40 家を出る
R15注意
目の前で兄の婚約者を寝取るというハインツの狂った行動を知った父は怒り、「廃嫡だ!」と騒いでハインツの貴族籍を剥奪し、次期伯爵をフランツに変更しようとした。
父はフランツの心情を慮り、こちらを心配するような言葉をかけてくることもあったが、伯爵がフランツの味方をしたのは、最初だけだった。
まず、ハインツの廃嫡とフランツの爵位継承について、正妻が猛反対した。
クラッセン伯爵家は正妻の実家から援助などを受けていたが、ハインツを廃嫡するなら離婚すると正妻が言い出し、そうなると当然正妻の実家からの支援は打ち切られる。
父と正妻は、隠し子の存在がわかった時に「クラッセン家の後継ぎはハインツで、隠し子には絶対に爵位を継承させない」という約束を交わしていたそうだ。
「その約束を破るなんて絶対に許さないし、離婚する!」と、正妻は鬼の形相だった。
フランツと母の存在が正妻に知られて以降、父と正妻の仲はあまり良くなくて、二人の子供はハインツしかいない。
夫婦仲は冷えていても離婚はしたくなかった伯爵は、フランツを後継者に指名変更することができず、ハインツを廃嫡することもできなかった。
ハインツを廃嫡にしてしまえば、親戚筋から別の者を後継者にする事態も考えられて、自身の実子に後を継がせたかった伯爵は、ハインツの廃嫡を断念し、これまで通りに変わらずハインツを後継者に置いたままにすることにした。
それから、オゼットの実家リドリー侯爵家からの圧を受けたことも大きい。
侯爵家は娘のオゼットが、家を継げないフランツの嫁になるよりも、次期伯爵のハインツと結婚して伯爵夫人になる方が良いと考え、事件の後に婚約者の変更を求めてきた。
家格が上の侯爵家からの要求に父は抗えなかった。
フランツはオゼットの不貞を理由に婚約破棄するつもりだったが、蓋を開けてみれば、オゼットの不貞はあったが誘ったのは伯爵家のハインツだからと、互いの家に過失があったとされて慰謝料もなく、フランツはオゼットと婚約解消になり、オゼットはハインツと婚約を結び直す流れになった。
オゼットは事件からハインツのヤバさに気付いていて、あんな奴と結婚するのは嫌だと言い、何とか元の通りにフランツと結婚したいと両親に訴えていたが、そのわがままは通りそうになかった。
その後オゼットの妊娠がわかって、何を考えたのか、オゼットは「お腹の子はフラン様の子」だと言い出したが、しかし、フランツがオゼットとは清いままで一度も身体の関係がないと告白したことで、彼女の浅はかな策は成功しなかった。
オゼットには「やり直したい」と言われたが、フランツが「もうオゼットのことは全く好きじゃないし無理だ」とハッキリ告げると、彼女は泣き崩れていた。
泣いていたのはこの騒動を計画して引き起こした本人であるハインツもそうだった。
ハインツの中では、「オゼットの不貞を暴いたことで兄フランツに大感謝された上で自分の愛に気付いた兄に熱烈な愛の告白をされて兄と劇的に恋人になる」という筋書きだったらしいのだが、この弟の頭の中が一体どうなっているのか、フランツはさっぱりわからない。
ハインツは「なんで僕からお兄様を奪ったブリブリ女と結婚しなきゃいけないんだよぉーっ!」とずっと泣いていた。
ハインツは「僕はお兄様と一生添い遂げる」という訳のわからない理由で、もたらされる婚約話を蹴り飛ばしまくっていた。跡取りの婚約が全くまとまらないのは、クラッセン伯爵夫妻の頭が痛い問題だった。
ハインツは、「僕はお兄様じゃないと✕たないんだっ!」ととんでもないことも言っていたらしく、キレた正妻が閨教育をハインツに受けさせようとしたが、本当に✕たなくて、「ハインツ様は何か病気かもしれません」と何人もの閨教育係に言われていたらしい。
「それはきっと、お兄様への恋の病さっ」と、ハインツが空気も読まずに言い放った時には、正妻が思わずハインツの首を絞めたとか絞めなかったとか。
