閑話8 狂犬ゾンビ
女が静かに巨大な両刃斧を構える。
斧身に装着された魔力電池シリンダーが低く唸り、魔力が流れ込む。
ゴォン――。
刃全体が青白い光を放ち始めた。
その光を見た瞬間。
王の全身から血の気が引いた。
「ま……まさか……。」
遠い記憶が脳裏によみがえる。
8年前。
降魔戦争末期――。
上海奪還作戦。
当時、王は半魚人として大陸陸軍に属し、強化装甲剣士として戦場へ投入されていた。
上海市街の入口。
高さ十二メートルを超える超大型邪神眷属が、まるで三国志の武将のように一体で道を塞いでいた。
戦車連隊は薙ぎ払われ。
航空爆撃は巨大な結界に阻まれる。
敵の精鋭のディープワン生体装甲歩兵がビルの高所などから電撃銃を浴びせ
戦線は崩壊寸前だった。
その時だった。
敵陣の一角が突然崩れた。
青く輝く巨大な斧。
その一撃ごとに敵ディープワンの体が砕け、切り裂かれて吹き飛ぶ。
返り血を浴びながら進む、一人の女。
顔は大きく潰れ、片腕は失われ、生体特殊義手を装着していた。
脚を引きずりながら、それでも止まらない。
敵の大型ディープワンを一体、また一体と斬り伏せていく。
大陸軍の兵士たちは、その姿を見て叫んだ。
「日本から援軍が来たぞ!」
「狂犬ゾンビだ!」
「またあいつが来やがった!」
恐怖ではなく、歓喜の声だった。
誰も止められなかった超大型邪神眷属を、その女は巨大な斧で討ち倒した。
その瞬間、上海解放作戦は一気に前進した。
王は震える声を漏らす。
「その……その斧は……。」
「上海の……。」
「狂犬ゾンビが持っていた斧じゃないか……。」
女はどこか懐かしそうに斧を見つめる。
「ああ、これ?」
「昔からの相棒。」
「戦争で顔は潰れるし、腕は吹っ飛ぶし。」
「生体特殊義手まで付けて戦ってた。」
肩をすくめる。
「そのあと上海に超弩級邪神眷属がいるって聞いてさ。」
「ちょうど三十体目の邪神眷属狩りの締めにいいかなって思って行ったんだ。」
王は顔を引きつらせた。
「だから……。」
「俺の護衛が一瞬でやられたのか。」
そして目の前の女を見つめる。
戦争の記憶にある、あの傷だらけの怪物の姿はない。
そこに立っているのは、まるで伝説に語られる傾国の美女だった。
「ゾンビみたいだったあんたが……。」
「そんな姿になるなんて……。」
女は少しだけ笑う。
「ほら。」
「頭の中で”パンパカパーン”って鳴ったじゃん。」
「ニャルラトホテプがさ。」
「『邪神眷属三十体撃破、おめでとう』って。」
「ボーナスで”失われた本来の姿”をくれたんだよ。」
「肉体再生。」
「超再生。」
「おまけ付き。」
少し空を見上げる。
「面白いよね。」
「家族も。」
「仲間も。」
「全部失って。」
「魚人と邪神眷属だけをひたすら殺し続けたら。」
「最後にもらったのが、この身体。」
肩をすくめ、小さく笑う。
「でも……。」
「どうでもいい。」
「そんなこと。」
再び斧を構える。
青白い光が夜闇を照らした。
王は悲鳴を上げながら腰のホルスターから小型短機関銃を抜き放つ。
「来るなぁぁぁ!」
引き金を引く。
銃口が火を吹き、弾丸が一直線に飛ぶ。
数発が女の顔へ命中する。
しかし。
弾丸は皮膚へ食い込んだ次の瞬間、盛り上がった肉に押し出されるように地面へ転がった。
カラン……。
傷はみるみる塞がっていく。
何事もなかったかのように、美しい肌へ戻っていく。
王は後ずさる。
「ば……化け物……。」
「邪神眷属と何も変わらんじゃないか……!」
やがて乾いた音だけが響く。
カチッ。
カチッ。
弾切れだった。
静寂が訪れる。
女はゆっくりと歩き出す。
巨大な両刃斧を肩から下ろし、静かに構えた。
「さようなら。」
「大陸の半魚人。」
「せっかく平和になったのに。」
「あなたたちは、また戦争を始めようとした。」
夜風が吹き抜ける。
青白く輝く斧が、静かに振り上げられた。




