37 婚約者と親友
少しR15
胸についての内容あり注意
フランツはどうやって結婚を無しにしようかとそればかり考えながら婚約者との初対面に望んだが、実際に会ってみた所、印象はそれほど悪くなかった。
婚約者は侯爵家の三女でオゼット・リドリーという令嬢だった。父なりにフランツにできるだけ良い娘をと考えたらしく、家格が上の相手に決めたようだ。
オゼットは小柄で可愛らしくて、まさに守ってあげたくなるような小動物的雰囲気を始終醸し出していた。
フランツは「弱い者は守らなければならない」という兄貴分気質を持っていたので、オゼットに少し惹かれる部分もあった。
オゼットのドレスは胸元が開いていて谷間が強調されていたが、その大きさは正直、「慎ましい」という表現がピッタリな感じの胸だった。
ドレスの中でどうにか頑張って寄せて上げてをしているのがわかり、涙ぐましい努力は却って好印象でもあった。
化粧でなんとか可愛い系に持って行っているオゼットとは違い、フランツは娼館にいた頃、大人綺麗系だったり豊満な肉体を持つ美女もたくさん目にしてきた。
しかし、お客の前では魅力的に振る舞う彼女たちも、裏では気が抜けて周囲に全く構わなくなることも多かった。
夏の暑い日などは、服など着ていられるかとばかりに一日中下着だけで生活している者もいたし、娼館の中を胸を剥き出しにして闊歩しているような女もいた。
幼い頃のフランツはそれを見て幸運だと思うのではなくて、女性に対して夢や憧れや神秘的に思う気持ちを萎ませてしまった。
結果、フランツは胸の大きな女性では燃えない男になった。
むしろそんな肉の塊なんてない方がサッパリしているように思えたし、貧乳や微乳の方が好きだった。
最初からオゼットに物凄い嵐のような恋愛感情までは持てなかったが、時間を掛けて関係性を育んでいけば、やがては愛が生まれる気がしたので、フランツは婚約解消的な行動は起こさずに、彼女との結婚を前向きに考えることにした。
「雨ですね……」
養成学校の玄関口に立ち尽くすフランツは、隣からのカイザーの残念そうな声を聞いた。
週末にフランツの誕生日を控えたその日、フランツとカイザーは訓練終了後、連れ立って一緒に出掛ける予定だった。
伯爵家に解雇された状態のままのカイザーは、明後日行われるフランツの誕生会には出席できない。
なのでその代わりに、二人きりで食事をしたいとカイザーに言われて、今日は学校の帰りに街を一緒に散策した後、他の訓練生たちとも良く行く飲み屋で夕食を奢ってもらうことになっていた。
ところが、日中ずっと晴れていた天気は夕方から急に崩れ始め、現在二人は生憎の雨に見舞われていた。
「これでは街歩きはできませんね。今日の予定はキャンセルにして、食事はまた後日にしますか?」
「別の日でもいいし、店が開くまでどこかで時間潰してもいいけど。お前はどうしたい?」
「そうですね…… 食事と散策はまた別の日でも良いのですが、プレゼントだけも先に渡したいので、とりあえず寮の私の部屋へ行きませんか?」
フランツは首都の伯爵邸から養成学校に通っているが、カイザーは学校の寮暮らしだ。寮は訓練校の近くに建てられていて、歩けるほどの距離である。
フランツが了承すると、カイザーは「教官室に行って置き傘を借りてきます」と言って、フランツの元を一旦離れた。
フランツは玄関の軒下に佇み、壁に寄りかかって待ちの姿勢に入ったが、しばらくした後に、婦人用の小さな傘を指しながら、ゆっくりとこちらに向かってくる令嬢の姿が視界に入った。
「……オゼット?」
下校していく他の訓練生たちの黒い制服姿とは明らかに違う、黄色いドレスを着たその令嬢は、フランツの婚約者オゼット・リドリーで間違いなかった。
