11 ナンパ未遂事件
ケントは高等科卒業後に近衛隊に入隊した。そして落ち着いた頃にエマと結婚し、姉は貴族の仲間入りを果たした。二人が婚姻と同時に公爵邸を出て都内に新居を構えたために、ハロルドも同時期に実家に戻ることになった。
その頃にはもう、前向きにやるようになった日々の鍛錬のおかげもあって、ケントや護衛をも打ち負かしてしまうほどにはなった。
ケントは才能があると言って舌を巻いていたが、それはおそらく自分が稀人だからだろうと思ったハロルドは、自宅に戻ってからも自惚れることなく日々研鑽を重ねた。
長姉カミラと暮らしていたヒルダは中等科卒業後に首都にある自宅に戻ってきた。彼女は少しずつ訓練して、剣や血に似た赤い物を見ても震えを起こさないようになった。しかし剣を握った時だけはスノウを斬った時の感触が甦ってきてしまい、やはり震えが出てしまうらしく、治るにはまだ時間がかかるだろうとのことだった。
剣は握れず完全に克服できてはいないが、戻ってきたヒルダは十四歳の成人と共にハンター協会に登録し、ハンターになった。
剣が駄目なら銃だと、元々かなり剣術の才能があったがそれに固執することなく、新しい方法で道を進むことにしたそうだ。銃なら握っても大丈夫だったので、向こうで銃騎士であるカミラの夫に教えを請うて、義兄のお墨付きが出るまで射撃の腕前を磨いたそうだ。
ヒルダの帰還を受けたハロルドは、やっぱり泣いてしまった。
そうして翌年十二歳になる年を迎えたハロルドも、銃騎士養成学校入校試験を受験し、一発合格を果たした。
ハロルドの合格を聞いた父は我が事のように喜んでくれて、やはり男泣きしていた。
「ハーイ、そこの彼女! 良かったら俺とお茶しない?」
季節は晩秋。ハロルドは入校事前説明会に来ていたのだが、一人で帰ろうと校内を歩いていると、養成学校の制服を着た金髪翠眼の少年に声をかけられた。
今日の説明会にはシュバルツも一緒に着ていたが、学校関係者に昔の知り合いがいたとかで話に花を咲かせてしまい、そして出会う知り合いたち全員と都度長話を展開させるため、流石に付き合いきれなくなってきて先に帰ると置いてきてしまった。
少年が着ている訓練生の制服は、銃騎士隊の正規の隊服と意匠は同じだが、布地の色は藍色ではなくて黒色だ。
「ちょっとちょっと、無視しないでよー」
ハロルドは最初自分にかけられた声だとは思わなかったため、声が聞こえた方向をちらりと見ただけでそのまま歩いていたら、少年の声が再び聞こえてきて、行く手を遮るように彼が目の前に回り込んできた。
「え……?」
「ねーねー、このあと暇? 暇でしょ? もしかして説明会に参加してたご家族の方かな? 何かわからないことがあれば俺が優しく、やさーしく教えてあげるから、あとで君のお兄さんに伝えたらいいんじゃないかな? いやー、こんなところで君みたいな美少女に逢えるだなんて、俺はすごい幸運の持ち主みたいだ」
足を止めさせられた格好のハロルドは戸惑いの声を上げたが、少年はおかまいなしだった。
「美少女……」
彼はハロルドの性別を盛大に勘違いしているようだった。養成学校の制服を着ているということは、彼はハロルドの先輩に当たるようだった。あまり失礼のないようにしなければと思いながらも、初対面でのこの馴れ馴れしさには面食らう。
養成学校は男しか入校できないので、もし自分も制服を着ていれば少年が勘違いをすることもなかったと思うが、まだ入校前だし、それに制服は今日採寸をしたばかりなので出来上がるのはまだ先だった。
今日は寒かったので厚手の外套を来ていた為、中の服装で性別を判断するのは難しかったのだろう。髪は長いし声だって変声期前なので、この状態で間違えられても仕方がないとは言える。
髪の毛は好きで長くしていた。手入れが面倒とも思わなかったので切るつもりもなかった。
女に間違われたことはこれが初めてではなかったので、ハロルドは失礼なことを言われたとは思わなかった。もう少し成長して父親のようにゴツくなれば、こういったこともなくなるだろうと思っていた。
「君の名前は何ていうの? 俺はアラン・シトロン。ゆくゆくは銃騎士隊を背負って立つ男だから! よろしく!」
意気揚々と名乗りながら握手を求めてきたアランは、ハロルドが良いとも悪いとも言わないうちから勝手に手を掴んでにぎにぎと触ってくる……
「ん? あれ……? 女の子にしては結構立派な骨格してるね」
柔らかな手の感触でも想像したのかもしれないが、生憎剣ダコができているのもあって触り心地はあまり良くないだろう。
ハロルドがここまで明確な否定もせず性別のことを黙っていたのは、そっちがその気ならこっちは別に応えても構わないと思っている部分があったからだった。アランは整った顔立ちをしていて見目は良い方だ。制服も似合っていて格好良いと思う。
世間一般からは特殊と見られる性志向を持つためにこれまで恋人がいたことはなかったが、自分もそろそろお年頃である。流石にナンパされたのは初めてだが、自分の容姿を気に入ってもらえたのならば、「彼氏」になってくれる可能性はあるかもしれない。
しかしその場合、相手にとっても自分が「彼氏」になってしまうので、それを了承してもらわなければならない。ハロルドの手を見つめながら、ムムムと眉を寄せているアランを見る限りでは、やはり現実はそうは簡単に問屋が卸さないと思われる。
「あの、俺は男ですけど」
真実を告げてみた後に起こる、一瞬の空白。
「え? 嘘でしょ?」
「嘘じゃないです。本当に男です。説明会に付き添いで来た家族ではなくて、入校する本人です」
突然、アランがハロルドの持っていた大きめの封筒を奪い取り、中を確認している。
「ハロルド・シュトラウス……」
説明会の受付で必要だった、養成学校入校試験の合格通知を手で持ちながら、アランがブルブルと震えている。
「あ、あのー……」
震えたまま項垂れているアランがなかなか合格通知を返してくれる気配が無いため、大事なものだし折り目でもつけられたら困るのでその前に返してもらおうと声をかける。
するとその瞬間、悔しそうな顔をしたアランが弾かれたように振り返ったが、なぜかその目には涙が浮かんでいた。
「くそう、男じゃねーか! 誘いを断るための口実かと思ったけど本当に男じゃねーか! 俺はそんなものに興味は無い! 直感でちょっと貧乳っぽいかなとは思ったけど、そのうち育つからいいかなと、いやむしろ俺が育ててやるぐらいな覚悟を決めて、顔が超好みだったからなけなしの勇気出して声かけたのに! こんなのあんまりだ! 男じゃ育つ要素完全にゼロだろ! ツルペタおっぱいなんて絶対に嫌だ!」
「ツ、ツルペタ……」
絶句するハロルドにアランは書類と封筒一式を返すと、号泣しながらその場を去っていった。
顔が超好みと言われて一瞬舞い上がったが、直後のツルペタ発言によりやはりこちらも地獄に叩きつけられたハロルドは、向こうから声をかけてきたのにまるでこちらが振られてしまったかのような衝撃を受けて、気分をどん底まで沈み込ませた。
やっぱりしばらく恋とかいらない、立派な銃騎士になるために一生懸命頑張ろう、と思いながらも、身体は鍛えても色恋に関しては打たれ弱かった繊細なハロルドは、傷付いた心を抱えながらとぼとぼと帰路に就いた。




