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勇者の遺体を回収する仕事  作者: ななほし


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107/120

第107話 生存側

――S。


 その一文字を。


 俺は見つめていた。


「……S?」


 ミラが。


 首を傾げる。


「名前?」


「分からん」


「また?」


「まただ」


「……」


 ミラが。


 少し考える。


「Survival?」


「急に英語?」


「だってSだし」


「ここ王国だぞ」


「そうだった」


 くだらない会話。


 なのに。


 妙に安心した。


 この場所で。


 こんな会話ができること自体が。


 少しだけ。


 普通だった。


 ――ドクン。


 胸が鳴る。


 俺は。


 胸元を押さえた。


「……三つ」


 今まで。


 二つだった。


 それが。


 三つになっている。


 だが。


 痛くない。


 むしろ。


 温かい。


「レイン」


 ミラが。


 心配そうに見る。


「大丈夫?」


「ああ」


「本当に?」


「たぶん」


「それ」


「大丈夫じゃない人の言い方」


「……否定できない」


 その時。


 目の前のSが。


 動いた。


 人の形ではない。


 影でもない。


 ただ。


 空間そのものが。


 少しだけ。


 揺れた。


『レイン』


「……」


『ミラ』


「え?」


 ミラが。


 驚く。


『M』


 Mも。


 顔を上げた。


「俺たち全員の名前を?」


『名前を』


『呼んだだけ』


「……」


『それ以上は』


『まだ』


「まだ?」


『選ばない』


 俺は。


 少しだけ。


 警戒を解いた。


「お前」


「Rなのか?」


『違う』


「初代レイン?」


『違う』


「M-00?」


『違う』


「三十二番?」


『違う』


「……」


 俺は。


 ため息をついた。


「じゃあ」


「誰なんだ?」


『生きている側』


「それ」


「役割じゃないのか?」


『違う』


「じゃあ何だ?」


『結果』


「……結果?」


『選択した結果』


 俺は。


 眉をひそめる。


「誰が?」


『みんな』


「……」


『Rが』


『Mが』


『レインが』


『ミラが』


 Sの声が。


 静かに響く。


『選んだ』


『拒否した』


『名前を受け入れた』


『名前を返した』


『誰かを残した』


『誰も消さなかった』


「……」


『その結果』


『僕がいる』


 ミラが。


 目を丸くする。


「つまり」


「誰かが作ったんじゃなくて」


『そう』


「誰かが選んだわけでもなくて」


『そう』


「みんなが」


「生きようとした結果?」


『近い』


「……」


 俺は。


 胸に手を当てる。


 ――ドクン。


「じゃあ」


「この三つ目の鼓動は」


『僕ではない』


「……?」


『僕が』


『鼓動なのではない』


「じゃあ何だ?」


『僕が』


 一拍。


『鼓動を生んでいる』


「……」


 意味が。


 すぐには分からなかった。


「お前が」


「三つ目の心臓を動かしてる?」


『違う』


「じゃあ?」


『生きようとした結果が』


『鼓動になった』


 ミラが。


 小さく呟く。


「……生存そのもの」


『そう』


 Mが。


 静かに聞く。


『それなら』


『あなたには』


『名前はいらないの?』


『必要ない』


「……」


『名前は』


『誰かと自分を分けるために』


『必要になる』


「じゃあ」


『僕は』


『誰とも分かれていない』


「……」


 その言葉に。


 俺は。


 嫌な予感を覚えた。


「待て」


『何?』


「それ」


「つまり」


「誰かの中にいるってことか?」


『そう』


「誰の?」


 Sは。


 答えなかった。


 代わりに。


 俺の胸が。


 ――ドクン。


 強く鳴った。


「……俺?」


『違う』


「じゃあ」


『みんな』


「……」


 ミラが。


 小さく息を呑む。


「みんなの中に?」


『そう』


「それって」


「かなり面倒じゃない?」


『面倒?』


「だって」


「レインの中にも」


「私の中にも」


「Mの中にもいるんでしょ?」


『いる』


「……」


「じゃあ」


「レインと喧嘩したら」


「Sとも喧嘩するの?」


「何でそうなる」


「だって中にいるんでしょ」


「……」


 Sが。


 少しだけ。


 間を置いた。


『喧嘩は』


『しない』


「ほら」


「いい子」


「何の会話だよ」


 俺は。


 思わず笑った。


 だが。


 その笑い声が。


 止まる。


 壁に。


 新しい文字が。


 浮かんだからだ。


 ――生存側:共有状態。


 ――個体化:不要。


 ――人格:発生条件未達。


 ――名称:不要。


「……」


