第10話 おばあちゃん、黒革の手帖を開きます
「これが、前線の兵士たちのリアルな声ですよ」
シルバは、手帖から数枚の紙片を取り出し、机の上に滑らせた。
「『支給される食事が硬いパンと薄いスープだけで、慢性的な栄養失調である』。
『最新の鎧など支給されておらず、十年前の錆びた装備を使い回している』。
『ここ半年間、手当が満額支払われていない。ブラックな労働環境だ』……。
おや、バルカ伯爵? 王宮から毎年支給されている莫大な軍事費は、一体どこへ消えてしまったのかしら?」
「くっ、それは……前線の流通が滞っているだけで……!」
バルカ伯爵が言い訳をしようとするが、シルバの言葉の弾幕は止まらない。
「いいえ。流通のせいではありませんわ。流通を管理しているのは、そちらにいらっしゃるバルカ伯爵の副官、ギルベルト殿の親族が経営する商会ですね? そこで軍事費がピンハネされ、最新の装備は闇市で売却され、その利益が……あらあら」
シルバは、バルカ伯爵の目を真っ向から見据え、氷のように冷徹でありながらも、全てを慈しむような(相手にとっては最高に恐ろしい)笑みを浮かべた。
「バルカ伯爵、あなたの『愛人』が住む王都の一等地の高級邸宅の購入費と、彼女に買い与えられた大量の宝石の代金に、ぴったりと一致するようですけれど?」
「な、ななな……何故それを……!?」
バルカ伯爵は、顔を真っ赤にして絶句した。
愛人の存在も、軍事費の流用も、極秘裏に行っていたはずだった。だが、チヨが構築した『お掃除おばさんネットワーク』は、愛人の邸宅に出入りする出入りの業者や、邸宅のゴミからすべての証拠を割り出していたのだ。
「前世でもね、会社の経費で愛人にマンションを買い与えて失脚したワンマン社長が何人もいましたわ。お盛んなのは結構ですが、公私混同(コンプライアンス違反)はいけません。何より……命をかけて国を守っている若い兵士たちの食事をケチるなんて、私、絶対に許しませんよ」
シルバの瞳から、一瞬、本物の『鉄血』の鋭い光が放たれた。その凄まじい威圧感に、さしもの脳筋将軍・バルカ伯爵も、気圧されて一歩後ずさりした。
「バルカ伯爵。この件、すぐに監査を入れさせてもらいます。副官のギルベルト殿をはじめ、不正に関わった者はすべて……容赦なく『書類の山(罪状の証拠)』に沈んでいただきますわ」
シルバはトントン、と手帖を叩いた。
「ですが、伯爵。あなた自身は、部下に騙されていた(・・・・・・・・・)ということで、今回は大目に見て差し上げてもよろしくてよ? その代わり……分かっていらっしゃいますね?」
シルバの言葉の意図を、バルカ伯爵は瞬時に理解した。
ここで全面戦争をすれば、自分も確実に破滅する。だが、シルバは「トカゲの尻尾切り」で自分だけは助かる道を提示したのだ。
バルカ伯爵は、ガタガタと震えながら、ゆっくりと剣の柄から手を離した。
「……あ、あァ。我が副官が、まさかそのような不正を働いていたとは知らなかった。宰相殿の言う通り、徹底的な監査と、前線の待遇改善を……要求する……」
国内最大の武力派閥の長が、ついに若き宰相の前に、完全に屈服した瞬間だった。
背後で見ていたアルは、もはや憧れを通り越して、神を見るかのような目でシルバを見つめていた。
「フフ、話が早くて助かりますわ。さあ、アルさん。次の議題に移りましょうか」
シルバの完璧なマネジメントと、無敵の事務処理能力によって、弱小国リトアニアの歪んだ構造は、また一歩、劇的に塗り替えられていくのだった。




