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「魔力なしの石ころが王妃など笑わせるな」と婚約破棄されましたが、もう少しで聖女さまの魔法が切れますので、どうぞそのままお続けくださいませ  作者: 桜野結
第9部

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第60話

割れた石の上で、砂時計がほどけた。


 光が、ひと筋。陛下の頭の上の砂時計も、同時に、ほどけていく。ふたつの光が、天井の砂時計のあいだを縫って、昇っていった。


 陛下は、剣を握ったまま、動かない。


 目を見開いている。何かが、一度に戻ってくるのを、受けとめているような顔で。


 やがて、陛下は、剣を取り落とした。


「……姉上」


 大広間の真ん中で、陛下は、12の子どものような声でそう言った。


 それから、わたくしの前まで歩いてくる。


「すまない」


「何が、でございますか」


「回廊で、毎朝、待たせた」


「はい」


「栞を、誰にもらったのかと聞いた」


「はい」


「王冠より、そなたを先に、忘れた」


 陛下の耳が、燭台より赤い。


 わたくしは、笑った。笑ったら、涙が出てしまう。


「思い出してくださったので、帳消しにいたします」


◇


 ベルンハルト師が、割れた王冠を拾い上げた。


「器は、かけた者の手で、かけたその場で封じねばならん。……冬の謁見の夜、陛下の冠を手にしたのは、誰だ」


 大広間の目が、ひとところに集まる。


 謁見のあと、控えの間で陛下の冠を外し、盆に載せて宝物庫へ運んだのは、侍従長である。宝物庫の鍵を持つのも、侍従長ひとり。


 ブラント伯は、それでも、背筋を伸ばしていた。


「私は、術士ではございません」


「そうだろうな」


 陛下が言う。


「控えの間には、もうひとりいた。そなたの甥だ。魔術院の、若い術士の」


 陛下は、思い出されたのだ。わたくしについての思い出と一緒に、あの夜、控えの間で冠を外したときのことも。


 アルノーが、大広間の隅に目をやった。若い術士が、ひとり、壁ぎわで真っ青になって震えている。


 近衛が、その両脇を取った。


 術士は、師の前で、すべてを白状した。伯父に言われて、禁じられた術を古い書から写したこと。冠を外した陛下に、控えの間で術をかけたこと。器に選んだのが、誰も割れない冠だったこと。


「割れるはずが、ないと……」


 術士は、うわごとのように繰り返していた。


「7代の冠を、割る王など……」


「2度、賭けたのだ」


 陛下の声は、静かである。


「3度目は、割るくらい、どうということはない」


 ブラント伯は、侍従長の職と爵位を解かれ、王都を追われることになる。甥の術士は魔術院から追われ、二度と術を使えぬよう、手に封を受けた。娘のヘレーネ様を新しい妃にと、評定の間で根回しをしていたことも、あとから知れている。


 評定の間で噂にうなずいていた方々は、しばらく、わたくしと目を合わせなかった。


 アルノーは、ずいぶん長いこと、わたくしの前で頭を下げつづけた。魔術院から、禁術を写す者を出したことを。


「顔を上げなさい。あなたが見つけてくれなければ、あれが忘却の術だとも、わからなかったのだから」


 ユリウス殿下は、春まで王都に留まることになった。


「割るとは思わなかった」


 殿下は、陛下の肩を叩いて笑った。


「俺なら、迷っているうちに砂が落ちきる」


「迷った」


 陛下は、真顔で答える。


「祈りのあいだ、ずっと迷っていた。……それで、この人の頭の上を見たら、口が勝手に動いた」


 殿下は、わたくしのほうを見て、肩をすくめた。


「7年も毎朝言っていれば、口が覚えるか」


◇


 新しい石は、春までにはまる。


 それまで、陛下は、石の抜けた冠を戴くことになった。抜けた穴を、陛下はたいそう気に入っておられる。


「穴が開いているほうが、軽い」


「そういうものでしょうか」


「そういうものだ」


 ロッテは、父親の膝の上で、冠の穴をのぞきこんで笑っている。


「おとうさま。もう、忘れませんか」


「忘れない」


「本当に?」


 陛下は、少し考えた。


「忘れても、毎朝、頭の上を見る。……それは、忘れなかった」


◇


 翌朝、陛下は戸口で足を止めて、わたくしの頭の上を見上げた。


 少し、長く。


「何もないな」


「はい、何も」


 それから、陛下は、ほっとしたように息をついた。


 自分の頭の上を、わたくしが見上げていることに気づいて、陛下が眉を上げる。


「こちらは」


 撫でつけた髪の上には、整髪の術の砂時計が、ひとつだけ。


「ございます。いつもの分だけ」


 陛下は、笑った。


 戸口の陰から、ロッテが、ふたりの頭の上を見比べて、満足そうにうなずいている。



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