、メリッサの胸に関する発言を時々展開していた。
「別れたなんて暗い話をわざわざ広める必要はない。けど祝い事は別だろ」
そう言いながらアランはロッカーを開けた。アランのロッカー内は結構ごちゃごちゃしているが、開けた扉の内側には元彼女の写真がまだ貼ってあった。
「おーい、袋もらってきたから使う奴いるか? 支隊からいつ引き上げるのかはわからないし、そのまま向こうに居着く可能性もあるから、ロッカー内は綺麗に片付けとけだってさ。
シトロン、寮の部屋はそのまま残しておいて良いらしいから、置いていく荷物とかもそのままでいいって。長期休暇とかで戻った時に片付けろだとさ」
「はーい、わかりました」
三人の中で唯一独身寮暮らしであるアランが返事をする。持ち帰り用の紙袋とゴミ袋を受け取った三人は、ロッカー内の片付けを開始する。
「……今だったらまだ撤回できると思う。赴任するのはほとんど独り身ばっかりなのに、結婚を控えているゼウスが飛ばされるなんておかしいよ。ちゃんと隊長に理由を話して留まりたいって言えば、きっと命令を取り下げてくれると思うよ」
片付けをしながらハロルドが口を開く。
「そうかもしれないけど、でも……」
銃騎士になると決めた時に誰もが一度は覚悟したことだとは思うが、ゼウスが赴任をやめれば、その代わりに別の隊員が死ぬ可能性がゼロではない地に行かねばならなくなる。選ばれた隊員たち全員が一言もそのことには触れなかったが、首都で一番隊の活動をするよりも致死率は格段に上がる。
元々、今年の異動が無くなった時に落胆しすぎて隊長に詰め寄ったくらいには、ゼウスは一番隊から動いて別の地で獣人と戦いたいと強く願っていた。少し前の自分ならば今回の決定に諸手を上げて喜んでいることだろう。
でも今の自分には、メリッサがいる。
「彼女のことはどうするの?」
黙ってしまったゼウスの心を読んだかのように、ハロルドが問題点を突いてくる。
「事情を説明して待ってもらうよ。彼女だったらきちんと話をすればわかってくれると思う。まだ話が出たばかりで式場の予約もしていないし、差し迫った日程があるわけでもないから……」
「おいおい、『彼女だったらわかってくれるだろう』なんて、そんな希望的観測で大丈夫か? 女にとって結婚は人生における一大事だ。一方的に結婚延期を決められたら怒りが沸くかもしれないし、そこで関係終了ってことも充分あるぞ。誠心誠意よく話し合って結論は二人で出せ」
言いながら、アランは自分のロッカー内にある不要と思われるものを次から次へとゴミ袋へ投げ込んていく。
「俺は彼女に結婚はどうするんだって言われて、何気ない感じて聞かれたもんだから俺もそんな重要な話だなんて全然思わなくて、『まだ責任も負いたくないし、このままのだらっとした関係でしばらくいたいなー』なんて言った途端に往復ビンタされて激怒されてそのまま終わったよ。まあ、別れるか結婚するかの二択しか思えなくなるような状況に追い込んだのは俺なんだろうけどさ」
アランのロッカーの中は持ち帰るものと捨てるものに二分され、それぞれの袋に入れられて空っぽになった。最後に扉に貼られていた元恋人の写真に手を伸ばしたが、アランの指先は写真に触れないまま寸前で止まり、逡巡するようにしばらく静止していた。
結局アランは写真だけを扉の裏側に残したまま、ロッカーの扉を閉じた。
「ゼウス、一生彼女と一緒にいる覚悟があるんだったら、自分の仕事について来てくれって言ってもいいんじゃないか?」
「でも、彼女も仕事をしているので……」
「そっかー。仕事好きな相手だとそれを辞めてまで一緒に来てくれとは言いにくいよな。まあ、二人でよく話せとしか俺は言えないけど、自分と結婚するなら南の島で挙式できるかもとか、利点は言っておいた方がいいぞ。くれぐれも逃げられないようにな」
本部建物から外に出たゼウスは、寮に戻るアランと別れて、ハロルドと共に敷地外へ続く門に向かって歩き出した。
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ジョージは、一番隊長執務室の窓から、連れ立って歩くゼウスとハロルドの姿を眺めていた。
ジョージはこちらに背を向けているゼウスを申し訳なさそうに見つめている。
「……すまない、ゼウス君」