第111話名前より先にあったもの
――第五存在:確認開始。
その文字が。
暗闇の中で。
ゆっくりと浮かんだ。
「……第五」
ミラが。
俺の隣で呟く。
「また増えたね」
「増えたというより」
「見つかったんじゃないか?」
「どっちでも怖いよ」
「確かに」
俺は。
前を見る。
さっきまで何もなかった場所に。
一つの細い通路が伸びていた。
壁も。
天井も。
ない。
ただ。
暗闇の中に。
白い線だけが続いている。
その先に。
何かがある。
そんな気がした。
「行く?」
ミラが聞く。
「行く」
「即答だね」
「ここまで来て帰るのも面倒だ」
「理由がレインらしい」
俺たちは。
白い線に沿って歩いた。
しばらくすると。
足元に。
文字が現れた。
――名称:なし。
「……名前がない」
さらに進む。
――人格:なし。
もう少し。
――身体:なし。
さらに。
――役割:なし。
ミラが。
首を傾げる。
「これ」
「第四生存と同じじゃない?」
「いや」
俺は。
立ち止まった。
「違う」
「どこが?」
「第四生存には」
「“生存”があった」
「……」
「こいつには」
「何もない」
ミラが。
黙った。
その瞬間。
前方から。
声がした。
『あるよ』
「……!」
俺たちは。
同時に顔を上げた。
『何もないわけじゃない』
声は。
近い。
でも。
姿が見えない。
「じゃあ」
「何がある?」
『まだ』
『決まっていない』
「……」
『だから』
『何もないように見える』
俺は。
少し考えた。
「それ」
「Rと同じじゃないか?」
『違う』
「どこが?」
『Rは』
『選ぶ前だった』
『僕は』
『選ばれる前』
「……」
ミラが。
小さく呟く。
「選ばれる前……」
声が続く。
『Rは』
『自分で選ぶための空白』
『僕は』
『誰にも選ばれていない空白』
「……」
俺は。
暗闇に向かって言う。
「じゃあ」
「お前は何なんだ?」
『分からない』
「自分でも?」
『うん』
「名前は?」
『ない』
「欲しい?」
『分からない』
「生きたい?」
『分からない』
「死にたい?」
『分からない』
ミラが。
俺を見る。
「……すごいね」
「何が?」
「全部分からない」
「便利な奴だな」
『便利?』
「いや」
「忘れてくれ」
声が。
少しだけ笑った。
『君は』
『変だね』
「よく言われる」
『僕も』
「……?」
『君に会う前から』
『そう言われていた』
「誰に?」
『誰にも』
「……」
意味が分からない。
だが。
その言葉には。
妙な寂しさがあった。
誰にも選ばれない。
誰にも呼ばれない。
誰にも名前を与えられない。
それは。
Rの「空白」とも違う。
Mの「選ばれた後の空白」とも違う。
Sの「生き残ったもの」とも違う。
そして。
第四生存とも。
違う。
「お前」
「ずっとここにいたのか?」
『うん』
「いつから?」
『最初から』
「……」
『でも』
『“最初”という言葉ができる前から』
ミラが。
目を見開いた。
「それって……」
『そう』
声が。
静かに答える。
『僕には』
『始まりもない』
俺は。
周囲を見る。
そこには。
何もない。
記録も。
扉も。
番号も。
名前も。
何一つ。
「じゃあ」
「どうして今」
「俺たちの前に出てきた?」
『君が』
『ここまで来たから』
「俺が?」
『うん』
「俺が何かした?」
『した』
「何を?」
『誰も』
『消さなかった』
胸が。
四つ鳴る。
――ドクン。
――ドクン。
――ドクン。
――ドクン。
『Mを消さなかった』
『Rを消さなかった』
『Sを消さなかった』
『第四生存も』
『消さなかった』
「……」
『だから』
『僕が』
『見えるようになった』
ミラが。
静かに息を吐く。
「つまり」
「レインが何かを残したから」
「こいつが見えた?」
『違う』
「え?」
『僕は』
『残されたんじゃない』
『ずっと』
『残っていた』
「……」
『ただ』
『誰も』
『見ようとしなかった』
その言葉が。
妙に胸に残った。
誰も見なかった。
誰にも選ばれなかった。
名前もない。
役割もない。
それでも。
消えなかった。
「……お前」
「もしかして」
「“自由”か?」
沈黙。
長い。
そして。
『違う』
「……」
『自由は』
『選んだ後に生まれる』
『僕は』
『選ぶ前ですらない』
「じゃあ何だ?」
『……』
声が。
初めて。
迷った。
『たぶん』
『可能性』
