第118話 核心
――「最後の名前」
その扉を。
俺は見つめていた。
「……最後の名前」
ミラが呟く。
「もうすぐ終わるってことかな」
「たぶんな」
「でも」
「こういう時って」
「だいたい終わらないよね」
「……」
否定できない。
ここまで来て。
素直に終わったことなど。
一度もない。
「行くぞ」
「うん」
俺は。
扉を開けた。
――。
そこには。
何もなかった。
いや。
一つだけ。
白い紙が。
空中に浮かんでいる。
文字は。
まだない。
「……」
ミラが。
紙を見る。
「名前を書くのかな?」
「たぶん」
「じゃあ」
ミラが俺を見る。
「レインって書けば?」
「簡単すぎるだろ」
「でも」
「あなたの名前でしょ?」
「そうだけど」
「じゃあ問題ないじゃん」
「……」
俺は。
少し笑った。
「お前」
「こういう時だけ強いな」
「いつも強いよ」
「自分で言うか」
その時。
紙に。
文字が浮かんだ。
――最後の名称を入力してください。
俺は。
紙を見つめる。
「……」
レイン。
そう書けばいい。
今までなら。
そうしていた。
だが。
俺は。
ペンを持たなかった。
「どうしたの?」
「これ」
「名前を決めろって言ってる」
「うん」
「でも」
俺は。
紙を指差す。
「誰の名前を?」
ミラが。
黙った。
確かに。
書かれていない。
――対象:?
――所有者:?
――役割:?
何もない。
ただ。
“最後の名称”。
「……対象がないのに」
「名前だけ決めろって?」
「ああ」
その瞬間。
紙が震えた。
――対象:現在のレイン。
俺は。
眉をひそめる。
「俺?」
――最終名称を選択してください。
選択肢が現れた。
――レイン。
――三十二。
――七。
――R。
――M-02。
そして。
最後に。
――未定義。
ミラが。
小さく息を吐いた。
「……またこれだ」
「ああ」
「選ばせる気だね」
「でも」
俺は。
選択肢を見る。
どれも。
俺が過去に触れた名前や番号だった。
三十二。
七。
R。
M-02。
そして。
レイン。
「……」
俺は。
一番下を見る。
――未定義。
「これ」
ミラが。
俺を見る。
「レインが好きなやつ」
「好きじゃない」
「でも」
「よく選ぶ」
「……」
確かに。
そうだった。
システムが。
答えを用意する。
俺は。
そのどれかを選ばされる。
だが。
今なら。
一つ分かる。
「名前は」
「選択肢の中から」
「選ぶものじゃない」
ミラが。
笑った。
「うん」
俺は。
紙を裏返す。
そこには。
何もない。
白紙。
「じゃあ」
「書く?」
「いや」
「まだ書かない」
「……」
ミラが。
少し驚いた顔をする。
「じゃあどうするの?」
「呼ぶ」
「誰を?」
「俺を」
俺は。
静かに。
口を開いた。
「レイン」
――。
何も起きない。
もう一度。
「レイン」
――カン。
紙に。
一文字。
レ
「……」
さらに。
「レイン」
――カン。
イ
最後に。
「レイン」
――カン。
ン
紙に。
名前が完成した。
――レイン。
しかし。
その下に。
新しい文字が出る。
――発生条件:呼称。
――所有者:なし。
――変更権限:本人。
――役割:なし。
俺は。
静かに息を吐いた。
「……これでいい」
ミラが。
隣で頷く。
「うん」
だが。
システムは。
まだ終わらなかった。
紙が。
黒く染まる。
――警告。
――名称「レイン」は、既に複数存在します。
「……」
俺は。
思わず笑った。
「またか」
――同一名称の統合を推奨します。
――対象を一つに統合しますか?
