第8話 不穏な足音と、お掃除おばさんネットワーク
「ふん、シルバの若造め、ボルドーを失脚させたからと調子に乗りおって」
宮廷の東翼にある一室で、不機嫌そうにワイングラスを揺らしている男がいた。
彼の名はバルカ伯爵。リトアニア王国において、国内最大の軍事派閥を率いる、筋骨隆々の「脳筋将軍」である。
ボルドー侯爵が財務の利権を握っていたとすれば、このバルカ伯爵は軍事費や騎士団の利権を牛耳る、もう一人の巨頭だった。
「ボルドーは書類の偽造などという小賢しい真似をするから足元をすくわれたのだ。だが、我が方は違う。この国を支えているのは、文字通り我ら騎士団の武力だからな。若造がこれ以上調子に乗るようなら、少々『力』の差というものを教えてやらねばならん」
バルカ伯爵の背後に控える側近たちも、ニヤニヤと下品な笑みを浮かべる。
彼らは、近いうちに王都の近衛騎士団を動かし、幼いレオン王を軟禁して、シルバを宰相の座から引きずり下ろす計画を練り始めていた。
「まずは、明後日の軍事予算の評議会だな。そこでシルバの出方を見る。少しでも我が方の予算を削ろうものなら、その場で剣を抜いて脅してやればいい」
高笑いするバルカ伯爵。
――しかし、彼らは気づいていなかった。
その部屋のすぐ外の回廊で、お仕着せの制服を着て、せっせと床をモップで磨いている一人の年配のメイドの存在に。
メイドは、バルカ伯爵たちの会話を壁越しに一言一句聞き漏らさず耳に留めると、何事もなかったかのように、静かにその場を立ち去った。
数時間後。
宰相執務室の裏口から、そのメイドがそっと入ってきた。
「シルバ様、大変でございます。バルカ伯爵が、明後日の評議会で実力行使に出るご様子。レオン王様を脅し、シルバ様を排斥しようと企んでおります」
「あらあら、まあまあ。ご苦労様、マルタさん。今日も素晴らしいお仕事ね」
シルバは、その冷徹な美貌に、フッと獲物を見つけた猛禽のような鋭い笑みを浮かべた。そして、懐から綺麗に包まれた高級な焼き菓子を取り出し、メイドのマルタへと手渡す。
「これ、新作のバタークッキーよ。皆さんで分けてちょうだいね」
「まあ! シルバ様の手作りクッキー! ありがとうございます! 私共『宮廷お掃除ネットワーク』、これからもシルバ様と可愛いレオン様のために、骨を粉にして働きますわ!」
マルタは嬉しそうにクッキーを抱え、再び影へと消えていった。
「バルカ伯爵、ですか。お盛んな頑固親父ね。……前世でもね、武力や権力を笠に着て、秘書室に怒鳴り込んでくる脳筋の取引先社長はたくさんいましたわ。そういう方を転がすのはね、おばあちゃん、とっても得意なのよ」
シルバは、デスクの引き出しから、一冊の真新しい手帖を取り出した。漆黒の革で装飾されたその手帖に、彼はバルカ伯爵の派閥に関する情報を、さらさらと書き込み始めた。




