5年後 -妖獣の森の黒い獣 (後) -
「ここは……」
ユンロンが目を覚ますと黒い妖獣の洞窟で既視感に囚われ、夢を見ていたのかと一瞬混乱した。
洞窟は闇に覆われていた。ユンロンは粗末な寝台に寝かされていたが、すぐ横に妖獣と少女は床に敷いた毛皮の上で抱き合い深い眠りに付いているのに気が付く。夜行性の妖獣のくせに人間の少女に合わせて生活しているのに思わず微笑ましく思ってしまった。
「アオイ様のいる結界に案内されて……どうなったのだ?」
神力で結界を壊そうとして失敗し、絶望に囚われたまで記憶がある。しかしその後に何かが体に入り込み負の感情に支配されたような曖昧な記憶をユンロンは思い出した。 詳細は分からないがあの森に封じられている何かに意識をのっとられそうになったのを救われたようだ。少々やり方に問題はあったようだが、ユンロンは取り敢えずジィーンに感謝する。
「どうやらジィーンに助けられたようですね」
体にはジィーンの毒がわずかに残っていたが、神力は多少戻っている。気怠い体を起こしたユンロンは、気付かれ無いように洞窟を抜け出すと夜が明け空が白み始めていた。
そしてズイセンが待つ森の外に向かうと、ズイセンはそこから一歩も動かないで待っていた。置いて行った其のままに、翼に顔を埋め寝ているが、餌の鹿は跡かたも無く消えている。ユンロンが近ずく気配で気付いたのか顔を上げ、心配げに「グェ~」と鳴く。
「ズイセン、かなり待たせて心配させましたね。寝ていたのに申し訳無いのですが、今から飛んで下さい」
ユンロンは街に買い物に行くことにした。そのままミンミンの姿を借り変身し、ズイセンに乗り近くの街の広場に降りると、街が騒然となるが気にせずに降り立つ。まだ朝早いせいか人はまばらだが、遠巻きにみているが声を掛ける者はいない。
仙鳥に乗る人間など、龍族の関係者だと勝手に判断し、おいそれと手出しはしする人間はいない。しかもこの街には龍族はおらず、誰にも行動を咎めないだろうと考えたユンロン。朝早く開いている店を見付け、身に付けていた装飾品を売り、ミンミンの為に色々買い物をする金子を工面する。
ユンロンはミンミンの衣服が気になっていた。清潔に洗ってはいるが、継ぎはぎだらけで色もくすみ、年頃の少女が着るにはあまりにみすぼらしい。時折ミンミンが自分の着る服を羨ましそうにしているのに気付いていたユンロン。だがジィーンは気付きもしていない。
(私ならアオイ様の為に毎日違う服で着飾りたいと思うんですが、妖獣だから仕方が無いのだろうか)
藍にはオウロン夫妻がついているのだから、衣食住に困っていないのは知っていたが、ユンロンとしてはもっと優雅な生活を送って欲しかった。 だから毎年の手紙に藍の為の贈り物を添えたかったが、オウロンによって断られてしまい断念していた。せめてユンロンは藍に贈った真珠の髪留めをした姿を一目見たかったが、それすら叶わない。
暗い気分になるが街の商店が軒を並べる通りを物色する。 その中で中堅どころの店に入り服を見せて貰う。
「私に合いそうな服を見せて下さい。 成るべく丈夫で実用的な物と今流行りの絹の衣装もお願い」
「はい、かしこ参りました」
気の良さそうな中年の主人が請け負うと、若い従業員に服を次々に出させる。
ミンミンになり済ましたユンロンは、次々に出される服を吟味し、服を自分にあてながら鏡で確認してから、気に入った物を購入する。普段着の綿の服を五着と絹の晴れ着を二着購入するが、結構な嵩になった。
「これを衣装箱に入れて広場の仙鳥の側に置いといて下さい」
ユンロンは代金を支払い、店の者に言い付ける。
