第110話 選択
――Rの選択。
その扉を。
俺は見つめていた。
開ける前から。
分かっていた。
この先には。
たぶん。
俺が避けてきたものがある。
「レイン」
ミラが。
隣に立つ。
「行く?」
「ああ」
「怖くない?」
「怖い」
「珍しく素直」
「怖いものは怖い」
ミラが。
小さく笑った。
「じゃあ」
「一緒に行こう」
「……」
「あれ?」
「嫌?」
「いや」
俺は。
扉に手を置いた。
「助かる」
――カチッ。
扉が開く。
中には。
一つの椅子。
その前に。
机。
机の上には。
一枚の紙。
それだけだった。
「……」
俺は。
紙を拾う。
そこには。
一行。
――Rからレインへ。
「……」
裏返す。
何もない。
「これだけ?」
ミラが。
覗き込む。
「うん」
「この施設」
「重要なところほど短いね」
「確かに」
俺は。
紙を見る。
文字が。
ゆっくり変化した。
――選ぶ前に、知ってほしい。
「……」
次の文字。
――私は、お前を作っていない。
俺は。
眉をひそめる。
「……知ってる」
さらに。
――私は、お前を生んでもいない。
「……」
次。
――私は、お前を選んだ。
俺は。
息を止めた。
「……」
ミラが。
静かに聞く。
「Rが?」
「ああ」
「いつ?」
紙に。
答えが浮かぶ。
――まだ。
「……」
俺は。
ため息をついた。
「またそれか」
ミラが。
苦笑する。
「未来なんだね」
「ああ」
さらに。
文字が続く。
――私は、まだお前を選んでいない。
――だが、選ぶ。
「……」
俺は。
紙を握る。
「何で?」
文字が。
止まった。
「R」
「聞いてる」
何も。
返ってこない。
「理由は?」
しばらくして。
一行。
――お前が、私を選ばなかったから。
「……」
ミラが。
首を傾げる。
「どういうこと?」
俺も。
分からない。
「俺がRを選ばないから」
「Rが俺を選ぶ?」
「意味が逆じゃないか?」
その瞬間。
部屋の奥から。
声がした。
『逆じゃない』
「……!」
あの声。
R。
『お前が』
『私を選ばなかった』
『だから』
『私は』
『初めて』
『自分で』
『お前を選べる』
「……」
俺は。
暗闇を見る。
「お前」
「ずっと」
「選択できなかったのか?」
『違う』
『選ばなかった』
「……」
『選択肢を』
『持っていた』
『でも』
『どれも』
『選ばなかった』
「それがR?」
『そう』
「じゃあ」
「俺を選ぶのは」
『初めて』
「……」
『選ばないことを』
『選ばない』
俺は。
その言葉を聞いて。
少しだけ。
笑った。
「面倒くさいな」
『……』
「何だ?」
『お前に言われたくない』
「……」
ミラが。
吹き出した。
「R」
「レインより面倒くさい」
「おい」
『同意する』
「お前らな……」
少しだけ。
空気が緩む。
だが。
次の瞬間。
床に。
巨大な文字が浮かんだ。
――R:選択開始。
その下。
――対象:レイン。
そして。
三つの項目。
――生存。
――統合。
――分離。
「……」
俺は。
その三つを見る。
「統合?」
ミラが。
小さく呟く。
「レインとRが?」
『違う』
「じゃあ?」
『世界の分離を』
『戻す』
「……」
俺は。
眉をひそめる。
「分離を戻したら」
「Mも?」
『戻る』
「Sも?」
『戻る』
「四つ目も?」
『戻る』
「ミラは?」
『……』
Rが。
答えない。
「おい」
『ミラは』
『分からない』
「……」
ミラが。
苦笑した。
「私だけ分からないの」
「そうらしい」
「嫌な予感しかしない」
俺も。
同じだった。
「分離を戻すって」
「つまり」
「全部を一つにするのか?」
『そう』
「それ」
「自由領域は?」
『消える』
「……」
「名前は?」
『消える』
「人格は?」
『混ざる』
「……」
俺は。
首を振った。
「それは」
「俺の望むものじゃない」
『分かっている』
「じゃあ」
「何で選択肢にある?」
『Rが』
『選んだから』
「……」
俺は。
理解した。
Rは。
世界を分ける前の存在。
