第101話 誰なのか
――R。
その一文字だけが。
白い壁に残っている。
俺は。
その文字を見つめていた。
「……R」
ミラが。
小さく呟く。
「初代レインは」
「Rなの?」
「そう言った」
「でも」
ミラが。
首を傾げる。
「レイン」
「何だ?」
「さっき」
「Rは名前じゃないって言ってなかった?」
「……」
確かに。
そうだった。
初代レイン自身が。
言った。
――Rは名前じゃない。
――レインじゃない。
――空白だった。
「じゃあ」
「お前は何なんだ?」
俺は。
初代レインを見る。
彼は。
しばらく黙っていた。
そして。
ゆっくり。
自分の胸に手を当てる。
『俺は』
一拍。
『Rだった』
「過去形?」
『そう』
「今は?」
『……』
答えない。
その代わり。
俺の胸が。
ズキッと痛んだ。
「……っ」
第二心臓。
第三心臓。
そのどちらとも。
違う。
もっと奥。
存在しているのかさえ。
分からない場所。
そこが。
ほんの一瞬。
冷たくなった。
『感じた?』
初代レインが。
聞く。
「ああ」
『それが』
一拍。
『R』
「……」
ミラが。
俺の腕を掴む。
「大丈夫?」
「ああ」
「顔色悪いよ」
「いつものことだ」
「それは嘘」
「……」
俺は。
黙る。
初代レインが。
俺を見る。
『Rは』
『人格じゃない』
「じゃあ?」
『人格が生まれる前の』
一拍。
『余白』
「……」
『誰かになる前の』
『誰でもない場所』
その言葉に。
俺は。
以前聞いた言葉を。
思い出した。
――自由領域。
番号なし。
役割なし。
名前なし。
だが。
自由に選べる。
「Rと」
「自由領域は」
「同じものなのか?」
『似ている』
「違う?」
『Rは』
『自由になる前のもの』
「……」
『自由領域は』
『自由になった後のもの』
俺は。
黙った。
つまり。
Rは。
自由そのものではない。
自由が生まれる。
その前段階。
「何者でもない」という空白。
ミラが。
ぽつりと言った。
「じゃあ」
「Mも」
「Rだったの?」
初代レインが。
少し驚く。
『……』
「違う?」
『分からない』
「また?」
「便利だな」
俺が。
言うと。
ミラが。
小さく笑った。
「この施設」
「分からないが多すぎる」
「同感だ」
だが。
初代レインは。
笑わなかった。
『ただ』
「何だ?」
『MとRは』
一拍。
『同じ場所から生まれた』
「……!」
俺は。
息を呑む。
『一つだった』
「やっぱり」
『最初は』
『一つだった』
壁に。
新しい図が浮かんだ。
一つの円。
その中に。
――M/R
そして。
中央に。
一本の線。
――分離。
さらに。
その下。
――M:観測。
――R:選択。
「……」
俺は。
その二文字を見る。
「Mが観測」
「Rが選択」
「だから」
ミラが。
続ける。
「Mはレインを観測して」
「RはMを選んだ?」
『そう』
「……」
「でも」
「それで分離した?」
『うん』
壁に。
記録が出る。
――M:観測対象を拒否。
――R:選択対象を要求。
――結果:分離。
「……」
俺は。
眉をひそめる。
「要求って何だ?」
『生きること』
「……」
『Rは』
『Mに』
『生き方を教えてほしかった』
「でも」
『Mは拒否した』
「……」
『だから』
一拍。
『Rは』
『自分で選ぶことにした』
「それが」
「レイン?」
『違う』
「……」
『レインは』
『その後に生まれた』
俺は。
言葉を失う。
「じゃあ」
「俺は」
「Rでも」
「初代レインでもない?」
『そう』
「じゃあ」
「俺は何だ?」
初代レインは。
少しだけ。
笑った。
『それを』
『探してるんだろ?』
「……」
確かに。
そうだった。
俺は。
ずっと。
自分が何者なのか。
探していた。
32番。
七人目。
レイン。
器。
人格。
記憶。
名前。
そのどれでも。
完全には。
説明できなかった。
でも。
今。
初めて。
一つの可能性が。
浮かんだ。
「俺は」
「Rから」
「生まれた?」
『違う』
「じゃあ?」
『Rが』
一拍。
『選ばなかったものから』
「……」
ミラが。
顔を上げる。