その他にも沢山の店を回りミンミンが喜びそうな小物を買い込む。時々ユンロンは藍に似合いそうな物を見つけ切なくはなった。だが色々物色し中々楽しい買い物。喜ぶ少女の顔を思うとより一層色々と買い込んでしまうのだった。
広間に行くとズイセンの前には、幾つもの箱が並んでいた。少々買い過ぎたかと思ったが、あの何も無い岩肌の洞窟を思うと、これでも足りなかったかと思い始める。どうせなら家具も買い揃えば良かったかと思うが、手持ちが心細いので諦める。
「ちゃんと大人しく番をしていたのね。御褒美にこれをお食べ」
ズイセンの好きな牛肉の塊を、届けさせた箱の中から取り出し、次々と放り込んでやると美味しそうに食べていく。それを面白そうに見物人が感嘆を上げていた。仙鳥など滅多に見れ無いので、何時の間にか人だかりができ見世物になてしまっていた。
ズイセンの食事を終わらせると買い物の品をズイセンに積見込む。少女が重い木箱を軽々と載せて行く様子を見ていた野次馬たちは、矢張り普通でないと遠巻きで見守っていた。そしてユンロンは、厄介な役人などが来ない内に街を後にする。
ユンロンは空を見上げると既に日は高く昼だろう。
「森に戻って下さい」
軽々とズイセンに乗り舞い上がると、上空から多くの人だかりが広場に集まっており、漸く騒ぎに気付いた兵士たちが駆けつけるのが見て取れた。
「あの街では当分仙鳥に乗った謎の少女の話で話題に事欠かないでしょうね」
ユンロンは、街から離れると変化を解いて自分に戻った。
妖獣の森に着いたのは丁度昼ごろで、ジィーンの洞窟の前でミンミンが火を焚いて料理をしているのが上空から見て取れた。洞窟の前は切り開けており、井戸と小さな畑も作られていた。なるべく離れた場所にズイセンを下ろした。するとミンミンはズイセンを見て怯えた様子だったが、背に乗るユンロンを見ると目を丸くする。
「ユッ、ユンロン様!?」
ジィーンも何事かと洞窟から飛び出し、ユンロンを見た途端に苦虫を潰した顔をし、文句を言い出す。
「やっと厄介払いしたと思ったのに、なんで戻って来る!」
「お世話になったのに、礼も言わず消えるほど礼儀知らずではありません」
ユンロンは、睨んで来るジィーンを無視しズイセンの背中から次々と荷物を降ろして行く。そしてイライラするジィーンと違いミンミンが手伝ってくれた。
「何ですか、この荷物は?」
ひと際大きい箱を降ろして地面に置いたユンロンは、ミンミンに開けさせる。
「この箱を開けて御覧なさい。良いものが入ってますよ」
ミンミンが恐る恐る蓋を開け、中を確認すると服を取り出し茫然とすろる。そして唐突にボロボロと涙を流しだしてしまった。
「ユンロン様…服が…綺麗な服がこんなに……もしかして私の?」
途惑いつつ、感極まったように言う。
「全部貴女のですよ。ミンミンには随分お世話になったお礼です」
ユンロンの言葉に、ミンミンは泣きながら笑い、ジィーンに服を見せようと近付く。
「ジィーン! 見て綺麗な服!! ユンロン様がくれたの!!」
涙ぐみながら嬉しそうに、桃色の絹の衣装を自分に当てて見せる。
「ミンミンに似合いそうだ。早速着て見せてくれよ~」
意外にもジィーンは目を細めてミンミンに着るように促すが、内心は怒りで煮えくりかえっていた。だが折角の喜ぶ姿に水を差す訳にも行かず、この場から遠ざける。
「うん! ユンロン様ありがとう!」
ミンミンが服を大事そうに抱え洞窟に入って行くのを確認すると、ジィーンは凄い殺気を出しながらユンロンを睨みつけた。
「お前どういう心算で、こんな事をする」
がん!!と側にあった荷物の箱を蹴りあげる。
「さっき言ったでしょ。お世話になったお礼だと。 嫉妬するのは良いですが、買ってきた品物には当たらないで下さい。折角ミンミンが喜んでるんですから」