手に男性用の傘を携えたオゼットは、フランツが彼女に気付いたことを認めると、ニコリと微笑んだ。
「約束はしてなかったはずだが、一体どうしたんだ? 濡れているじゃないか」
フランツはオゼットの姿を認めるなり雨の中を走って彼女の元まで辿り着いた。
傘が小さすぎるせいで、オゼットの両肩やドレスの裾は雨を吸い、ぐっしょりと濡れてしまっている。
「うふふ…… フラン様こそずぶ濡れですわよ」
オゼットはそう言いながら手元の傘をフランツに差し出した。
オゼットは、フランツが「ありがとう」と言い傘を受け取って開く一部始終を、いや、玄関先にいるフランツを視界に入れた時からずっと、情欲の滲む熱っぽい瞳でフランツを見続けているが、フランツは家の中に変態弟ハインツがいるせいで、そのような劣情混じりの視線には少々鈍感だった。
「急な雨でしたから、フラン様はお傘をお持ちになっていらっしゃるかしらと心配になりましたの。お風邪を召してお誕生会をご欠席なさることになってはいけないですもの」
「傘を持って来てくれたことはありがたいが、そうは言っても、これではオゼットの方が風邪を引く。こんな小さな傘で、共も付けずに」
「馬車ならすぐそこに待たせていますわ。それに、フラン様が小さな私がお好きだとおっしゃるから、持ち物は自然と小さな物になってしまいますのよ?」
付き合い始めの頃に、オゼットから「私のどこが好きですの?」と問われた時、「(あえて言えば)小柄な所かな」と答えたのを覚えていたらしい。
「それは持ち物のことを言ったんじゃない。これから傘は大きな物を使え、いいな」
オゼットの行動が少し常識外れなように感じて、フランツは違和感を覚えたが、傘を届けてくれたずぶ濡れの婚約者をこのまま帰すわけもいかない。
カイザーとの今日の予定は全部延期にするか、もしくはオゼットを送った後に直接店に集合するか、カイザーと話をする必要があると思ったフランツは、自分が先程までいた玄関付近を振り返った。
すると、傘を二つ持ったまま玄関先に立ち尽くしているカイザーの姿が見えた。
雨と、フランツが婚約してから掛けるようになったカイザーの眼鏡が少し曇っているせいで、その表情は伺えない。
カイザーは視力が悪くなったわけではなく、眼鏡は訓練生になってから寄ってくるようになった女除けのためなのだと言っていた。
実はカイザーには酒乱の気があり、カイザーが外で飲む時はそばに付いていないと、見知らぬ女とワンナイトラブしそうになる時がある。
本人もそれはわかっていて、元来生真面目な性格のカイザーは、「絶対に止めてください」と、フランツや他の訓練生たちにも強く頼み込んでいた。
それから、「酔った時の私の言動は信じないでください」とも言っている。
ちなみに、酒は好きなので断酒するつもりはないらしい。
玄関先を振り返ったフランツは、眼鏡と雨で表情がわからなくても、カイザーと視線が交わった気がした。
するとカイザーは次の瞬間、くるりと踵を返し、傘を持ったまま校舎の中に戻って行ってしまった。
(なんだあいつ…… 気を利かせたのか?)
一言くらい何かあってもいいだろうとは思ったが、婚約者がいたので気を利かせたのかもしれず、それに自分とカイザーは、言葉がなくても分かり合える親友じみた間柄なので、あとで予定の埋め合わせをすればいいだろうとフランツは考えた。
ただ、主従関係ではなくなっても、カイザーはフランツに対して未だに敬語だし、呼び方も「フランツ様」のままだ。
カイザーからちょっと距離感を感じる時もあるので、自分が一方的に親友だと思っているだけかもしれない、とは思う。
フランツはそんなことを考えながら、雨に濡れて寒くなってきたのか震えている婚約者に声をかけた。
「オゼット、家まで送る」




