第112話 余白
――世界:再構成準備。
その文字を。
俺はしばらく見つめていた。
「……世界を」
「作り直す?」
ミラが呟く。
「嫌な言葉だな」
「うん」
「何が起こる?」
「分からない」
「だよな」
俺は。
壁に近づいた。
指先で。
文字に触れる。
――世界:再構成準備。
触れた瞬間。
文字が崩れた。
そして。
別の言葉になる。
――対象:未定。
「……」
もう一度。
変わる。
――範囲:未定。
さらに。
――開始条件:未定。
ミラが。
腕を組む。
「何も決まってないじゃん」
「それなのに準備だけしてる」
「気が早いね」
「システムらしい」
その時。
第五存在が。
俺たちの後ろから言った。
『違う』
「何が?」
『システムは』
『再構成したいわけじゃない』
「じゃあ?」
『怖いんだ』
俺は。
振り返った。
「何が?」
『このまま』
『世界が』
『決まらなくなることが』
「……」
ミラが。
小さく息を呑む。
「決まらなくなる?」
『番号がない』
『役割がない』
『名前がない』
『誰が誰なのか』
『何が何なのか』
『決められない』
「……」
『だから』
『システムは』
『全部を』
『もう一度』
『決め直そうとしている』
俺は。
壁を見る。
「つまり」
「再構成って」
「管理し直すってことか」
『たぶん』
「……」
嫌な予感がした。
この施設は。
ずっと。
同じことをしてきた。
名前を付ける。
番号を付ける。
役割を付ける。
不要なら消す。
それを。
世界全体に広げようとしている。
「ミラ」
「うん」
「これ」
「止められるか?」
「レインが聞く?」
「仕事だからな」
「便利な言葉だね」
ミラは。
少し考えた。
「たぶん」
「壊すだけなら簡単」
「でも」
「止めるだけじゃ」
「また別のシステムが作られる」
「……」
「だから」
ミラは。
第五存在を見る。
「この子が」
「必要なんじゃない?」
『僕?』
「うん」
『何をすればいい?』
「何もしなくていい」
『……』
「それが大事なんだと思う」
俺は。
ミラを見る。
「どういう意味だ?」
「何もしない存在が」
「初めてだから」
「……」
「今までの存在は」
「何かのために作られてたでしょ?」
「Mは観測」
「Rは選択」
「Sは生存」
「第四生存も」
「何かを残すため」
「でも」
ミラが。
第五存在を見る。
「この子には」
「何もない」
「だから」
「システムが」
「一番困る」
俺は。
納得した。
「役割がない存在」
「名前もない」
「番号もない」
「それでも存在している」
『うん』
「それが」
「システムの外側か」
『分からない』
「また分からないか」
『うん』
「便利だな」
『君ほどじゃない』
「……」
ミラが。
吹き出した。
「仲良くなってる」
「そう見えるか?」
「うん」
「名前もないのに?」
「名前がなくても仲良くなれるでしょ」
「……」
その言葉に。
胸の奥が。
少しだけ温かくなった。
その瞬間。
――警告。
空間全体が。
赤く染まった。
――未定義存在による干渉を検知。
――世界再構成を開始します。
「来た」
ミラが。
身構える。
床から。
無数の線が伸びる。
俺たちの足元を。
囲んでいく。
「逃げる?」
「どこに?」
「……ないね」
「だろ」
線が。
俺の足に触れた。
――対象:レイン。
――名称:レイン。
――役割:未定義。
――番号:なし。
――再登録を開始。
「断る」
文字が。
揺れた。
――拒否を確認。
次に。
ミラへ。
――対象:ミラ。
――番号:08。
「嫌」
即答だった。
――番号を付与します。
「嫌だって」
――役割:観測補助。
「嫌」
――人格:M-00派生。
「それも嫌」
ミラが。
俺を見る。
「レイン」
「何だ?」
「これ」
「結構腹立つ」
「珍しいな」
「私にもあるよ」
「何が?」
「怒る権利」
