閑話7 王の誤算
夜の北八王子。
黒いベンツは北八王子の工場地帯の道路に停まっていた。
後部座席では、大陸系魚人組織の首領・王が煙草をくゆらせている。
運転席には専属運転手。
助手席には王の弟。
前後を護衛する二台のセダンには、探索者ランクAの大型サメ型ディープワン三名と武装した親衛隊が乗車していた。
王は煙を吐きながら笑う。
「今頃、軍警は混乱している頃だ。」
助手席の弟も口元を緩めた。
「兄貴。」
「八王子と魚人街を制圧したら、俺にはやりたいことがある。」
「人間どもを奴隷にして、俺だけのハーレムを作る。」
「我々魚人は人間との繁殖本能が強い。」
「勝者として好きに生きる。それが俺たちの時代だ。」
王は豪快に笑った。
「いい考えだ。」
「軍警の女どもは美人が多いと聞く。」
「八王子を手に入れれば、この国の王になったも同然だ。」
「はっはっはっ!」
車内に笑い声が響く。
しかし――。
その笑いは、不意に止まった。
前方から、何かがよろめきながら近づいてくる。
大型サメ型ディープワン。
親衛隊長・潘鳳だった。
「な……。」
王が目を見開く。
潘鳳の身体は右半身が大きく損壊し、血を流しながらふらついている。
「ワン……様……。」
「逃げ……て……。」
「早……く……。」
そう言い残し、ベンツのボンネットへ倒れ込んだ。
「何だと――」
次の瞬間だった。
ドンッ!
凄まじい衝撃音。
潘鳳が握っていたミスリル製の長槍が一直線に飛来する。
槍はフロントガラスを貫き、
運転手と助手席の弟の頭部を同時に貫通した。
二人は一言も発することなく絶命する。
「なっ!?」
王は勢いよくドアを蹴り開け、車外へ飛び出した。
腰の剣帯から一本の長剣を抜き放つ。
探索者ランクS専用武器。
ミスリルとアダマンタイトの複合鍛造剣――
紅青剣、大陸15魔剣と言われる超業物である。
大型魔力電池シリンダーを装着すると、刀身へ魔力が流れ込む。
赤い炎が剣を包み込み、周囲の空気を揺らした。
王は周囲を見回す。
護衛は誰一人として立っていない。
全員倒されていた。
静寂の中――
一人の女性がゆっくりと歩み出る。
軽プロテクターを装備した軍警隊員。
その右手には、全長二メートルにも及ぶ大型両刃斧。
投光器の光を受けた刃が鈍く輝く。
王は剣を構え、笑みを浮かべた。
「……なるほど。」
「なかなかの手練れと見た。」
「だが俺は探索者ランクS。」
「剣技で俺に敵う者など、この国にはほとんどおらん。」
その女の顔を見た瞬間、王は思わず息をのんだ。
戦場には似つかわしくないほど整った、美しい顔立ち。
「惜しい。」
「こんな女を斬らねばならんとは。」
「だが勝負だ!」
王は地面を蹴る。
炎をまとった紅青剣が、目にも止まらぬ速度で振り抜かれる。
――パキン。
乾いた音だけが響いた。
王の身体が止まる。
手元を見る。
紅青剣は根元から真っ二つに折れていた。
「……え?」
「ちょ、ちょっと待て!」
「これはアダマンタイトとミスリルの複合鍛造だぞ!」
「金属強化符呪!」
「火属性符呪!」
「鉄すら溶かす業物だ!」
「それを……。」
「プラスチックの定規みたいに折るだと!?」
女性隊員は小さくため息をついた。
「話、終わった?」
王は言葉を失う。
彼女は斧を肩に担ぎながら、面倒そうに続けた。
「私、とっくに勤務時間終わってるんだけど。」
「今日は理想のモフモフに会えて、機嫌よかったのに。」
「……あんたたちのせいで残業。」
「また晩ご飯、ラーメンか牛丼になりそう。」
「太っちゃうじゃない。」
そう呟くと、彼女は斧の柄に装着された魔力電池シリンダーを軽く叩いた。
低い駆動音とともに魔力が流れ込み、
巨大な両刃斧が青白い光を帯び始めた。
その一歩だけで、王は本能的に悟る。
自分は、勝てない相手の前に立ってしまったのだと。