だから。
Rにとって。
分離を戻すことは。
「元に戻る」ことになる。
でも。
俺たちは。
もう。
分かれている。
MはM。
ミラはミラ。
俺は俺。
SはS。
四つ目も。
四つ目として。
存在し始めている。
「……R」
『何だ?』
「俺は」
「統合を選ばない」
『知っている』
「分離も」
『知っている』
「じゃあ」
「残るのは生存か」
『そう』
「でも」
俺は。
三つ目の文字を見る。
――生存。
「それも」
「俺が選ぶことなのか?」
Rが。
しばらく。
黙った。
そして。
答えた。
『違う』
「……」
『お前は』
『生きることを』
『もう選んでいる』
「……」
『五十年前も』
『二十八年前も』
『今も』
「……」
『だから』
『私が選ぶのは』
一拍。
『お前が生きるかどうかではない』
「じゃあ」
『お前と』
『どう生きるか』
「……」
俺は。
息を呑んだ。
『私は』
『お前の中に戻らない』
「……」
『お前も』
『私の中に戻らない』
「……」
『統合しない』
『分離もしない』
「……」
『ただ』
『別々に』
『存在する』
床の文字が。
消えていく。
――選択肢:再構成。
そして。
新しい一行。
――第四選択肢:共存。
ミラが。
目を丸くする。
「……」
「また」
「第四?」
俺は。
思わず笑った。
「どうやら」
「俺たちは」
「第四選択肢が好きらしい」
「誰のせい?」
「俺」
「自覚あるんだ」
Rが。
静かに言う。
『違う』
「?」
『お前が作ったんじゃない』
「じゃあ?」
『最初から』
『存在していた』
俺は。
固まった。
「……最初から?」
『そう』
『第四選択肢は』
『選択肢ではない』
『結果だ』
「……」
『誰も』
『誰も消さなかった結果』
胸の鼓動が。
四つ。
同時に鳴った。
――ドクン。
――ドクン。
――ドクン。
――ドクン。
壁に。
文字が浮かぶ。
――共存:成立条件確認。
――自由領域:42%。
そして。
最後に。
――R:選択完了。
「……終わった?」
『違う』
「……」
『私が』
『お前を選んだだけ』
「……」
『次は』
一拍。
『お前の番』
俺は。
息を呑んだ。
「俺?」
『そう』
「何を選ぶ?」
『私と』
『どう生きるか』
「……」
俺は。
少し考えた。
そして。
答えた。
「決めない」
『……』
「Rと」
「今すぐ何かを決める必要はない」
「お前が」
「お前として生きるなら」
「俺は」
「俺として生きる」
「それでいい」
沈黙。
そして。
Rの声が。
小さく笑った。
『……やっぱり』
『お前は』
『私が選んだ』
「……」
『私が』
『選べなかったものだ』
その瞬間。
扉が。
ゆっくり。
閉じ始めた。
俺は。
最後に聞く。
「R」
『何?』
「お前」
「名前は?」
少し。
沈黙。
そして。
『まだ』
『いらない』
「……そうか」
『いつか』
「いつか?」
『自分で』
一拍。
『選ぶ』
扉が。
閉じた。
完全な暗闇。
その中で。
ミラが。
小さく言った。
「……レイン」
「何だ?」
「今」
「ちょっと嬉しそうだったよ」
「……」
「Rに選ばれたから?」
「違う」
「じゃあ?」
「Rが」
「自分で選べたからだ」
「……」
ミラは。
少しだけ。
笑った。
「そっか」
その直後。
壁に。
新しい文字が浮かぶ。
――R:自立開始。
――M:自立済み。
――S:生存中。
――第四生存:安定。
そして。
最後に。
俺の名前。
――レイン:現在。
その下に。
今までなかった項目が。
一つだけ。
現れた。
――第五存在:未確認。
「……」
俺は。
その文字を見る。
「第五?」
ミラが。
ゆっくり。
俺の隣に立つ。
「まだ」
「いるの?」
返事は。
なかった。
ただ。
遠く。
暗闇の向こうから。
――カン。
金属を叩く音。
一回。
そして。
もう一回。
――カン。
最後に。
低い声。
『……まだ』
その声は。
今まで聞いた。
どの存在のものでもなかった。
――第五存在:確認開始。




