第35話 少佐と友達になる。
柏木は二郎の前へ半歩回り込むと、少しかがんで顔を覗き込んだ。
吸い込まれそうな青い瞳。
戦場を幾度も生き抜いてきたとは思えないほど整った、美しい顔立ち。
その距離は、互いの息遣いが感じられるほど近い。
「ねえ。」
「二郎ちゃん。」
「彼女みたいな子とか……いるの?」
突然の質問だった。
「えっ?」
二郎は思わず固まる。
柏木は頬をほんのり赤く染め、指先をもじもじと合わせる。
「私さ……。」
「ほら、戦争ばっかりだったから。」
「普通の恋愛とか、そういうの全然分からなくて。」
照れくさそうに笑いながら、二郎のふわふわした黒い毛並みに視線を向ける。
「それに……。」
「モフモフしてて、小さくて可愛い子、大好きなの。」
「だから……。」
少し照れ笑いを浮かべる。
「よかったら、お知り合いにならない?」
「お休みの日に、一緒にご飯とか食べたり。」
「お買い物したり。」
「そういう普通のこと、してみたいなって。」
真正面から向けられる笑顔。
モデルのような美貌。
優しく甘い声。
二郎の頭の中が真っ白になる。
(え……。)
(こんな美人に誘われるなんて……。)
前の世界では、ごく普通の会社員だった。
恋愛経験もほとんどなく、女性から積極的に話しかけられた記憶など数えるほどしかない。
そのため、柏木の言葉は胸の奥へ真っ直ぐ突き刺さる。
(ど、どうしよう……。)
(こんなの反則だろ……。)
頬がみるみる赤くなっていく。
その様子を見たダニッジが、慌てた声で脳内へ語りかけた。
『二郎。』
『……こやつ、SANが低いぞ。』
(SAN?)
『うむ。』
『戦争を十四歳から経験して、家族も失っておる。』
『精神の耐久力が普通の人間とは違う方向に壊れておるのじゃ。』
『しかも今の状態で、このモフモフへの食いつき方。』
『地雷案件じゃぞ。』
(……地雷案件。)
二郎は沙織をちらりと見る。
目の前では、姫カットの美人軍人が満面の笑みを浮かべている。
どう見ても危険人物には見えない。
(……でも、言われてみれば。)
(さっき戦争の話をしてた時と、今のテンションが違いすぎる。)
『そうじゃ。』
『精神の振れ幅が大きすぎる。』
『お主、変に期待するでないぞ。』
『これは恋愛イベントではない。』
『高確率で特殊イベントじゃ。』
(なんでゲームみたいに言うんだよ……。)
二郎は心の中でため息をついた。
しかし――。
そんな警戒とは裏腹に、沙織の笑顔を見ていると不思議と嫌な感じはしなかった。
柏木は二郎の反応を見て、くすっと笑う。
「ふふっ。」
「二郎ちゃん、可愛い反応するんだね。」
「いや、その……。」
二郎はさらに顔を赤くした。
「俺、こういうの慣れてないんです。」
「そうなん?」
「はい。」
沙織は少し照れたように笑った。
「じゃあ、私も一緒や。」
「え?」
「戦争ばっかりやったからな。」
「休みの日に誰かと買い物したり、ご飯食べたり。」
「そういう普通のこと、ほとんど経験ないんよ。」
二郎は少し驚いた。
誰もが知る英雄。
八王子軍警の少佐。
数々の戦場を生き抜いた歴戦の兵士。
そんな女性が、自分と同じように「普通の生活」を知らない。
「……じゃあ。」
二郎は少し考えてから答えた。
「友達からなら……。」
沙織の目がぱっと輝く。
「ほんま!?」
「はい。」
「じゃあ友達や!」
「……早いですね。」
「善は急げや!」
沙織は嬉しそうに笑った。
その笑顔は、先ほどまで戦争の記憶を語っていた軍人とは思えないほど無邪気だった。
『二郎。』
ダニッジが小声で呟く。
(何?)
『やはり地雷じゃ。』
(まだ言うか。)
『言うとも。』
『ただし……。』
『今のところ、お主に危害を加える気はなさそうじゃ。』
『ならば、友人として距離を保つ程度なら問題あるまい。』
(それならいいけど。)
沙織は二郎の顔を覗き込む。
「じゃあ、今度ほんまにご飯行こな。」
「約束やで?」
「……はい。」
二郎が頷く。
『……約束してもうた。』
ダニッジが小さくため息をついた。
『まあ、頑張れ二郎。』
『地雷原の中を歩くのも、探索者の修行じゃ。』
「いや、それとこれとは違うだろ……。」
沙織は二人のやり取りを聞いて、楽しそうに笑っていた。