選択肢。
――はい。
――いいえ。
ミラが。
俺を見る。
「どうする?」
「どっちも選ばない」
「……だよね」
俺は。
紙を破った。
ビリッ。
白い紙が。
真っ二つになる。
その瞬間。
世界が。
大きく揺れた。
――選択不能。
――統合不能。
――名称:複数。
――同一性:別。
そして。
初めて。
システムが。
一つの言葉を表示した。
――許可。
「……」
俺は。
目を見開いた。
「許可?」
ミラが。
嬉しそうに笑う。
「システムが折れた」
「言い方」
「でも」
「本当にそうじゃない?」
確かに。
そうかもしれない。
システムは。
俺たちを。
分類するために存在していた。
名前。
番号。
役割。
人格。
生存。
全部。
何かを。
決めるため。
でも。
今は。
決めないことを。
許した。
その瞬間。
部屋の奥に。
人影が現れた。
「……誰だ?」
影は。
ゆっくり。
こちらを見る。
その顔を見た瞬間。
俺は。
言葉を失った。
「……俺?」
そこにいたのは。
俺と。
まったく同じ顔。
だが。
今まで見た誰とも違う。
若くもない。
古くもない。
五十年前でも。
二十八年前でも。
現在でもない。
ただ。
“いつの俺なのか分からない”。
そんな顔だった。
「お前は」
「誰だ?」
影は。
答えた。
「名前を持たなかった」
「……」
「番号も」
「役割も」
「記憶も」
「身体すら」
「まだ決まっていなかった」
「じゃあ」
「何なんだ?」
影は。
俺を見る。
「お前だ」
「……俺?」
「正確には」
一拍。
「お前が」
「何者になるかを決める前の」
「お前」
俺は。
黙った。
R。
M。
第五存在。
最初のレイン。
どれとも違う。
こいつは。
“始まる前の俺”。
「……それなら」
「名前は?」
影が。
笑った。
「お前が決める」
「……」
「だが」
「俺に名前を付けると」
「お前は」
「俺を選ぶことになる」
ミラが。
すぐに口を挟んだ。
「じゃあ」
「付けなくていいよ」
「……」
影が。
ミラを見る。
「なぜ?」
「だって」
ミラは。
肩をすくめた。
「名前がなくても」
「存在できるんでしょ?」
「……」
「なら」
「無理に決めなくていい」
影が。
黙る。
俺も。
何も言わない。
やがて。
影が。
小さく笑った。
「……そうか」
「うん」
「それも」
「選択か」
「たぶんね」
ミラが。
得意そうに言う。
「選ばないっていう選択」
「……」
その瞬間。
壁に。
新しい文字が浮かんだ。
――最終選択者:現在のレイン。
――選択内容:未定義。
――名称:レイン。
――自己呼称:成立。
――他者呼称:継続。
そして。
最後。
――自由領域:50%→63%。
「……63」
俺は。
その数字を見る。
「まだ半分以上か」
ミラが。
首を傾げる。
「でも」
「世界再構成は?」
壁を見る。
――世界再構成:50%。
「変わってない」
「……」
第五存在が。
初めて。
少しだけ。
不安そうな声を出した。
『世界は』
『まだ』
『半分』
俺は。
頷く。
「そうだな」
そして。
その時。
遠くから。
声がした。
――「なら、残り半分は誰が決める?」
俺たちは。
同時に振り返った。
誰もいない。
だが。
床に。
新しい扉が。
ゆっくり現れていた。
そこには。
今までで。
一番短い文字が刻まれている。
――「明日」
俺は。
その文字を見た。
ミラが。
小さく笑う。
「……最後の二話」
「そうだな」
「何が待ってるかな」
「さあな」
俺は。
扉に手を伸ばす。
だが。
触れる直前。
扉の向こうから。
俺自身の声がした。
『レイン』
俺は。
返事をする。
「何だ?」
すると。
向こう側から。
答えが返ってきた。
『明日を』
『誰が作る?』
俺は。
少し考えた。
そして。
笑った。
「……知らない」
『――』
「でも」
「俺が決めなくても」
「明日は来るだろ」
沈黙。
それから。
初めて。
システムではない声が。
はっきり笑った。
『――その答えを』
『待っていた』
扉が。
開いた。
その向こうには。
見慣れた景色があった。
南の町。
俺が育った町。
家。
街灯。
夜空。
そして。
家の前で。
誰かが立っている。
「……母さん?」
俺は。
思わず呟いた。
だが。
その人物が。
ゆっくり振り返る。
顔は。
まだ。
見えなかった。
ただ。
一言だけ。
聞こえた。
「おかえり」
その声に。
俺は。
なぜか。
涙が出そうになった。
そして。
その瞬間。
世界再構成率が。
初めて。
動いた。
――50%→51%。
俺は。
息を呑んだ。
明日が。
始まった。




