7 彼の計画 1
空が青い。
芝生の上に寝転んだ状態で四肢を投げ出し、ハロルドはただぼーっとしていた。
ハロルドは退院していたが、自身の正体を知って以降は抜け殻のようになってしまい、自宅に戻ってからは籠もりきりで外に出ることはほとんどなく、ずっと塞ぎ込んでいた。
家族は性被害に遭ってしまったことがよほどショックだったのだろうと思っていたようだが、ケントはそれだけではなく自分が稀人のことを話したせいもあると責任を感じていたようで、ハロルドの状態が回復するまでしばらく公爵家で預からせてもらえないかと両親に申し出ていた。
公爵家で暮らせば外に出る時には必ず護衛をつけるようにするので、変質者に襲われる危険は減るし、敷地内に広い庭園もあるのでいつでも気分転換の散策ができると、ケントはハロルドの両親に熱心に説いていた。
最初は渋っていた両親も、変わらない息子の様子に少し環境を変えてみるのもいいだろうとその案を了承した。
そして、なぜかエマも一緒に公爵家で暮らし始めることになった。
平民であるエマは貴族になるためのマナーも含めた花嫁修行の期間を設ける予定だったのだが、ハロルドのためには誰か身内がそばにいた方がいいと、ケントは両家の親に交渉してエマが公爵邸に来る予定を早めさせた。
聞いた話によると、ケントは高等科卒業後は上級学校に進む予定だったが、ハロルドの誘拐事件を受けて大切な人を守れる人間になりたいと、卒業後は近衛隊に入隊することを希望しているらしい。
平民と貴族は結婚できないので、花嫁修行が一通り終わった後に頃合いを見て、エマは公爵家と縁のある貴族家に養子に入り、同時にケントと婚姻する予定だそうだ。
エマは本日も家庭教師がついていて忙しくしている。生活はかなり変わった。公爵夫妻はとても優しいけれど、エマはいるがいつも一緒にいた家族とは違う人たちと食事を共にすることが未だに慣れなかった。
公爵家に移って最初の頃は、エマの予定の合間に一緒にお茶を飲んだり庭園を散歩したり、一人で本を読むなどしていた。そのうちに暇を持て余すようになり、次第に学校へ通うことを再開した。公爵邸の外へ出る時は常に護衛がつくので、学校の中までは入ってこなかったが、行き帰りには必ず護衛がついた。
ケントはハロルドとエマが稀人であることを誰にも言っていないようだった。ケントは元々運動神経は良かったらしいが、護衛から武術の指南を受けたり身体を鍛えたりしていて、近衛隊員になる道を進もうとしている。ケントは二人を自分の近い場所に置いて本気で守るつもりのようだ。
ケントの妻になるエマはそれでもいいのかもしれないけど、自分までこのままずっとケントの庇護下にいていいのだろうかという思いが頭をよぎる。
そんなことを考えていたとある日の下校時、ハロルドは正門で待っている護衛から逃げて、一人で裏口から校外へと出てしまった。
ケントが万一のことを心配して護衛をつけてくれるのはわかっていた。けれど、正門のあたりで待っている護衛を見た同級生に、お貴族様かよ、と悪口を言われてしまったことが引き金になって、つい他の生徒とは逆方向に向かって走り出してしまった。
ハロルドがいないと護衛たちが心配するだろうから、戻らなきゃいけないと思いながらも、ハロルドは学校近くの緑地公園に辿り着いていた。
芝生の上に寝転んで四肢を投げ出す。ハロルドは頭を空っぽにしたかった。何も考えずにただ風に吹かれて緑の匂いを感じていたかった。けれど何も考えないようにしようとしても、頭に浮かぶのは稀人のことやエリックのことばかりだ。
『博士はハルが希少な稀人だと判断した。だから狙われた』
ケントと稀人について話したあの日のことが蘇る。ケントは、エリックが論文の中で稀人と獣人のとある関係を指摘していて、その仮説を証明するためにハロルドを誘拐したのだと言っていた。
ハロルドはまさかと思ったけれど、実際にエリックが論文の中でそう書いている部分を目の当たりにしてしまっている。
エリックはハロルドとスノウの身体を利用しようとしていた。論文のその箇所を見た時に、ハロルドはエリックが自分の精液が必要だと言っていた意味を理解した。
そして、裏切られたように感じ、憤りを感じた。
あの日、ハロルドはわけもわからぬまま強烈な快感を与えられ、肉体の喜びと比例するように彼への好意を強く感じるようになった。エリックを一人の男性として好きになってしまったのではないかと思っていた。
けれど彼の計画を知り、あの日の行為が本当に正しいことだったのかと考える度に、自分は騙されたのでないかという思いが浮かぶ。
頭を冷やして考えれば考えるほど、まだ子供の自分を連れ去って裸に剥いた彼の行動は、常軌を逸したものだとしか思えなくなっていた。
冷静になると共に、彼への好意がしぼむ。
残されたのは、確かに自分が同性愛者であるという感覚と、これから先、他の人たちよりも生き辛い人生が待ち受けているのだろうな、という予想くらいだ。
稀人であることも、男が好きなことも、誰にも言えない。
「ハロルド」
あの人が自分を呼んでいる声がした。悩みすぎていよいよ幻聴でも聞こえてきたのかと、ハロルドは一つ息を吐き出して閉じていた目を開けた。
上体を起こしたハロルドは驚きすぎて目が点になっていた。
少し離れた場所に金色の髪を靡かせたエリック・ホワイトが立っていた。