13 『アウローラ号事件』
人が死んでいる場面があります
三人称
アスター・グレイコールは男爵家の嫡男で、下に五歳になるフローラという名の幼い妹が一人と、父のグレイコール男爵と、縁のあった男爵家から嫁に来た母との四人家族だった。
しかしグレイコール家はアスターの祖父の代で事業に大失敗してその補填のために領地のほとんどを切り売りしてしまい、貴族とは言っても実際は名ばかりの貧乏男爵家で、父の代ではほとんど平民と変わらない暮らしをしていた。
アスターの父は三男であったが、借金を怖れて家督を継ぐのを放棄した兄たちに代わり家督を引き継ぎ、グレイコール男爵の父とは正反対に商才のあったすぐ下の弟の助けを借りながら商売を再開し、借金を完済して男爵邸を買い戻す所まで漕ぎ尽けた。
首都で興した商会を一旦弟へ任せ、グレイコール男爵が妻と二人の子供を連れて故郷の男爵邸へ戻るために寝台列車『アウローラ号』へ乗り込んだことから、一家は悲劇に巻き込まれた。
夜半、渓谷に近い場所を走っていた『アウローラ号』は、獣人たちが仕掛けた罠によって脱線させられて崖下へ落下した。
事故により多数の怪我人や死亡者が出たが、さらに獣人たちは地面に横倒しになっている『アウローラ号』に襲いかかり『狩り』を始めた。
そして皆殺しにされた。
乗客乗員ではなく、襲って来た獣人たち全員が。
翌朝、生き残った乗客が近くの街に助けを求めて、銃騎士隊や警務隊、消防隊、救急隊が現場に駆けつけた。
現場には多くの死体があった。血の匂いと、燃料の石炭が車体に燃え移って延焼を起こした焦げ臭い匂いと、それから怪我人たちの呻き声が聞こえた。
隊員たちは横たわる『アウローラ号』の中から生存者たちを救出した。助けを呼びに来た者は獣人の襲撃を受けたと言っていたが、近くに獣人らしき者の姿は既に見当たらなかった。
生き残った者たちの中にはまだ眼前で恐怖が続いているかのように怯えた態度を見せる者もいた。
そして顔を青白くさせ、「赤い悪魔が……」と口にする者もいた。
『赤い悪魔』は獣人王シドの異名だ。
救助に訪れた者たちに緊張が走った。
しかしそこで銃騎士隊員の一人が、身体中を斬られて死亡している男の顔が手配書の出回っている獣人のものであることに気が付いた。
のちに調べて判明するが、列車が崖下に落ちた衝撃からではなく明らかに他殺体だと思われる死亡者たち全員が獣人だった。
以前は人間離れした容姿や身体能力、野菜が食べられないといった状況証拠から獣人だろうと推察することしかできなかったが、その頃には血液から獣人かそうでないかを見分ける技術が進んでいた。
あの子を探してくれないか、と生き残りのうちの一人の乗客が救助に来た者たちに訴えた。
「あの子がいなかったら、死んでいたのは我々だった。あの赤い少年が私たちを獣人から守ってくれたんだ」
困惑する隊員たちは、最初彼らが何を言っているのかよくわからなかった。
しかし、そのうちに車体がある現場から少し離れた所から少年のすすり泣きが聞こえることに気付く。
声の元に向かった隊員は、幼い妹の身体を抱いて項垂れながら泣いている赤髪の少年を発見した。
アスターの父も母も、列車の窓から投げ出されて運悪く岩場に叩きつけられて、彼の近くで死んでいた。
そのそばで涙するアスターの腕の中で、眠ったような表情をしている妹のフローラもやはり、唇から血を流していて顔は青白く、首の骨があらぬ方向に曲がっていて明らかに生きてはいなかった。
その赤髪の少年が死者に囲まれている様子は異様だった。
あたり一帯に倒れている者たちのほとんどが死亡していて、その場で生きているのはアスターだけだった。
アスター自身は頭から大量の血液を被ったかのように衣服も肌も全身が血まみれで、赤く染まっていない所は見当たらなかった。ただ、涙を溢した部分だけは、血が流されて涙の跡がくっきりと浮かび上がっていた。
発見した者が、生きているかと声をかけると、生きている、と掠れた声で返事が聞こえてきた。
「でももう身体が限界で、指一本動かせない……」
止め処なく涙を流したままのアスターは、悲しみに満ちた蒼い瞳で隊員を見返しながらそう答えた。
月明かりの下、転落事故から運良く生き延びた乗客たちはその惨劇を見てしまった。
十代中頃に思われる赤髪の少年が一人、転落事故で死亡してしまったと思われるハンターから拝借した剣と銃を使い、襲い来る獣人たちを返り討ちにしている様子を。
しかし銃は撃っても急所には当たらず、彼が握る剣は戦いの途中から折れていた。
父と同じく商人になることを夢見ていたアスターはそれまで武術の経験は皆無だったのだから、そうなってしまうのは仕方がなかったことなのかもしれない。
けれど経験値の低さをものともせず、家族を殺された彼は怒りに満ちた表情で自分の限界を超えた力を発揮していた。折れた剣先で獣人たちの身体を刻み、腕や足や首を力任せに引っ掴んでもいでいた。
圧倒的な力で相手を一方的に捻じ伏せて惨殺していたのは、身体能力が人間よりも優れているはずの獣人たちではなくて、アスターだった。
その光景を思い出していた乗客の一人は、身体を恐怖で小刻みに震わせながらこう言った。
「あれは荒ぶる鬼神のようだった。人間じゃない。あの少年は人ではない別の生き物だ」
アスターに怖れを感じる者もいれば、彼のおかげと感謝する者もいた。
「あの赤い少年がいなければ自分たちは死んでいただろう。彼を遣わしてくれた神に感謝しなければ。ありがたやありがたや」
老人はまるで祈るように天に向かって手を合わせていた。
たった一人で獣人の襲撃を退けてしまったアスターには、その時から『赤い鬼神』や『奇跡の少年』、または『赤い殺戮兵器』や『対獣人用最終兵器』といった人間とはかけ離れた異名で呼ばれるようになった。
そしてこの『アウローラ号事件』こそが、のちに銃騎士隊三番隊の絶対的エースとなるアスター・グレイコールを一躍有名にした出来事だった。