「煩い! 俺達に構うな、荷物は全部持って帰れ!!」
凄い剣幕でジィーンは怒鳴る。しかしそれで怯むユンロンでは無い。
「ジィーン、ミンミンに貴方以外の男が選んだものを着せるのが嫌なのは理解できますが、あの子は人間なのです。女の子らしく綺麗な服やお洒落がしたいと思うのが普通。貴方の様に着の身着のままではいい訳無いでしょ。少しは女心を理解しないと愛想を尽かされますよ」
「ウッ………、俺だって努力をしてるんだ。俺は森から出れねえから、精霊に近隣の村の洗濯物を盗って来させたり、穿きたくもねえズボンを穿いたり」
ユンロンは、妖獣が服を着ているので変だと思っていたが、少女にお願いされたせいだったのかと納得。
しかも精霊を使役出来ると聞き、益々、謎の妖獣である。本来は、不浄な存在を嫌う精霊は妖獣と相容れない存在で、使役するなど有り得なかった。
「努力は認めてあげますが、やり足りてません」
ユンロンは事実に驚愕するが平然を装い、キッパリとダメ出しをする。
そこへ、新しい服に着替えたミンミンが外に飛び出してきて、ジィーンの前で微笑みながら薄桃色の絹の衣装でクルクル回り、裾をひらめかせて見せる。
「見て、見て、似合うかな? 可笑しくなあい?」
先程と打って変り、ジィーンは鼻の下を伸ばしデレデレしながら褒め出す。そんな妖獣の態度に呆れてしまうユンロン。その姿は人間の男と変わらず本当に妖獣なのかと疑問ばかりが浮かぶ。
「すっげー似合うぞ! 何処のお姫様かと思った。もっと良く見せろ」
「うん!」
結局、少女の愛らしい姿に嫉妬心が負けたらしい妖獣に、ユンロンは更に嫌がらせを言う。
「ミンミン、ジィーンの服も買ってありますから、後で一緒に着るといいですよ」
少女は、更に明るい顔になるが、反対にジィーンは顔色を変えユンロンを恨みがましそうに見る。その姿を見て、散々な目に遭わされた事にユンロンは少し溜飲が下がるのを感じた。
それからミンミンに次々箱を開けさせると、出てくる品々に一々感激して嬉しそうにする。中でも小さな鏡台と櫛や化粧道具を見つけると、また大泣きし、ジィーンがオロオロとしている姿は傑作だった。全ての箱を開け終わると最後の贈物をする。
「お終いに、もう一つだけ贈り物があります」
「まだあるんですか!」
「ズイセンいらっしゃい」
ユンロンは離れていた場所に居るズイセンを側に呼び寄せる。巨体を二本の足を不器用に動かして目の前に来ると、ユンロンは手をかざし神力を注いで行く。すると徐々に体が小さくなり小鳥サイズに変えてしまった。
「ズイセン、ミンミンの肩に」
少女の肩に、可愛くなったズイセンはユンロンの命令に従い、小さな羽を羽ばたかせてミンミンの肩に止まる。
「わ~ 可愛い!」
「この仙鳥を貴女にあげましょう。もし何か欲しいものがあったら、ズイセンに教えてあげて下さい。王都の私に伝えに来ますから」
「ユンロン様の大事な鳥を本当に貰って良いの?」
「ええ」
「何でこんなに良くしてくれるの?」
流石にミンミンも貰い過ぎだと気が引けて来る。
「ミンミンのお蔭でアオイ様の居場所が分かったお礼です。そしてこれはお願いなのですが、もしアオイ様の事で何か分かったらズイセンで知らせて欲しいのです。お願いできますか」
「うん! 分かった、任せて」
「でも、調べるのはジィーンにさせて下さい。ミンミンはあくまで私に知らせるのが役目ですから」
「うん!」
ミンミンが嬉しそうしてるのに対し、ジィーンは面白く無さそうにソッポを向いている。
「それでは私はこれで王都に戻ります。二人とも有難うございました」
「もう帰るの……。せめて一緒にお昼を食べよう」
「折角のお誘いですが、今晩中に王都に戻らないといけないのです」
