30 俺が守るから
夜半、ハロルドの部屋の扉がドンドンドンと乱暴に叩かれた。
「チビ! 起きろ!」
声と共にガチャガチャと、支隊長との部屋に繋がる扉ではなくて、廊下に繋がっているドアノブが捻られている。男ばかりの寮とはいえ一応鍵は掛けておいたので、すぐには開かない。
「んー? 支隊長ぉ? どうしたんですか?」
「襲撃だ!」
「襲撃!?」
物騒な言葉に眠気はすぐに吹き飛んだ。ハロルドは寝台から降りてすぐさま廊下に繋がる扉を開けた。
流石に緊急時は派手シャツ姿ではなくて隊服姿だったが、フランツは着替えている最中に部屋を飛び出してきたらしく、シャツのボタンはほとんど留められていなくて、輝かんばかりの美しい胸板と腹筋を露にしていた。
ハロルドはこんな時だが一瞬だけ眼福だと思ってしまった。
そして対するフランツも、ハロルドを見てぎょっとしていた。
「なんだその格好は」
「これですか? ネグリジェですけど?」
「ネグリジェって、子供か……」
六人の姉に囲まれて育ったハロルドは、小さな頃は姉のお下がりの服を着ていた。流石に成長してからは女物の服は避けてはいたが、部屋着などは家族以外は別に誰が見るわけでもないしと、特に寝衣に関してはふわふわで少女が好むような綺麗なネグリジェを着ていた。
くるりと回るとレースがふわりと宙を舞うので、今着ているネグリジェはお気に入りの一品だ。
どこか呆れたような口調で言ったフランツの表情からは、「そんなもん俺は絶対に着ないな」とでも思っていそうなことが窺えた。
「海に獣人が乗っているらしき船が現れたそうだ。すぐに着替えて出るぞ」
言われたハロルドは緊張感を走らせながらも「わかりました!」と返事をし、急いでネグリジェを脱ぎ捨ててハンガーにかけていた隊服に手を伸ばした。
ハロルドは超特急で着替えて支度を整えながらも、『なんで支隊長は俺を呼ぶのに中の扉を使わなかったんだろう?』と、頭の片隅で疑問に思っていた。
所々に篝火は焚かれているものの、夜の海岸線はかなり暗い。遠くに見える海は全てを呑み込みそうなほどに真っ暗で不気味な雰囲気を醸し出している。波の音と共にこちらに向かってくる船影に不安感を煽られた。
船に明かりが灯されていないことから、人間の操る船ではないことは明らかだった。獣人たちは嗅覚で周囲のことがある程度わかるため、光源がなくても船を動かせたし、夜戦においては人間よりも獣人の方が圧倒的に有利だった。
獣人たちが現れた島の北東部の海岸線にはちょうど母島で唯一の港があり、港を望める高台には石造りの見張り台があって、砲撃台も完備している。
ハロルドとフランツたちが見張り台に到着した時には、当直で見張りの任に就いていた隊員たちが、いつでも砲撃ができるようにと大砲の準備を整えていた。
前回、ジェフリー・フロスト専属副官が亡くなった獣人たちの襲撃では、北東の港付近だけではなく、有名な海水浴場のある島の西側と、東南の海岸にも獣人の船が現れた。
砲撃の応酬になり、北東と西側、そして東南側からの上陸は防いだが、予想外だったのが、断崖絶壁になっている南側の岩場を登りきった獣人たちの侵入を許してしまったことだった。そしてそこから白兵戦になった。
フランツは先の襲撃後、南側と、他にも獣人が侵入しそうな危険箇所を見極めて、簡易的だが海から見えないように砲台を設置して襲撃に備えた。
今回は西側や東南側だけではなく、南側を始めとした他の場所にも隊員を向かわせている。二度と前回のように上陸は許さないつもりだったが、しかし分散した分だけ、一箇所あたりの人員は少なくなった。
海上に現れた船が段々と港に近付いてくる。念の為、船の明かりをつけるようにと警告は出したが、返ってきたのは砲弾だった。
弾は見張り台までは届かなかったが、着弾の轟音と共に振動で床が揺れた。
「支隊長!」
敵船に大砲の狙いを定めた砲撃手がフランツに裁可を求めた。フランツは頷き、腕を上げる。
「撃て!」
フランツは目標に向かって腕を薙ぐように振り下ろして叫んだ。
大砲が火を吹き、数発が海に炸裂して赤い閃光を走らせた。
一発が船の側面に当たり、船が大きく揺れている。銃騎士隊の砲撃手は船を沈めるべく、次々と弾を装填して発射していた。
相手も反撃して大砲を唸らせているが、こちら側の大砲の方が射程距離が長いらしく、撃ち合いでは銃騎士隊に分があるようだった。
他の場所でも戦闘が始まっているらしく、遠くからの砲撃や着弾の音も響いてきて、暗い夜空に赤や橙色の閃光が走っていた。
獣人たちの襲撃を知らせて島民に避難を促す警報も既に鳴り響いている。支隊に赴任して日の浅いゼウスとアランは避難誘導の役に回されたが、本当は最初ハロルドも、避難誘導役に就くようにと指示を出されていた。
しかしハロルドは、「俺は支隊長の副官ですから」と主張し、フランツに付いてきたのだ。
その時、フランツは戦場になるかもしれない場所へ赴こうとするハロルドに、とても心配そうな視線を向けていた。
フランツは態度や口調こそ横暴そうな雰囲気だが、心根はかなり優しい人であると、ハロルドは常々思っている。
「俺が守るから」
フランツは「支隊長に付いていく」と発言したハロルドを見つめながら一言そう返していたが、ハロルドは言われた瞬間、ちょっとドキッとした。
フランツがハロルドを個人的に「守る」と言ったように思えてしまったからだ。
正しくは、この島や隊員を含めた島民全体を守るという意味で言ったのだろうが、急いでいた場面だったので、その言葉の真意は聞きそびれてしまった。




