第39話 やっと家に着く。
二郎は買い物袋を三輪電動自転車の荷台へ載せた。
刺身の入った袋には、魚屋がサービスで入れてくれたクラッシュアイスの小袋がいくつも入っている。
「これなら家まで安心だな。」
『魚屋も慣れたもんじゃの。』
『夏場でもこれなら鮮度を保てるわい。』
ダニッジが感心したように頷く。
二郎は、ゆっくりとペダルを踏み始めた。
夕暮れの八王子市街を抜け、北八王子駅方面へ向かう。
今日は朝から鑓水ダンジョンフィールドへ行き、魔物を狩り、素材を回収した。
その後、魚人街へ行き、素材を売り、買い物をして、さらに柏木沙織という、とんでもなく濃い人物と知り合いになった。
「……今日は長い一日だったな。」
『うむ。』
『魔物より人間の方が疲れる一日じゃった。』
「それは言えてる。」
そんな話をしながら走っていると――。
北八王子駅前近くで、車列がぴたりと止まった。
「ん?」
二郎もブレーキを握る。
前方を見ると、大型トラックが二台、道路脇に停車していた。
車体には大陸系企業らしい会社名が大きく書かれている。
その周囲では、四十人ほどの作業員が荷物を降ろしていた。
しかし、誘導係同士の連携が悪い。
トラックが道路を半分以上塞ぎ、後続の車や自転車が通れなくなっている。
クラクションが鳴る。
「ちょっと……。」
二郎は眉をひそめた。
「もう少しちゃんと誘導してくれないかな。」
誰かが怒鳴る。
別の車がクラクションを鳴らす。
作業員たちは慌てているものの、なかなかトラックを動かさない。
結局、二郎は十分ほど足止めされた。
ようやくトラックが移動し、道路が開く。
「やっと動いた。」
二郎はペダルを踏み直した。
「予定より遅くなっちゃったな。」
『今日は災難続きじゃの。』
「ほんとだよ。」
二郎は苦笑した。
自転車を漕いで八王子駅前を抜け、自宅のある三崎町の雑居ビルへ向かう。
飲み屋街へ差しかかったところで、数人の客引きが二郎を見つけた。
「おい。」
「見ろよ。」
「山羊獣人がチャリ乗ってるぞ。」
「なんだあれ。」
「キモッ!」
指を差しながら笑っている。
二郎はその声を聞いて、ゆっくりと自転車を止めた。
そして振り返る。
「……。」
客引きたちを見る。
その目つきが、少しだけ変わった。
口元には、どこか邪悪な笑み。
二郎は低く静かな声で言った。
「……てめぇらの顔は覚えた。」
「次に絡んできたら、覚悟しろ。」
それだけだった。
怒鳴りもしない。
近づきもしない。
ただ、じっと見つめる。
その視線を受けた客引きたちは、先ほどまでの笑顔を消した。
「……。」
「……なんだよ、こいつ。」
一人が小声で呟く。
しかし、それ以上は何も言わない。
二郎は何事もなかったかのように前を向いた。
そして三輪電動自転車にまたがる。
『ほう。』
ダニッジが感心したように笑った。
『柏木から、人の心理を揺さぶるやり方を少し学んだようじゃな。』
『大声を出さずとも、目と声だけで相手を退かせる。』
『なかなかのものじゃ。』
「いや。」
二郎は苦笑する。
「渋滞でイライラしてただけだよ。」
『ほっほっほ。』
『案外、柏木とは相性がいいのかもしれんぞ。』
「え?」
二郎が嫌な予感を覚える。
『問題は……。』
ダニッジが妙に楽しそうな声を出した。
『あやつ、体力がとんでもなくありそうじゃ。』
『付き合うことになったら、夜は大変そうじゃのう。』
「うわぁ……。」
二郎は思わず顔をしかめた。
「なんか妙にリアルに想像できる。」
『クックック……。』
ダニッジは楽しそうに笑った。
「変なこと言うなよ。」
『何を今さら。』
そんな他愛もない会話をしながら、二郎は三輪電動自転車を走らせる。
やがて、見慣れた雑居ビルが見えてきた。
「やっと帰れた。」
駐輪場へ自転車を入れる。
三輪電動自転車を所定の位置に止め、ワイヤーロックを掛ける。
そして荷台から買い物袋を一つずつ降ろした。
「よいしょ……。」
刺身。
甘エビ。
マグロフライ。
牡蠣フライ。
そして、魚人街で購入した品々。
今日一日でかなりの荷物になっていた。
「よし。」
二郎は両手に袋を抱え、階段を上る。
部屋へ戻ると、まず魚介類を冷蔵庫へ入れた。
刺身の袋を開ける。
クラッシュアイスはまだ冷たい。
「おお。」
「鮮度は大丈夫そうだな。」
『さすが魚人街じゃ。』
『最後まで食い物を守るとは、なかなか分かっておる。』
「魚屋さんに感謝だな。」
二郎は刺身を冷蔵庫へしまい、残りの惣菜も整理する。
そして探索用の装備を外した。
火かき棒。
投げナイフ。
スリングショット。
ベルトポーチ。
リュック。
作業着。
一つずつ確認して、ダイニングの隅へ丁寧に立て掛ける。
「……。」
二郎は大きく息を吐いた。
朝からずっと動きっぱなしだった。
魔物との戦闘。
素材の回収。
魚人街での売買。
新しい魔力電池シリンダーの購入準備。
そして――。
柏木沙織との遭遇。
「……濃すぎる一日だった。」
『うむ。』
『だが、悪くはなかったじゃろ。』
「まあな。」
二郎は小さく笑った。
「明日は符呪の準備もしないとな。」
『まずは飯じゃ。』
『今日の夕食を楽しみにしておったのを忘れたか?』
「ああ。」
二郎は冷蔵庫を開ける。
「ダニッジ。」
「先にシャワー浴びて、少し休んだら飯にしよう。」
『賛成じゃ。』
『今日は豪華な夕食じゃからのう。』
二郎は浴室へ向かいながら、ふと立ち止まった。
「……そういえば。」
『なんじゃ?』
「柏木さん、本当に友達になったのかな。」
『約束までしたじゃろ。』
「……そうだった。」
二郎は少しだけ苦笑した。
『まあ、よいではないか。』
『探索者としても、人間としても、知り合いが増えるのは悪いことではない。』
「……まあな。」
二郎は浴室へ入っていく。
今日一日の疲れを洗い流すように、熱いシャワーを浴びる。
外では、八王子の街に夜が訪れ始めていた。
そして二郎の部屋の冷蔵庫には――。
魚人街で買った、新鮮な刺身と魚介料理が出番を待っていた。
長く濃い一日が、ようやく終わろうとしていた。