「こいつはこの国のお偉いさんだから無理を言うな。俺が森の出口まで送る。ミンミンは荷物を洞窟に入れておけ」
「うん、ユンロン様また来て下さいね」
「はい。それではお元気でミンミン」
「さよなら……ユンロン様」
ミンミンは飛んで立ち去るユンロンを見えなくなるまで手を振りながら見送った。
暫らく二人で飛んでいると漸く口を開くジィーン。
「あの仙鳥はどう言う心算だ……俺を監視する為なら無駄だ」
「貴方がたの私生活を覗くほど悪趣味ではありません。純真に連絡用に差し上げただけですし、ズイセンは並みの妖獣なら十分勝てるほど強い。もし貴方が側にいない時はミンミンを守ってくれる。しかも人語も操れるようにしたので、喋り相手にもなります。便利でしょ?」
「フン! なにか他に下心があるんじゃないのか…」
ユンロンの好意を未だに信じずジィーンは疑わしそうに見ている。
「正直に言えば、アオイ様の情報が少しでも欲しいですが、どちらかと言うとミンミンにアオイ様を重ねているのかもしれません。…同じ森で閉じ込められたように暮らしているので、少しでも良い生活が送れるようアオイ様の代わりにしてしまった」
ユンロンは藍に何もしてあげれ無い。だからお節介にもあの少女に色々贈り物をし、喜ぶ姿を見て藍が喜んでいるように思えたのだ。
「だから許して下さい。貴方のミンミンに衣装を送った事を」
「チッ! 変な龍族だ。妖獣の俺や、人間のミンミンなぞ蔑みの対象でしか無いはずなのに対等に扱う――今回は有り難く受け取って置くぜ~」
黒い妖獣は受取ってやるから有難く思えと言わんばかりの不遜な態度を見せられるが、ユンロンは不思議と腹は立たなかった。
(どうやら私を少しは認めてくれたらしい)
「感謝の代わりに一つ聞いていいですか」
「何だ」
「陛下はこの森に頻繁に来られるのでしょうか、 正直にお答え下さい」
「龍王か? 確かに以前は頻繁に迷子のようにふらりと森に来て、話しかけても返事も返さない無愛想な男だ。何時も結界に消えては数日で帰って行ったな。だが此処数十年は見掛けてはいないが、来ていても分からないだけかも知れん」
(陛下は矢張りアオイ様には会っていないのか?)
どうしても龍王が藍の名を呼んだのが気になっていた。しかしジィーンが嘘を言っているとは思えず、龍王が藍に会いにいていないと確信する。
「そうですか……有難うございます」
「そんなに執着するアオイて言うのは何者だ?」
ジィーンはユンロンの恋人の話を全く信じていなかった。
「私の愛しい人です」
「ケッ」
妖獣の森の端に来ると話も大方終わり此処で別れる事にする。
「いいか、二度とこの森に来るな! 今度来たら容赦しないぞ 」
「今度来た時は、私が送った服を着て下さい。楽しみにしてますから」
ユンロンは、とびっきりの微笑みを返すと、反対にジィーンは顔を真っ赤に染め怒鳴る。
「この生悪! とっとと去れーーーー!!」
ジィーンの罵声を背にユンロンは一旦妖獣の森を去る。しかしジィーンの気配が遠のくのを感じ、途中で妖獣の森に引き返した。最後に結界の場所に行き、少しでも藍の側に行き感じたかった。
しかしユンロンは森を破壊した痕跡が見当たらず困惑する。かなりの広範囲を破壊したはずだが、上空からその場所が特定できない。しかも森の中を移動したために、おおよその場所すら分からなかった。
「まさかアレほどの被害を、こんな僅かな時間で森を再生したのですか」
ジィーンの底知れない力にゾッとする。確かにこの森に関わり合うのは賢い選択ではないのだろう。
「せめて少しでアオイ様を感じたかった。どうやら私はアオイ様と縁が薄いのかもしれない」
未練は大きく残るが仕方なく妖獣の森を後にし、王都に今度こそ戻るのだった。




