3 過ち
R15注意 BLです
「ごめんね、どうしても君の子種がほしい。今日すぐには無理かもしれないけど、少しでも早く――――」
「ハロルド、キスしようね」
呼び捨てにされて驚く。いつもは「ハル」か名字呼びばかりなので、それが新鮮だった。
男の端正な顔が近付いてきた。熱を持ったような蒼い瞳に釘付けになってしまって動けない。
男の大きな唇に自分の唇を覆われる。キスをするのは初めてだった。酷い事をされているのに、熱を含んだその唇を温かいと思ってしまった。
ハロルドが息苦しくなると唇はつけたまま少しだけ隙間を作り、呼吸しやすいようにしてくれる。
「ハロルド、鼻で息をするんだよ」
囁くようにそう言ってからまた唇をつけて、優しいキスをする。ハロルドはずっと目を閉じていたが、思っていたよりも男が優しいので不思議な感じがして、そっと目を開けてみた。
嬉しそうに目元を緩めた蒼い瞳がそこにあった。名も知らぬ変質者に初めての口付けを奪われていて、こんな状況は拒まなければいけないのに、なぜだが胸がきゅんきゅんした。
「…………可愛いね。本当はスノウとの結婚を断られたら、精液だけ貰って解放するつもりだったんだけど、手放したくなくなってきた」
(それってどういうこと?)
「おじさんでもいいけど、できれば名前がいいな。リックって呼んで。呼べる?」
「でも子種が出ないと僕の研究が完成しない……」
リックは若干難しい顔になって独り言ちた。
スノウはハロルドを抑える役目から外れ、服を着て部屋の中の椅子に座り、無表情のまま二人の様子を見ていた。
ハロルドには逃げる素振りが全く見られなくなってしまい、スノウの力は必要なくなった。
リックはハロルドを抱き起こす。逞しい胸に抱かれたハロルドは幸福を感じてしまっていた。リックとの行為や彼への好意に似た気持ちを通して、確かに自分は女ではなくて男が好きらしいということを、ハロルドは自分の中に発見していた。
ハロルドはもうずっと頭がぼーっとしていた。
リックがハロルドの薄茶色に染めた髪を撫でている。
「ハロルド、今日はもう疲れたね。よく頑張りました。また明日――――」
「………………うん」
思考が麻痺していて、家で心配しているはずの家族がいることなんて忘れてしまった。
「男が好きなことは悪いことじゃないよ。男が男を好きになるのは自然界でもたまにあることだ。自分はどこかおかしいんじゃないかとか悩む必要もないよ。ハロルドには僕がいるし、スノウもいる。君たちは僕がやっと見つけた宝物なんだ。これからはずっと一緒だよ。僕たちはもう家族だ」
「…………………………うん……」
本来ならば社会的には異常と判断されてもおかしくない自分の性癖を認めてもらえたことが嬉しくて、ハロルドはあまり深く考えずに頷いた。でも…………
(家族…… 家族…… 僕の本当の家族は……)
「ハロルドはすごく可愛いね。稀人を探す旅の途中でこんな天使に出会えるなんて思わなかった。どうか僕のお嫁さんになってほしい。お婿さんでもいいけど」
稀人ってなんだろう、とその言葉が引っかかってしまって反応が遅れた。
「好きだよハロルド。僕と恋人になって」
ハロルドの唇にリックのそれが降ってくる。彼の口付けは情熱的で、愛されているのかなとハロルドの胸に喜びが浮かぶ。
「ハロルド……」
リックの唇が離れて答えを求められる。
ハロルドは、うん、と言ってしまいそうになって――――
その時に、遠くでダンダン! と強く扉を叩くような音が聞こえてきた。
「ハル! ここにいるのか? ハル!」
声の主は、一悶着あったが最近ようやく三姉エマとの婚約が整ったばかりの、ケント・フォレスター公爵令息だ。
きっと、いなくなった自分を探しに来たのだ。
「ハル!」
ケントの声が響き渡る。しかし今自分は素っ裸で今日出会ったばかりの誘拐犯と一緒に寝台の上にいるというとんでもない状況だ。とても返事なんてできなくて、ハロルドは瞳に怯えの色を宿して縮こまる。
リックはそんなハロルドの様子を伺うように顔を近付けて、自分の唇の前に人差し指を立てた。静かにしていて、ということのようだ。
ハロルドは言われた通りにリックの胸の中で息を潜めた。
突然、ガシャァァァン! と硝子が砕けるようなけたたましい音が響いた。音がしたのはすぐ近く、見ればカーテンの向こうの窓硝子が割られたらしく、靴で硝子の破片を踏みながら部屋へ侵入する人物の脚が見えた。
「ハル! 無事か!」
カーテンを開けて現れたのは、真っ直ぐな黒髪を肩のあたりで切り揃えた四姉ヒルダだ。
「ヒルダお姉ちゃん……」
ハロルドたちの様子を見たヒルダの表情は驚きに包まれていた。
寝台の上に全裸の男がいて、しかも素っ裸で泣き腫らした目をしている幼い弟の身体に触れている。
驚愕からの激高。ヒルダの表情変化はわかりやすかった。
「貴様ぁぁぁ!」
ヒルダは腰に差した剣を抜刀して斬りかかってくる。巻き込まれないようにリックがハロルドを突き飛ばした。ハロルドは急な展開に言葉も出なかった。
「おとうさん!」
少女の叫び声が聞こえ、次いで赤い鮮血が舞ってパシャリとハロルドの顔にかかった。
目の前ではリックを庇うようにスノウが彼に抱きついていて、彼女の背中の衣服が裂けて血が滲んでいた。
斬られたのはリックではなくて、スノウだった。
スノウは斬られる直前にリックを父と呼んでいたが、それ以降は一言も言葉を発さず、斬られた瞬間ですら呻き声一つ上げなかった。
「スノウ! スノウ!」
リックが必死な様子で彼女の名前を叫んでいる。スノウは苦痛の表情一つ浮かべることもなくリックを見上げていたが、やがてその瞼が閉じてしまう。
リックは手近にあった自分の衣服を掴み、スノウの服の上から圧迫して血を止めようとしていたが、リックの衣服にまで血が染み込み始めていて止まらない。
カタン、と乾いた音が室内に響く。ヒルダが血濡れた剣を取り落していた。ヒルダは呆然とした様子で、血を流し意識を失った少女とリックを見ていた。
「何てことだ! 早く医者を!」
割れた窓からケントと公爵家の人間たちが現れる。慌てた様子で指示を飛ばすケントの声が聞こえた。
騒然とし始める室内で、ハロルドもまた、為す術もなく呆然と状況を見ていることしかできなかった。