「……そうだな」
ミラが。
線を踏みつける。
すると。
線が消えた。
「……消えた?」
俺は。
足元を見る。
ミラも。
自分の足を見る。
「踏んだら消えた」
「雑だな」
「私の強み」
「それ強みなのか?」
だが。
システムは。
止まらない。
今度は。
第五存在へ。
――対象:未定義存在。
――番号を付与します。
第五存在が。
黙っている。
「……」
「おい」
俺が声をかける。
「嫌なら」
「嫌って言え」
『……』
「お前の選択だ」
『僕には』
『選択が分からない』
「なら」
「分からないって言え」
『……分からない』
その瞬間。
――処理不能。
システムが。
初めて。
止まった。
「……」
ミラが。
目を丸くする。
「勝った?」
「いや」
俺は。
首を振った。
「たぶん違う」
システムが。
文字を変える。
――「分からない」を選択として認識。
「……」
「やっぱり」
俺は。
頭を抱えた。
「そう来るか」
ミラが。
ため息をつく。
「システムって」
「何でも選択にするね」
「だから」
「自由が分からないんだろうな」
第五存在が。
静かに言った。
『僕』
『分からないことを』
『分からないままにしても』
『いいの?』
「いい」
『どうして?』
「俺だって」
「分からないことだらけだから」
「……」
「それでも」
「俺は俺だ」
『……』
「お前も」
「そのうち」
「そうなる」
第五存在が。
少しだけ。
こちらへ近づいた。
そして。
俺の手に。
触れた。
何も起こらない。
番号も。
名前も。
役割も。
現れない。
ただ。
五つ目の音が。
鳴った。
――カン。
「……」
俺の胸の四つの鼓動とは。
違う。
それは。
鼓動ではなかった。
金属音。
でも。
確かに。
生きている何かの音だった。
『これ』
ミラが。
小さく呟く。
「何だ?」
『たぶん』
「……」
『始まりの音』
「始まり?」
『うん』
『名前が生まれる前』
『世界が分かれる前』
『何かが選ばれる前』
一拍。
『最初に』
『鳴った音』
俺は。
その言葉を聞いて。
壁を見る。
そこには。
新しい記録が浮かんでいた。
――第五存在:起源音を確認。
――名称:未定。
――発生時点:分離前。
――選択:未発生。
そして。
最後の一行。
――「世界」の定義:未完了。
「……世界の定義?」
ミラが。
呟く。
「世界って」
「最初から世界だったんじゃないの?」
第五存在が。
答える。
『違う』
「じゃあ?」
『世界は』
『誰かが』
『世界だと』
『決めた』
「……」
『その前には』
『何も分かれていなかった』
俺は。
息を呑む。
「じゃあ」
「最初に世界を決めたのは」
『……』
第五存在が。
俺を見る。
『まだ』
『名前がない』
「……」
その瞬間。
施設全体が。
大きく揺れた。
壁が。
崩れる。
天井が。
裂ける。
そして。
遥か遠くから。
何か巨大なものが。
こちらへ近づいてくる音。
――ドン。
――ドン。
――ドン。
ミラが。
俺の腕を掴む。
「レイン」
「分かってる」
「何か来る」
「ああ」
「でも」
「ここ」
俺は。
周囲を見る。
「逃げ道がない」
その時。
第五存在が。
初めて。
自分から。
俺たちの前に立った。
『逃げなくていい』
「……」
『あれは』
『敵じゃない』
「何だ?」
『世界』
――ドン。
――ドン。
――ドン。
壁の向こうから。
巨大な影が現れる。
顔はない。
身体もない。
ただ。
空間そのものが。
こちらへ向かって歩いてくる。
そして。
俺たちの前で。
止まった。
壁に。
最後の文字が浮かぶ。
――世界:初期化します。
俺は。
その文字を見て。
ゆっくり。
拳を握った。
「……させるかよ」
その瞬間。
五つ目の音が。
もう一度。
鳴った。
――カン。
そして。
世界が。
初めて。
俺たちを見た。