なので、今回ハインツは頭を抱えたくなるような騒動は引き起こしたものの、性的に不能なんじゃないかと疑われていた所に、兄の婚約者だろうと出来て妊娠までさせたので、正妻にとっては目の敵にしていた妾の子フランツを落胆させることもできて、「息子よ! よくやった!」とむしろ大喜びらしい。
婚約者の変更に難色を示していた父とは違い、正妻は侯爵家の提案に即頷いて賛同していたそうだ。
なぜ他の女性では駄目だったのにオゼットには✕✕できたかという問いには、「お兄様とキスした相手だし、お兄様と✕✕✕になれると思ったら自然と✕った」と言っていたらしい。
フランツは使用人たちの噂話でそう聞いてしまった時には、落ち込んで耳を塞ぎたくなった。
フランツは、父に促されたハインツから一応謝罪は受けたが、その時に「もう弟だとは思ってないから」とつい言ってしまった。
フランツは以前のように弟として大切には思えないという意味で言ったのだか、「それって僕のことを恋愛対象に思えるようになったってことですかーっ!?」と、目を輝かせて言われてしまい、『もうこいつと話すことは何もない』と感じたフランツは、以降ハインツからのどんな接触も拒否している。
子供同士は暗い顔をしていて、父も不本意そうではあったが、少なくとも正妻と侯爵夫妻は、自分たちに利益のある事態の収拾に概ね満足そうだった。
醜聞になるからと、ハインツが兄フランツの目の前でオゼットを寝取ったことは世間には伏せられて、今回のことは表向きはただの相性による婚約者の変更だとされた。
けれど、何かあったのではと勘繰る者も多くいて、「もしかしたら侯爵令嬢の婚約者が兄から弟に交代するのは、兄に何か問題があったからでは?」という、真実とは全く違う噂も流れた。噂のせいで護衛の仕事中に貴族たちから嘲られることもあった。
フランツは同じ一番隊で貴族の内情に詳しい先輩に頼んで探ってもらい、「噂を流しているのはリドリー侯爵家で間違いない」という真相を突き止めた。
その頃にはもう、フランツは全てに辟易してしまっていた。
フランツは手荷物を一つ持つと、家具以外は何もなくなってスッキリとした自室を見回した。
残った衣類などをハインツに再利用されるのは嫌なので、この部屋の私物は本当にもう何もない。必要なものは新天地へと送ったし、残った物はすべて処分した。
手荷物一つと己の身一つで、本日フランツはクラッセン伯爵家から出て行く。
父である伯爵の許可はもらっていない。「寝取られ事件」が起こってから、フランツはハインツとは一緒に暮らしたくなくて、何度か銃騎士隊の独身寮に移ろうとしたが、その度に伯爵が「フランと離れて暮らすのは嫌だ」と言って、全く譲らなかった。
そうは言ってもフランツの心はもう限界で、この先もずっと伯爵家で暮らすなど御免だったので、勝手に出て行くことにした。もし、当主の命令が聞けないのなら勘当すると言うなら、そうすればいいと思った。
部屋から出たフランツは、廊下に控えていた侍従長に、家を出る旨を簡潔に記した父宛ての手紙を託した。
「本当に、会わずに行かれるのですか?」
「引き止められたら何かと面倒だからな。そろそろ迎えも来る時間だし」
伯爵家の中で家を出ることを知っているのは、この侍従長と、あとは彼の後ろにいる数人の使用人たちだけだ。
荷物は少しずつ運び出して整理していたが、部屋の物が減っていくことで家出計画に気付かれたらまずいので、事情を察してくれた侍従長が数人の使用人たちと共に、さりげなく隠して協力してくれた。
「すまない。あの父のことだから俺に協力していたことを咎められて、下手したら解雇になるかもしれない」
「構いませんよ。フランツ様に仕えられて、私どもは幸せでした。本当はあなた様に次期当主になって頂きたかったです」
侍従長にはこっそりと何度も言われていたことを最後にまた言われて、フランツは苦笑しながら首を横に振った。
「いや、俺は貴族に向いてないから。
もし困ったことになったら一番隊長を頼ってみてくれ。力になってほしいとジョージ隊長には頼んであるから」
「お心遣い、感謝致します」
頭を下げる侍従長と数人の使用人たちに別れを告げたフランツは、父たちに勘付かれる前に伯爵家から出るべく、一人で家の裏門へと向かった。