「選ばなかったもの?」
『そう』
『Rには』
『選択肢があった』
『Mと生きる』
『Mを捨てる』
『自分を消す』
『そして』
一拍。
『もう一つ』
俺は。
聞く。
「何だ?」
初代レインが。
俺を見る。
『名前を持たないまま』
『生きる』
「……」
俺は。
息を呑んだ。
『Rは』
『最後の選択をしなかった』
「だから」
『その空白から』
『別の存在が生まれた』
「……俺?」
『可能性はある』
「……」
ミラが。
少し考える。
「じゃあ」
「レインって」
「Rが選ばなかった未来?」
「……」
俺は。
答えられない。
だが。
壁が。
答えた。
――仮説:肯定。
「……仮説かよ」
俺は。
思わず。
ため息をついた。
「せめて断言しろ」
ミラが。
笑う。
「レイン」
「何だ?」
「断言されたら」
「それはそれで嫌でしょ」
「……まあな」
初代レインが。
静かに。
こちらを見る。
『だから』
「何だ?」
『君は』
『Rではない』
「……」
『Mでもない』
「……」
『三十二番でも』
『七人目でもない』
「じゃあ」
『今は』
一拍。
『レイン』
俺は。
少しだけ。
笑った。
「それなら」
「十分だ」
ミラが。
隣で。
頷く。
「うん」
その瞬間。
第三心臓が。
強く鳴った。
――ドクン。
壁に。
新しい文字。
――自由領域:34%。
だが。
次の瞬間。
赤い警告が。
表示される。
――原初人格:再構成率12%。
「……」
俺は。
その数字を見る。
「原初人格」
「Rと同じなのか?」
初代レインは。
答えない。
「……」
「おい」
『違う』
「じゃあ何だ?」
『Rより』
一拍。
『前』
「……!」
ミラが。
息を呑む。
「Rより前?」
『そう』
「じゃあ」
「原初人格って」
『最初に』
『選択した存在』
「誰?」
『……』
初代レインは。
答えなかった。
代わりに。
壁に。
古い文字が浮かぶ。
――原初人格:第一選択者。
――選択内容:世界を分ける。
「世界を?」
俺が。
聞き返す。
次。
――M:観測側。
――R:選択側。
――第三:生存側。
「……第三?」
ミラが。
壁を見る。
「三つに分けた?」
「ああ」
その下には。
名前が。
なかった。
ただ。
一文字だけ。
――?
そして。
その横。
――現在:所在不明。
「……」
俺は。
息を吐く。
「また」
「誰か増えたね」
ミラが。
苦笑する。
「この調子だと」
「120話じゃ足りないんじゃない?」
「……」
俺は。
少し考える。
「いや」
「足りる」
「本当?」
「ああ」
「なんで?」
「俺たちには」
一拍。
「まだ20話ある」
ミラが。
笑った。
「そうだった」
だが。
その直後。
壁の数字が。
突然。
大きく変わった。
――自由領域:35%。
――原初人格:再構成率20%。
そして。
――第三存在:接続開始。
「……!」
白い部屋の奥。
何もなかった場所に。
一人の影が。
現れた。
顔はない。
番号もない。
名前もない。
ただ。
胸元に。
一つだけ。
文字があった。
――?
影が。
俺を見る。
『……』
そして。
初めて。
声を出した。
『レイン』
「……」
『やっと』
一拍。
『見つけた』
「俺を?」
『違う』
「じゃあ」
『私を』
影が。
自分の胸を指す。
『私は』
『ずっと』
『あなたの中にいた』
第二心臓が。
鳴った。
第三心臓も。
鳴った。
そして。
今まで。
一度も鳴ったことのない。
何かが。
胸の奥で。
初めて。
鼓動した。
――ドクン。
俺は。
思わず。
胸を押さえた。
「……三つ目?」
ミラが。
首を振る。
「違う」
「じゃあ?」
ミラが。
俺を見る。
「レイン」
「何だ?」
「今の」
「心臓の音じゃない」
「……」
影が。
静かに笑った。
『そう』
『これは』
一拍。
『名前の音だよ』
俺は。
言葉を失った。
――原初人格:再構成率21%。
――第三存在:接続完了。
そして。
最後の一行。
――名称候補:レイン。
俺は。
その文字を見て。
初めて。
自分の名前が。
「名前」だけではない可能性に。
気づいた。