 俺は。


 表示を見る。


「人格がない?」


『まだ』


「じゃあ」


「さっきの声は?」


『人格になる前の声』


「……」


 また。


 同じ言葉。


 人格になる前。


 俺たちは。


 何度も。


 その場所を見てきた。


 Rも。


 候補三も。


 M-00も。


 そして。


 今度はS。


 だが。


 今回だけは。


 少し違う。


「……S」


『うん』


「お前は」


「人格になりたいか?」


『分からない』


「……」


「またか」


『でも』


「?」


『生きたい』


 その一言だけは。


 迷いがなかった。


 俺は。


 少し黙った。


「それなら」


「今のままでいいんじゃないか」


『……』


「名前がなくても」


「人格が決まってなくても」


「役割がなくても」


「生きてるなら」


「それでいい」


 ミラが。


 隣で。


 頷く。


「うん」


「私もそう思う」


 Mも。


 静かに。


 笑った。


『……』


 Sは。


 しばらく。


 何も言わなかった。


 そして。


 初めて。


 少しだけ。


 震えた声で。


『それを』


『言ってほしかった』


「……」


『五十年前から』


 空気が。


 凍った。


「……五十年前?」


 ミラが。


 振り返る。


『僕は』


『最初から』


『ここにいた』


「……!」


『Mが』


『Rを選んだ時も』


『Rが』


『Mを拒否した時も』


『アルドが』


『死を選んだ時も』


『レインが』


『自分を殺せと頼んだ時も』


 俺の胸が。


 強く鳴る。


『ずっと』


『見ていた』


「じゃあ」


「お前は」


「原初人格なのか?」


『違う』


「……」


『原初人格より』


『後』


「Rより?」


『後』


「俺より?」


『後』


「Mより?」


『後』


『でも』


 一拍。


『名前より』


『前』


 俺は。


 言葉を失った。


 ――名前より前。


 その意味は。


 今までの話を。


 全部ひっくり返す可能性があった。


「S」


「お前」


「最初から生きてたのか?」


『違う』


「……?」


『最初から』


『生きていた』


『のではない』


「じゃあ?」


『生き残った』


 ――ドクン。


 第三の鼓動が。


 鳴った。


 その瞬間。


 壁に。


 新しい記録が浮かぶ。


 ――生存側:発生。


 ――発生時点:最初の分離後。


 ――発生理由:消滅しなかったため。


「……」


 ミラが。


 呟く。


「消滅しなかった?」


『そう』


「誰が?」


『全部』


「……」


『Mも』


『Rも』


『レインも』


『そして』


 Sの声が。


 少しだけ。


 遠くなる。


『名前を持てなかったものも』


『全部』


「……」


 俺は。


 その意味を理解し始めていた。


 この計画は。


 誰か一人を。


 残すためのものではなかった。


 誰か一人を。


 完成させるためでもない。


 むしろ。


 何度も。


 誰かを消そうとして。


 そのたびに。


 消えなかったものが。


 積み重なった。


 それが。


 今。


 俺たちの中に。


 「生存」として。


 残っている。


 その時。


 Sが。


 最後に言った。


『だから』


『僕には』


『一つだけ』


『できないことがある』


「……何だ?」


『死ぬこと』


 俺は。


 息を止めた。


『僕は』


『誰かが生きている限り』


『消えられない』


 壁が。


 激しく震える。


 ――自由領域:41%。


 ――生存側:安定。


 そして。


 最後に。


 一行。


 ――第三選択者:該当なし。


「……第三選択者が」


「該当なし?」


 ミラが。


 呟く。


 Sが。


 答える。


『僕は』


『選択者じゃない』


『僕は』


 一拍。


『選択のあとに』


『残ったもの』


 その瞬間。


 部屋の奥から。


 ――ゴン。


 大きな音がした。


 Mが。


 振り返る。


『……』


「どうした?」


『この音』


 Mの顔から。


 血の気が引いた。


『知ってる』


「何を?」


『五十年前』


『最初の分離が起きた時』


 ――ゴン。


 もう一度。


 音が鳴る。


『この音が』


『最初に』


『鳴った』


「……」


 壁に。


 新しい扉が現れる。


 そこには。


 今まで一度も見たことのない文字があった。


 ――「分離前」


 Mが。


 小さく呟く。


『……そこには』


『私も』


『Rも』


『まだ』


『存在していない』


 俺は。


 扉を見る。


 そして。


 なぜか。


 分かった。


 ここから先にあるのは。


 俺たちの「過去」ではない。


 ――俺たちが生まれる前の話だ。

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