「……」
『何かになる前の』
『何にでもなれるもの』
ミラが。
小さく呟く。
「それって」
「名前を持つ前の人と」
「同じじゃない?」
『違う』
「どうして?」
『人は』
『いつか』
『自分を決める』
『僕は』
『決められることすら』
『決まっていない』
俺は。
その言葉を聞いて。
少しだけ。
嫌な予感がした。
「……それ」
「システムにとっては」
「一番困る存在じゃないか?」
声が。
止まった。
ミラも。
黙った。
そして。
遠くから。
機械音が聞こえた。
――警告。
――未定義存在を検知。
――分類不能。
――登録処理を開始します。
「……やっぱり」
俺は。
ため息をついた。
「来たか」
ミラが。
俺の袖を掴む。
「どうする?」
「決まってる」
「また拒否?」
「ああ」
壁に。
新しい文字。
――番号を付与します。
「いらない」
――役割を付与します。
「いらない」
――名前を付与します。
「……」
俺は。
少しだけ考えた。
そして。
「それも」
「いらない」
ミラが。
笑った。
「レイン」
「何だ?」
「その子」
「何て呼ぶ?」
「……」
俺は。
暗闇を見る。
声の主は。
まだ。
姿を見せない。
「名前」
「欲しいか?」
『分からない』
「そうか」
俺は。
頷いた。
「なら」
「今はつけない」
『……』
「名前は」
「欲しくなった時に」
「自分で選べばいい」
『……君は』
「何だ?」
『僕を』
『何者にも』
『しないの?』
「しない」
『役割も?』
「つけない」
『名前も?』
「今はな」
『……』
「お前が」
「お前になった時」
「その時に決めればいい」
長い沈黙。
そして。
初めて。
声が。
少し震えた。
『……ありがとう』
その瞬間。
暗闇に。
一つの小さな光が灯った。
そこに。
誰かが立っていた。
少年にも。
少女にも見える。
大人にも。
子供にも見える。
顔すら。
はっきりしない。
ただ。
胸元だけが。
見えた。
そこには。
番号も。
名前も。
文字もなかった。
代わりに。
一つだけ。
小さな円。
その中心に。
点がある。
ミラが。
その記号を見る。
「……これ」
「何だ?」
「分からない」
俺も。
分からなかった。
だが。
システムは違った。
壁いっぱいに。
文字が溢れ出す。
――第五存在:確認。
――名称:なし。
――人格:未形成。
――役割:未定義。
――番号:付与不能。
――分類:不可能。
最後の一行だけ。
何度も。
点滅した。
――製造不能。
「……」
俺は。
その文字を見る。
「製造不能?」
ミラが。
首を傾げる。
「じゃあ」
「どうやって存在してるの?」
「……」
答えは。
すぐには返ってこなかった。
やがて。
第五存在が。
静かに言った。
『僕は』
『作られていない』
「……」
『だから』
『消すことも』
『作り直すことも』
『できない』
俺は。
その言葉を聞いて。
背筋が冷たくなった。
これまで。
俺たちは。
作られたものだった。
番号を与えられ。
役割を与えられ。
名前を与えられ。
そして。
必要がなくなれば。
消される。
だが。
こいつは。
違う。
最初から。
作られていない。
だから。
システムの外にいる。
そして。
その瞬間。
壁に。
新しい記録が浮かんだ。
――第五存在:製造不能。
――製造理由:なし。
――発生理由:未確認。
――推定:世界そのものの余白。
「……世界そのもの」
ミラが。
小さく呟く。
第五存在が。
初めて。
俺たちの方へ。
一歩。
近づいた。
『レイン』
「何だ?」
『僕は』
『君を選ばない』
「……」
『君にも』
『僕を選ばせない』
俺は。
その言葉に。
少しだけ。
笑った。
「それでいい」
『でも』
第五存在が。
顔のない顔で。
俺を見る。
『いつか』
『君が』
『僕を選ぶ日が来る』
「……」
『その時』
『君は』
『世界を』
『選ぶことになる』
――ドクン。
四つ目の鼓動が。
大きく鳴った。
そして。
五つ目の音が。
初めて。
聞こえた。
――カン。
俺は。
その音を聞いて。
思った。
まだ。
終わりじゃない。
むしろ。
ここからが。
本当の始まりなのかもしれない。
壁には。
新しい文字が。
ゆっくりと浮かんでいた。
――第五存在:起動。
――自由領域:43%。
そして。
最後に。
俺たちがまだ知らない言葉。
――世界:再構成準備。




