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碧落に君は消えゆく  作者: 藤橋峰妙
第一節 書庫の少年と銀の少女
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03 足跡


 


 点々と続く赤い血溜まりを見た瞬間、アズサは自分の身体の内側まで冷えていくような心地がした。


「……傷が」


 すぐさま手当て道具を一式、鞄へ押し込み、机の上に置いていた灯光石のランタンを乱暴に掴む。濡れた外套もそのままに、裏口から一目散に飛び出した。


 赤い血の跡は、遥か先の白い雪の上にまで異様なくらい鮮やかに続いている。どうやら結界の外へ向かっているらしく、その雫に沿うように、小さな足跡が四つ並んでいた。


(どこへ行ったんだ……)


 獣はひどい怪我を負っていた。獰猛な獣の爪で裂かれたような傷が身体じゅうに走り、少しも塞がる気配がなかった。


 どうして、なぜ、急に出て行ってしまったのだろう。『書庫』へ来てから、ずっと寝たきりだったはずなのに。


 疑問を抱えたまま、アズサは吹雪の中を押し進む。


 布団に触れたとき、まだ温もりは残っていた。あまり遠くへは行っていないはずだ。けれど吹き荒れる白い風が、雪の上の血と足跡を今にも消し去ろうとしている。


 雪に足を取られ、思うようには走れなかった。額に滲んだ汗を手の甲で乱暴に拭い、見つからない焦りに耐えきれなくなるたび、アズサは立ち止まって白い闇へ向かって叫んだ。


「おーい、どこにいるのー!」


 ――おおーい、どこにいるの……おぉーい……。 


 返ってくるのは自分の声だけだ。静かな森の奥でそれが空しく跳ね返り、当然のように返事はない。


 落胆に息を吐き、アズサはまた歩き出す。岩の上を越え、白雪を踏み分け、枝の隙間を縫うように進んでいき、やがて凍りついた小川の前で足を止めた。その先で、血の跡は途切れていた。


(どうしよう)


 目の前には、さらに暗い森が広がっている。普段は足を踏み入れない奥の奥だった。


 人の入らない森は荒れていて、枝は好き放題に伸び、張り出した枝々が行く手を遮っている。一歩誤れば、そのまま道を見失いかねない。


「……行くしか、ないか」


 アズサは小枝を折って目印をつけながら歩き始めた。


 小さな斜面を滑り落ち、しばらく進むと、山間を流れる川に辿り着く。山上の清流から分かれた川で、流れこそ速くはないが、落ちればひとたまりもないほど深そうだった。


 アズサは渡れそうな場所を探して下流へ向かい、やがて倒木が何本も重なって橋のようになっている場所を見つけた。


「よいっ、しょ!」

 

 先にランタンを向こう岸へ放ると、ランタンは向こう岸の雪の中へ、すっぽりと落ちた。アズサは外套を口元まで引き上げ、手で雪を払い、倒木の上へ身体を乗せた。


「冷たっ……あ、っと。鞄は濡れないようにしないと」


 アズサは幹にしがみつき、どうにか川を渡りきった。地面へ足を下ろしたときには、手袋はもうすっかり濡れて使いものにならなくなっていた。


 そうして、かじかんだ手でランタンを拾い上げた、そのときだった。


「あ……」


 思わず、声が漏れる。


「――わ。やっと、雪、やんだなぁ」


 針のように叩きつけていた吹雪が、ぴたりと止んでいる。雪はただ、はらり、はらりと落ちてくるだけで、一度も収まらなかった風が、拍子抜けするほどあっけなく消えていた。


 視界がひらけ、アズサは辺りを見回した。まだ暗く沈んではいるものの、森は先ほどよりずっと明るくなっていた。白い梢をしならせていた木々が、ようやくその全体を見せ始めている。


 そして、遠くから、弱々しい咆哮が聞こえた。


「この声!」


 糸のような、空気をかすかに震わせるほどの、小さな小さな声。幻聴かと疑うほど頼りないのに、アズサには分かった。


 ――あの獣の、声だ。

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