20 再会
「んぐぐー! んぐぐぐっ! んぐぐぐががごっ! (アスター先輩! 一体どこに行っていたんですか! みんなすごく心配してるんですよ!)」
「わかった、わかったから! とりあえず静かにしてくれ! 暴れるな!」
声を出させまいとするアスターと、その腕を振りほどこうとするハロルドとの間でしばし攻防が続くかに見えたが、突然ハロルドがピタリと動きを止めた。
大人しくなったハロルドを見て、アスターがハロルドの口元から手を離す。
ハロルドの視線の先、アスターの後ろに、十代後半ほどの女性が立っていた。
ハロルドはその人物を知っていた。
「スノウ……?」
白髪と珍しい白色の瞳はそのままに、彼女は別れた頃より成長して背が伸びていた。顔付きも幼かったものから、少し大人の色気を身につけた美しい女性のものに変わっていた。
しかし、怪我でもしているのか、スノウの首や手の甲には包帯が巻かれていて、痛々しい。
アスターとスノウの組み合わせが意外すぎて、ハロルドの頭の中は疑問符だらけになっていた。
(二人はいつ知り合ったんだ?)
それからもう一つ、スノウを見て特に注目するべきことがあった。
スノウは一歳前後くらいの小さな女の子を胸に抱えていた。
ハロルドは不躾にもその女の子をじっと見てしまった。
瞳の色は青いが、髪の毛は桃色…… こんな髪色の人間は見たことがない……
(もしかして、この子も稀人…………?)
「この子は俺の子だ」
発せられた言葉に、ハロルドは弾かれたようにアスターを見た。
ハロルドの顔には驚愕が広がっていた。
『――――噂だと、アスターが浮気して他の女との間に子供を作って――――――』
アランの言葉が蘇る。
まさか、アテナさんを裏切って、スノウと浮気したのか!?
「っ…………!」
アスターはそんなことしないと思っていた。ハロルドにとってアスターは憧れの先輩だった。他の訓練生たちが恋人がいても嗜みだから、黙っていればわからないからと言って娼館に向かう中、アテナに操を立ててしつこい誘いを断る品行方正な先輩。だけどそうじゃなかった。
ハロルドは我が事のように、とてつもなく裏切られたと感じた。ゼウスがあれだけ激しく怒っていた意味がわかった。
ハロルドの顔に嫌悪と、次いで怒りの表情が現れる。
しかし、二人を非難しようと開きかけたハロルドの口が、途中で動きを止めた。
……ちがう、たぶんそうじゃない………… そうじゃなくて………………
頭の中に、アランとは別の男の声が蘇る。
『あれはもういいんだ。あれはもう終わったことだから――――』
一つの可能性に思い至ったハロルドは、急速に目の前が真っ暗になりそうだった。
かつて愛した男が犯した罪など知りたくなかった。
けれど、アスターが銃騎士隊を辞めようとしている理由はきっとそこにあるから、自分は聞かなければならない責任があると思った。
何かが変わっていたら、アスターの位置にいたのは自分だったはずなのだから。
「……精液を……取られたんですね……?」
身の内の激しい動揺を抑え込みながら、震える声でなんとかそれだけを口にする。
アスターは少し思いつめた顔になって頷いた。
アスターの肯定を受けたハロルドはその場に膝を突いていた。
(リック………… あなたがしたことはとても罪深い…………)
一人の男の人生を狂わせて、何の関係もない女性を悲しみのどん底に叩きつけた。
アスターは家族思いの人だ。レイン相手に亡くなった家族との楽しかった思い出話に花を咲かせている場面を何度も見ているし、ハロルド自身がアスターから直接聞いたこともある。アスターは獣人に殺された家族のことを、切ないくらいに今でもずっと思っている。
自分と血の繋がった存在を、自分の娘を、そのままにしてはおけなかったのだろう。
そういえば、髪の色こそ違うけれど、スノウが抱えているこの子の顔付きは、アスターが肌身離さず首から下げているペンダントの中の写真に写る、彼の亡くなった妹によく似ているなと思った。
「おい、大丈夫か?」
アスターが腕を取って立たせてくれるが、ハロルドの表情は暗く沈んだままだ。
「ちゃんと…… ちゃんと説明したんですか? アスター先輩は浮気なんかしていない。変な科学者に利用されただけで何も悪くないって。でないと、アスター先輩だけが悪者で終わってしまいますよ。
きっと、ゼウスは今でも誤解したままなんです。アスター先輩のことがすごく大好きだったゼウスが、先輩をあんな風に憎んだままだなんて、そんなの悲しいです。二人が仲違いしたままなんて、俺は嫌です」
言っている途中からハロルドはボロボロと泣いていた。
「説明はした。アテナは最初半信半疑だったけど、俺がスノウと関係したわけじゃないことは信じてくれた。ゼウスも難しい本とか引っ張り出して、『体外受精』のことを調べたみたいで、最終的には俺のことを信じてくれたと思う。
だけどそれでも許せなかったんだろう。あいつにとってアテナは神様みたいな存在で、とても大切な人だから。どんな理由であれ、俺がアテナを傷付けたのが許せなかったんだと思う」
「傷付けたって…… でも、アスター先輩だって被害者じゃないですか」
「傷付けたのは事実だ。結局俺はアテナじゃなくて、セレスと共にいることを選んだ。何を置いても、俺はセレスと離れたくなかった。必ずこの手で守り抜きたいと思った」
アスターはスノウの胸の中にいる小さな子供に慈しむような視線を向けている。
二人の子供の名前は、セレスというようだ。
ハロルドは考える。アスターとアテナの気持ちが上手く寄り添い合う形で、彼が大切な二人――アテナとセレス――とずっと一生共にいられる方法は何かなかったのだろうかと。
きっとアスターとアテナの二人も散々話し合ったのだろう。そして、別れる道を選んだ。
人生経験の少ないハロルドは、彼らの決定を覆せるほどの上手い答えを見い出せなかった。




